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LN東條戦記第2部「変革宰相」  作者: 異不丸
第4章 破れて逃ぐるは国の耻
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序 ワシントン


1941年11月20日、木曜日、昼。米合衆国、コロンビア特別区ワシントン。


在米特命全権の吉田茂大使は、モーニングを着用して、在米日本大使館を出た。

新任大使である吉田は、ルーズベルト大統領に信任状を奏呈するのだ。合衆国大統領官邸ホワイトハウスは、もちろんワシントン府の中央にあり、マセチューセッツ街の日本大使館からはすぐである。



大統領に信任状が手交された。

信任状捧呈式はこれで終わりであるが、今回は特別にと、別室に案内された。数分後に入って来たルーズベルト大統領は、握手をして横の席に着いた。吉田には、大統領が緊張しているように見えた。


「大使閣下が日米会話を成功させるために赴任されたことを大歓迎します」

「ありがとうございます、大統領閣下」

「わが合衆国市民は、戦争に巻き込まれることに反対です」

「はい。大統領閣下、帝国臣民もそうなのです」

「東條首相の信任が厚いとお聞きしました」

「その通りですとも、大統領閣下」

「東條首相の議会演説は素晴らしかった」

「大統領閣下、それをお聞き出来て嬉しいです」


そこへ、数人の紳士たちが入ってくる。大統領の腹心であろう。

「わたしのスタッフです、紹介しますよ。大使閣下」

吉田は、大統領が軽く鼻を鳴らしたのを聞き逃さなかった。

紹介されたのは、国務長官のコーデル・ハル、郵政長官のフランク・ウォーカー、前商務長官のハリー・ホプキンスだった。吉田は、三人と恭しく握手と挨拶を交わす。



「実務的な話は、ハル国務長官と行ってください」

「はい。大統領閣下」

「他に、わたしに要件がある時は、ウォーカー長官かホプキンス顧問に」

「ありがとうございます、大統領閣下」

「貴国首相の議会演説で、話は早く進みそうですね」

「わたしもそう思います。国務長官閣下」

「では、これで」

「ああ、大統領閣下。お願いがあります」

「え、なんでしょうか」

「早速、明日から国務長官閣下と会談を始めたいのです」

「え、それは。いいですとも、ハル?」

「もちろんです。明日から始めましょう」


「今日は有意義でした」

「ああ、大統領閣下。お話があります」

「ええ、なんでしょうか」

「東條首相から申し付けられました」

「そうですか、それは」

「ペリー艦隊を派遣されて以来の、これまでの貴国の友誼に感謝していると」

「え!」

「特に、18年前の救援艦隊の派遣には感謝していると」

「あ、ああ」


1923年9月の関東大震災の時、当時の米大統領クーリッジは、日本救援の大統領令を出した。清国や比島の米海軍アジア艦隊に、救援物資の緊急輸送を命じたのだ。16隻の艦艇は横浜に入港した。さらに、ラヂオで義捐金も呼びかけた。集まった募金は800万ドル、当時の帝国の歳入の1%にあたる。


「『1分でも早く』ですね」ハルが助け舟を出す。

「そうです、そうです」

吉田は体を揺すって喜びを表現してみせる。そして、葉巻を取り出した。

仕方なく、大統領は座り直し、紙巻たばこを取り出す。

ホプキンスは部屋の電話でシャンパンを注文する。気を使ったのだ。

じろりと、ルーズベルトが睨むがもう遅い。吉田が声を上げたのだ。

「おおお、ドンペリニョンですか。素晴らしい」

禁酒法廃止で最初の大統領選を打ち勝ったルーズベルトは、何も言えない。

ウェイターが入ってきて、グラスを並べる。


「90年間の米国の友誼に!」

「賢明なる大日本帝国天皇陛下に!」

「偉大なる合衆国と大統領閣下に!」

「両国の永遠なる繁栄と親善に!」

「「「乾杯!」」」


「ややや、親愛なる大統領閣下のご配慮により、明日からのわが任務に光明が見えてきましたぞ!」

「「「・・・」」」

吉田新大使は、上機嫌でドンペリ三杯と葉巻2本を楽しむと、帰って行った。





同じ頃。


ジョージタウンは、ワシントンのすぐ北西にある。町の名前を冠したジョージタウン大学のキャンパスは、ワシントンとの境で、ポトマック川の河畔にあった。医学部病院は、川とは反対側、キャンパスの北側にある。


新庄健吉は、先月の20日からこの大学病院に入院していた。

今年4月に来米し、三井物産ニューヨーク支店に勤めていた。が、8月頃から体調がおかしくなった。疲れがとれず、咳と微熱が続くのだ。風邪が長引いているのだろう。そう思って、上司にも告げずに、エンパイアステートビルの事務所に通っていた。しかし、10月に入るとますます症状は重くなって来た。

入院を命令したのは、在米日本大使館付武官の磯田陸軍少将である。


新庄健吉は44歳、陸軍経理学校第12期卒の主計将校であった。シベリアに出征した後、陸軍派遣学生として東京帝大経済学部の大学院を修了した。ここ数年間は、陸軍主計を離れて、広く帝国の経済調査任務に出向することが多かった。

今回の米国駐在もそうである。米国の国力・戦力を帝国のそれと比較分析すること、それが新庄の任務であった。第一段階の調査は終わっていた。「米国国力見積」調査報告書は、7月末に帰国する岩畔大佐に提出した。



入院以来、週に数度、日本大使館から見舞いが来る。書記官であったり、武官室の将校だったりだが、彼らは決まって『安静第一、仕事禁止』を繰り返した。病室も個室であって、病院食も特別なもののようだ。結核だな、観念するしかあるまい。

(もう1カ月になる)新庄は思う。

食欲は少し出てきて咳もだいぶ治まったが、痰と熱は続いていた。最近は、子供の頃の夢をよく見る。先進アメリカの大学病院と思って期待していたが、やはり結核は死病のようだ。


「失礼します。在米大使館から来ました」

今日の見舞いは初顔であった。かなり若い。新任の書記生だろうか。いや、日米関係がここまで拗れた今、新任はあるまい。もしや。


「陸軍主計大佐の新庄健吉どのですね」

「ああ。隠す必要はなくなったのか。君は?」

「在米大使館勤務の山藤重一書記生です。まだ隠してもらいます」

「外務省の新人か。わかったよ」

「はい、カンポです。1時間は人は近づきません」

「姿勢がいいね。兵役にいったか」

「はい、高文合格後、入省前に1年行ってまいりました」

「そりゃ、ごくろうさんだね」

「おかげさまであります」


山藤と名乗った若者は、びしっと敬礼して見せた。

新庄は、なんだか楽しくなってきた。軽口をたたいてみる。


「その実、特務機関員じゃないのかい」

「わかりますか。陸軍中野学校研究部の山藤重一中尉であります」

「あはは」

「では、辞令と命令書を発行します」

「あはは、いいね」

「陸軍主計大佐新庄健吉は、10月20日をもって教育総監部付を命ず」

「え」

「まだあります。11月13日より教育総監部特務兵監付を命ず」

「あ、はい」

「辞令です。ご確認ください」


新庄は、渡された数枚の用箋を確認した。参謀本部総務部、在米武官室、教育総監部総務部など各長の署名と印が入っている。まさか本物だ。

そして、命令書の内容は、かなり異例なものだった。


「これが碧素です。いますぐ飲んでもらいます」

「ああ」

「これから8時間おきに1週間つづけてください」

「ぼくを人体実験に使うのかい?」

新庄は、憎まれ口を言った。

「陸軍軍医部で開発した薬です。田中兵務局長が試飲されました」

「ほぅ。花柳病にも効くのか」

「大佐!」

「わかってるよ。そう向きになるな」

「はっ」

新庄は、渡された碧素をコップの水で飲みこむ。ごくん。

「少し臭うね」

「生薬だそうです」

「へえ」


山藤中尉は、辞令と命令書を回収し、持参した鋏で細断すると鞄にしまった。意外に几帳面な性格らしい。

それから、これからの予定を説明した。


「わかった。朝晩、君が見舞いに来る、と」

「はい、来ます」

「1週間後に、バージニア州のホットスプリングスに移動だね」

「はい、お連れします」

「ホットスプリングスは、温泉のある高級保養地だ」

「そうです」

「ホームステッドも最上級ホテルだ」

「はい」

「こんなに贅沢させてもらっていいのかな」

「新庄大佐の調査報告書は完璧で、非常に有用でした」

「ご褒美かい、へえ。それだけかね、理由は」

「早く完治していただき、次の任務についていただきます」

「そうか。相当過酷なものらしいな、その新任務は」

「はっ。真にその通りなのであります」

「えええ」






翌日、11月21日、金曜日、午前。米合衆国コロンビア特別区ワシントン。


国務省の長官室で、吉田大使はハル長官と面会していた。


「10月17日までに行われた若杉公使との会談からでよろしいですか」

「いいですよ、大使閣下」

「貴国が主張された4原則に関して、帝国は全面的に受け入れる考えです」

「それは・・。大使閣下、最上です」


冒頭からハルは驚愕したようだ。吉田は、今日の会談の主導権を取ったことを確信した。

もちろん、吉田は理解している。はじめから手札をすべて晒す馬鹿はいない。いい札を持っていると匂わせながら、相手の手札を読む。外交とはそういうものだ。そして、相手に早く切らせる。手札を使い切った方が負けなのだ。

ハルが驚いたのは、その意味においてだ。吉田は外交を知らない素人、でなければ馬鹿だ。ハルはそれを知って、驚いたのだ



「大使閣下は、本国の訓令のもとに承諾されるわけですね」

「何を言われる。東京のグルー大使から報告が来てるでしょう」

「中国とは停戦すると?」

「東條首相が演説された」

「仏印からも引き揚げると?」

「帝国に領土の野心はありません」

「「・・・」」


しばらくの間、ハルと吉田で不毛なやり取りが続く。

(そうだ、ハル君。そうやって言質を取りに来るのだ)

吉田は、主導権を握った優越感で満足する。今のところ、ハルの出方は予想通りだ。


「大使閣下、今日の会談は画期的です」

「そうなのですか、国務長官閣下」

「そうですとも。すぐに大統領に知らせます」

「お願いします」

「今日は無理かも知れませんが、明日には必ず」

「・・必ず」

「ええ。間違いありません」


ハルは慌てているように見えた。それはそうだろう。

領土主権の尊重、通商機会均等、内政不干渉、太平洋の現状不変更の、4原則は、ハルが考えに考え抜いた合衆国の対日外交方針であった。外交に疎い大統領に何度説明したことか。それを完全に肯定してくれる。

ハルは、目の前の紳士が、敵性国家から来た外国人であることを、一瞬の間、失念していた。



「国務長官閣下・・」

「あ、これは大使閣下」

「誠に失礼で不躾でありますが」

「え、ええ。大使閣下、どうぞ続けてください」

「長官閣下は、まだ聞いておられない」

「え、えっ?」

「わたしはまだ、わが大日本帝国の要求を言っておりません」

「あっ」


ようやく、ハルは、自分が失策したことを悟った。

徐に葉巻を取り出す吉田を、呆然と眺める。






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