終 ベルリン
1941年11月、ドイツ、ベルリン、在独満洲公使館
満洲国は、ドイツ国と修好条約を結んでおり、公使を交換していた。満洲には独逸企業も進出している。日独伊防共協定には加わっていたが、日独伊三国同盟には今のところ加盟していない。
その日の朝、ひとりの日本人が在独満洲公使館を訪れた。三好次郎と名乗った男は、参事官の星野一郎に面会を申し込んだ。星野は、公使館内の自室で客に会った。
「ま、こぎれいな格好でなによりだ」
「マルキニアの家が無事でほっとしましたよ」
「僕はワルシャワ総領事も兼任でね」
「はい」
「昨年の着任後に、念のために点検しておいた」
「おかげで助かりました」
1939年9月にポーランドは独ソによって分割され、ドイツとソ連は国境を接することになった。マルキニアは、この独ソ国境のドイツ側の終着駅で、ワルシャワの北東100kmほどにある。もちろん、今年6月の独ソ開戦以降はドイツ軍の占領下にある。
「では、さっそくお願いします」
「すまないな」
「いえ、早く荷を降ろしたいです」
「わかるよ、うん」
星野は、机から細巻きの葉巻を一本取り出すと、三好に渡す。
さらに、書棚のブランデーをグラスに注いでやる。
三次はブランデーを一気に呷り、葉巻に火を点けて深く吸い込む。
10分ほど後に、酩酊した様子で三好は言った。
「どうぞ、所長」
「三好君、陸軍軍人の本分は何だ」
「身命を賭して敵に打ち向かうことです」
「絶体絶命の時はどうする」
「敵と刺し違えます」
「では、後方勤務要員の本分は何だ」
「生きて帰還することです」
「矛盾するではないか!」
「しません!それが本分ですから」
「では、絶体絶命の時はどうする」
「命乞いをします」
「卑怯未練ではないか!」
「違います!それが本分です!」
「よし、はじめ!」
ふらふらと立ち上がった三好は、星野の机を借りて、作業をはじめた。記憶していた暗号文を用箋に書き付ける。
書き終わると、三好は机の上にうつ伏せた。どん。
星野参事官は、三好の顔の下から用箋を抜き取り、机の引き出しから出した電信の写しと見比べる。が、しかし。判らない。
(あれ)
しばらくの間、あれやこれやと試してみる。やはり、だめである。
(どうなってるんだ?)
星野は困惑の表情で、机で眠り込んでいる三好を見つめる。三好は、万年筆を手に持ったままであった。
(そうか)
上着のポケットからライターを取り出し、火を点けると、用箋を上に翳す。用箋から、数文字が浮かび上がった。
(まったくぅ、誰の仕業だ)
星野は、ある予感がした。
(D機関!)
星野参事官は、ソファに深く埋まると煙草に火を点けた。
陸軍の国外における情報要員は、在外武官室の武官と武官補佐官である。彼らは大本営を通して、参謀本部第二部の各課に所属していた。大陸においては、諜報・謀略を関東軍司令部隷下のハルビン特務機関に集約してきた。満州事変を過ぎても、これで回していた。
しかし、昭和12年に支那事変が勃発すると、いままでの体制では不都合が生じ始める。支那全土に進出した日本軍は占領地に軍政を敷き、軍政機関として各地に特務機関を立ち上げた。特務機関同士での任務の交錯、特に支那派遣各軍と関東軍との間の錯綜が目立ち始めたのである。
昭和13年6月に陸軍参謀本部附となった土肥原中将は、各軍下に複数あった特務機関を1つの指揮統制下にまとめようとした。土肥原機関である。同時に、諜報専任要員の教育養成にも組織的に乗り出した。陸軍の諜報と謀略は、ようやく統制されるかに見えた。
しかし、一年後の昭和14年の5月、土肥原が第5軍司令官として満洲に転出すると、一気に形骸化していく。支那事変の新たな局面で大規模な作戦が続いたこと、日ソ国境、満ソ国境で大規模紛争が続いたこと、さらに欧州大戦勃発で南方侵出が検討され始めたからだ。
土肥原は、昭和15年6月に参謀本部附に帰任したが、再統制は遅々として進まなかった。その後も、大規模作戦の発動や独ソ開戦などが続いたからだ。それどころではない、のである。参謀本部や各軍に続いて、陸軍省も独自に特務機関を設立していた。
実に、陸軍諜報は、最も必要とされた時に、最も混乱していたことになる。
星野は、深々と紫煙を吐き出す。
(そうか、D機関が復活するのか)
D機関とは、すなわち土肥原機関である。
今月の初め、土肥原大将は教育総監に就任し、特務兵監を新設した。諜報要員の教育訓練から指揮統制までを一貫して掌握する。その権限を建制として得たのだ。
星野は、かつて陸士26期を出て、東京外国語大学に入学した。ロシア語を修め、ハルビンに留学した。ずっと、特務機関で情報畑を歩んできたのだ。後方要員養成所の設立に関わり、所長を務めたこともある。
昨年からは満州国国務院に出向、参事官兼総領事として伯林に赴任、星機関を立ち上げた。星機関は、欧州の白系ロシア人を組織しようというものだ。すでに満洲には白系ロシア人の組織があり、その長はハルビン特務機関長の樋口中将であった。
星野は、三好が目を覚ますのを待つ。
(おもしろくなるか)
引責人事で左遷のはずの伯林勤務だったが、風向きが変わりそうだ。一期生の三好次郎がやって来た。杉本佐武朗もまもなく着くという。復号文を見つめながら、星野は昂揚するものを感じた。
在独満洲公使館の参事官にして星機関長、星野一郎は、中野学校初代校長の陸軍歩兵大佐秋草俊その人であった。
同じ日、ベルリン、在独日本大使館
在独日本大使館付武官の坂西一良陸軍中将は、陸士23期卒である。陸大を出てからはずっと参謀本部独逸畑である。ドイツに来るのは4度目になる。大使館付武官も2度目である。
今年の2月、坂西武官は大島大使と一緒にシベリア鉄道で着任した。
一行は、1月29日の午後1時に特急かもめで東京を発った。関釜連絡船、満州鉄道を経て満ソ国境の満州里に向かう。2月6日に満州里からシベリア鉄道に乗り替え、モスクワ、マルキニアを経由して、ベルリンのアンハンター駅へ着いたのは2月27日であった。途中で、京城、新京、モスクワなどに宿泊しているので、移動だけなら20日かかっていない。
坂西は、大使館の自室で、西郷中佐と話していた。西郷従吾は陸士36期、やはり独逸畑の陸軍中佐だが、武官室勤務ではなく大使付属である。直接の部下ではない。しかし、百鬼夜行の大使館にあって、坂西は、西郷だけには気を許していた。西郷も坂西を慕ってくる。それは、ふたりとも同じ役目、大島大使のお目付けだったからである。
「西郷、また何か」
(大使が仕出かしたのか)と坂西が問う。
「いえ、そうではありません」
と答えながら、西郷は(いやそうかも)と思う。
在独日本全権大使は、陸軍中将大島浩である。陸士18期の独逸畑だが、陸軍大臣までいった父親の大島大将は、幼少のころから長男の浩をドイツ人の家庭にあずけた。ドイツ語とドイツ流の思考は筋金入りである。だから、大島はドイツ勤務前からドイツに傾倒していた。ドイツ人以上にドイツ人らしく行動し、特にナチス党には惚れ込んだ。日本の国益よりもドイツの国益を優先する。在独ドイツ大使と言われる所以である。
その大島大使も、独ソ不可侵条約の件では、本国の追及を免れることはできなかった。外務省や内閣に加えて、陛下のご不快も相当なものだったらしい。大島は帰朝を命ぜられ、東京到着後に査問審査にかけられた。1939年12月に大島は依願免職となった。
ところが、わずか1年後の昨年12月には在独大使に再任命され、今年2月に着任した。どういうことか。当時の近衛首相と木戸内府は、陛下の御詰問に窮したという。
「トルコの栗原大使から電信がありました」
「ほう」
「東京からの外交伝書使が、今朝アンカラを発ったと」
「トルコ、なのか?」
「そうです」
途端に坂西の顔が曇った。
「また、厄介な」
東京からのクーリエは歓迎すべきことである。
しかし、トルコ経由となれば、そうも言えない事由が複数あった。
欧州戦争の勃発以来、日本と欧州を結ぶ海の航路は次々と閉鎖され、日欧の連絡は危機的状況にあった。もともと、海路は日数がかかった。例えば、神戸発の貨客船でインド洋へ、スエズ運河を抜けてイタリアで上陸、ナポリから鉄道でベルリンへ、合わせて40日はかかる。しかし、イタリアの参戦と同時に、イギリスはスエズ運河を閉鎖した。日本郵船は航路を喜望峰回りに変更したが、それも昨年10月から途絶している。
そして、日欧連絡は今、もはや断絶に等しい状況となっていた。シベリア鉄道が閉鎖されたからだ。独ソ開戦は6月22日、その時、17日にベルリンを発った山下訪独使節団は、すでにモスクワを過ぎてシベリアの奥にあったので、満洲に着くことが出来た。独ソ鉄道では、6月20日夜ベルリン発、21日朝に越境して、22日夕にモスクワ着が最終列車である。
8月には、それまで日ソ間で続けていた通過査証簡易化の交渉を、日本側から打ち切った。ドイツ軍の快進撃を見ての判断であったが、これでシベリア鉄道通過の査証は絶望となった。しかし、欧州の帝国在外公館は再編成の要があった。すでに年初より、各級公館から要員不足や帰朝待ちの報告電が山積している。加えて、戦禍から逃れたい邦人や外国人は全欧州に数万人もおり、領事業務は滞留していた。
外務省は、印度洋経由を諦め、北米ないし南米経由の大西洋航路での日欧連絡を模索した。しかし、海路と横断鉄道では2カ月近くかかる。南米からスペインへの空路を利用できれば1カ月に縮まるが、空路は不定期で定員が少ない。
やはり、シベリア鉄道が、速度と定員の両面から一番であった。外務省に代わり、逓信省が郵便物限定としてシベリア鉄道利用を交渉開始していた。
「早い。海路ではないな」
「シベリア鉄道でしょう」
「なにかあるのか?」
「ゾルゲ一味逮捕の直後に、通過査証が申請されたもようです」
「ほう」
「ソ連との査証発給は交換的に行われます」
「そうだったな」
「外務省は緊急を認め、関釜連絡船、満鉄経由で査証を発給しました」
「浦塩でなく満州経由か、破格だな」
「ですから、こちらも破格の」
「なるほど、それはわかった」
クーリエの用件は判っていた。外交電信の変更である。外務省の暗号は米英に破らているらしい。重要案件は、陸軍の暗号を使うように訓令が来ていた。その訓令は陸軍暗号で届いたので一悶着あった。西郷から伝え聞いたものだ。坂西中将は在独陸軍武官室の長でありながら、陸軍暗号に直接に接することが出来ない。
大島大使がすべてを握って、離さなかったからた。
坂西や西郷も含めて、在独日本大使館の文官と武官はすべて大島大使の意向で人選されていた。古くからいる者の内、大島の意向に副わないものは東欧の領事館に飛ばされた。もともと在独武官であった頃から、大島は勝手に電信室に出入りして、大使の外交全権を犯していた。そして今、外交官である筈の大島大使は、武官室の陸軍電信や海軍電信も先に回すように命じていた。
坂西や西郷も親独であり、三国同盟に積極賛成、対英米強硬派だ。しかし、あくまでも帝国の国益と国際情勢を図った上でのことである。坂西の忠義の対象は陛下と帝国なのだ。大島のように「ドイツのための日本」など思いもつかない。坂西も西郷も、在独大使館と武官室の任務は「日本のためのドイツ」を追求することと考えていた。
困ったことに、坂西たちはここでは少数派だった。
そして、在土日本大使館も同様だった。トルコの栗原正大使は外務省生え抜きだが、大島大使に負けず劣らずの親枢軸、反英米だった。部下には、もっと過激な青木盛夫書記官もいる。栗原たちはトルコを枢軸派に加盟させ、あわよくばソ連の南から参戦させようと画策していた。
そこへ、ソ連領内を通過して来た陸軍武官の外交伝書使である。彼は、最新の状況を見聞している。
「まずいな。拉致されるかも」
「ドイツ軍情報部の接見はあり得ますね」
「到着前に保護したいな」
「もう監視下でしょう」
「栗原大使はドイツに連絡したか」
「大島大使にも知られたし、海軍武官も」
「「・・・」」
「だめもとで、カナリス提督に会うよ」
「ええ、それぐらいしか」
いったい俺たちは何をやっているのだ。
同じ在独日本大使館にありながら、文官対武官、陸軍対海軍、まるで帝国政治の縮図ではないか。これで独逸に対してどうやって国益を保持していけるのか。同盟国でさえそうなら、参戦したとして敵国に対してどうなる。挙国一致で立ち向かえるのか。
坂西は、伝え聞く、東條首相の非戦の方針が正しいように思えた。
「西郷中佐」
「はい、閣下」
「あ、いや。何でもない」
「は?」




