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LN東條戦記第2部「変革宰相」  作者: 異不丸
第3章 敵の亡ぶる夫迄は
38/53

10 国策完遂決議

昭和16年11月19日。水曜日。東京府、帝国議会。


第77回帝国議会は5日目に入った。最終日である。

衆議院は、国策完遂決議を全会一致で可決した。


国策完遂に関する件

世界の動乱愈々拡大す敵性諸国は帝国の真意を曲解し其の言動倍々激越を加う

隠忍度あり自重限あり我が国策夙に定まり国民の用意亦既に成る

政府は宜しく不動の国是に則り不抜の民意に信頼し敢然起って

帝国の存立と権威とを保持し以て大東亜共栄圏を建設し

邁んで世界永遠の平和を確立すべし

右決議す



衆議院はこの日、請願委員会からの15件の請願特別報告を採択し、建議委員会からの5件の建議を可決した。今議会の議事日程は終わった。すでに、政府提出議案15件を可決・承諾し、議員提出案12件を可決している。5日間の臨時会としては、相当に頑張ったと思う。

しかし、小山議長は無念の思いを感じていた。

今日の議事の冒頭では、異例の懲罰委員会を開いたのだ。




一昨日の特別委員会は秘密会であった。当然ながら委員たちには守秘義務がある。

といっても、法令上は曖昧だ。議員の守秘義務と罰則を明確に定める法律はない。もともと、衆議院の議員には、後援者や新聞記者たちに議会審議の裏側を語る者が多かった。それが議会で代議士だという思いをもっている。

貴族院議員は勅選であるが、衆議院議員は民選である。だから、議案や議事の内容を選挙民である国民に知らせるのは当然だという考えである。


しかし、秘密会では帝国外交の機微、交渉条件が議論された。これから臨む交渉への対応や条件は、当然ながら機密事項だ。交渉相手に漏れると、帝国が不利になる。当たり前だ。

そもそも、日米交渉の内容を教えろと迫ったのは衆議院であった。政府は議会の要請を容れて、一部を明らかにした。それを第三者に漏らすのは、道義的にはもちろん、衆議院の威信の上でも大問題である。議員の規律を正さねばならない。



一昨日の11月17日、国籍法準備法案委員会に委員として出席した議員片山某は、それを漏らした。その夜、委員の選に漏れた議員数名、水谷某や鈴木某、浅沼某らに乞われて、委員会審議の一部を語ったのだ。そこまではいいだろう、議員同士だ。しかし、その席には朝日新聞の記者2名がいた。さらに、料亭の部屋は新聞社の手配によるものだった。

全員が、1時間後に踏み込んだ警視庁特別高等課に逮捕され、手帳の速記録も抑えられた。


夜半に内務省警保局長から電話を受けた小山は愕然とした。

「議員には不逮捕特権がありますぞ」

「国防保安法ではありません。外患罪です」

「ええっ」

「ですから、この電話も議長の許可を求めるものではありません」

「う」


議会開会中の議員は逮捕され得ない、不逮捕特権である。しかし、内乱罪と外患罪の場合は例外であり、議院の許可も勅令も不要であった。

だが、内乱罪も外患罪も、まだ適用された例はない。公判の維持が非常に難しいからである。つまり、内務省はよほどの確信と証拠を持っているのだ。


「実は、お願いがあります」

「それは」

「今からお会いしたいのですが」

「どうぞ」

訪れた今松警保局長は、小山議長にある要請を行った。




「此の際に一言ご挨拶を申し上げます、今期議会は、会期極めて短きにも拘らず、特に時局の急務に応ずべき予算案並びに政府提出法律案及び其の他の議員提出各種議案を議了致し、事に本日全会一致を以て可決致しました国策完遂に関する議決に依り・・」

小山松壽は、議事終了を告げながら、無念の思いを感じていた。





同日、午後3時。総理官邸。


第77回帝国議会の閉会の後、首相官邸では閣僚懇談会が開かれた。

テーブルの上の2つの大皿には、それぞれバクダンとまんじゅうが盛られていた。

今日の議会では時間がとれなかったので、昼食代わりである。


「バクダン?ですか」

「ああ、おにぎりの包み揚げらしい」

「稲荷寿司みたいなものか」

「どこかの名物ですか」

「あちこちにあるらしいよ」

「ばくばくばく」

「「・・・」」

「爆弾と饅頭かあ。終わったなあ」

「ああ、一区切りですね」

「営府連絡会議の時ほどではないものの」

「5日間続けて議会に詰めるのは疲れた」

「首相、迎賓館は?」

「月末で外相にお願いしています」

「「わくわく」」



議会担当の国務大臣中野正剛は、ひときわ感慨が深かった。

(うまくやれたと思う)

本会議と秘密会を使い分けたが、国策を可能な限り説明し、議会の賛同を得た。これで名実ともに国論はまとまったと言える。

(次はいよいよ)

第78回となる次の帝国議会は、通常会だから12月26日から開かれる。あと1カ月ほどある。会期は3月25日まで4カ月。

(議会を正常に戻すのだ)


政党を復活させ、議会の機能を取り戻す。それが東條内閣における中野の役目だった。盟友と目していた緒方竹虎は去ったが、人はまだまだいる。

今の衆院議員の任期は来年の3月までである。次回の議会が終われば、総選挙だ。それまでに大政翼賛会を解消して、複数の健全な政党を復活ないし結党させる道筋を作らなければならない。

(やれるとも)

中野は、来週から閣議の合間を縫って、全国遊説に回る予定だ。各地の代議士や有志と時局演説会を行い、語り合うつもりである。そして同志を『近衛体制打破委員会』に糾合するのだ。




議会が終われば、大臣たちは省務にもどり、それぞれの課題解決に向かう。政策を立案し、次の議会までに法案にまとめなければならない。1カ月しかないのだ。


橋田文相は、主管している国民精神文化研究所や国体明徴運動を民族研究所に吸収統一し、国籍法改正に向けて堅固な理論を構築する。国民精神総動員運動も新局面になる。


賀屋蔵相は、いよいよ直接税中心税制と自由経済に入る。それに先立って、数カ月で消費を喚起させる。策はある。商工省も陸軍省も協力してくれる。議会にも賛同者は多いようだ。そして、12月の通常会では決算と予算が審議される。


藤原商工相は、まずは産業復興、それから輸出品の振興だ。帝国製品の国際競争力を高めるには緊急輸入が必須で、まだ時間がかかる。その前に日昌丸。また復員してくる将兵の就職先もある。陸軍は鉱業や土木を中心に考えているらしいが、鉱毒解決がある。新旧財閥との対決と説得は避けられない。


豊田海相は、憑かれたように爆弾と饅頭を喰っていた。時々なにかを呟いている。目つきが異様である。全員が視線を合わせないようにしていた。


井野農相は農地改革と地租改正である。早い段階で素案を大蔵省に渡さねばならない。それをもとに、予算策定がされるのだ。


小泉厚相は、結核対策に碧素1号の投入時期を決断しなければならない。商工省と協力して、労働環境の改善や最低賃金の策定もある。それらは、国籍法改正準備法案の中で、国民の義務と権利の1つとして挙げられていた。



一方で、今現在進行している重要案件もあった。

重光外相は、これから本省にもどり、松井全権と吉田全権に訓令電を打つ。両大使への約束は、ようやく公けなものになった。切り札はすべて揃ったのだ。存分にやれるだろう。



そしてもう一件。

東條首相は、結論を告げる。

「それでは上奏は見合わせます」

閣僚懇談会の議題は、帝国憲法第14条にある戒厳令だった。



11月10日に密かに発動された一斉検挙は、14日の全国拠点同時突入、翌15日の近衛公襲撃で頂点を迎えた。


国民は、ゾルゲ諜報団の陰謀、警察による実力行使、要人襲撃、主義者の抵抗と逃亡を逐一、新聞で知らされる。それに加えて、同時に開かれていた帝国議会の議事として、日支停戦、日米交渉、大陸政策の変針なども知らされた。毎日、重大ニュースが報じられ、解説や社説の紙面にも事欠くありさまである。報道する新聞社も読者である国民も、混乱するばかりだった。


新聞には、根拠とされる犯罪の説明もあった。警察発表によると、容疑は治安維持法、国防保安法、内乱罪、大逆罪、外患罪などで、いずれも最高刑は死刑だ。内乱罪は首謀者だけが死刑とされているが、大逆罪や外患罪は死刑しかなく、未遂や予備、誘致でも死刑である。一味と目されれば、只で済まないどころではない。


警察は陸軍連隊区の協力を得ると、突入区域を重包囲して、国民の生活区域と遮断することに成功していた。野次馬として群れるものもいない。警察の実力行使に巻き込まれる者は少なく、ほとんどの国民は見えないふりをして、人の集まりを避けて通る。一般国民による騒乱はない。


また、玄洋社の頭山総帥は、右翼を厳しく統制していた。これまでの騒乱にみられたような観念右翼らの参加や暴発はない。ごく稀に、主義者と右翼による刃傷沙汰もあったが、警察は、実力行動に及んだ壮士たちを穏便な処置で済ませた。警察署の留置場は満員と言うことで、連隊区の兵舎にまとめられ、兵たちの歓待を受けたのだ。


内務省警察による検挙対象はあくまでも主義者たちである。かろうじて重包囲を抜け出した主義者は、最寄の細民地区や朝鮮部落に逃げ込んだようである。だが、警察は注意深く遠巻きにするだけで、まだ突入はしていない。新しい包囲網の構築を待つ。そこの住民は帝国臣民であるからだ。



事態は管制されていた。閣僚たちは戒厳令の必要を感じない。

「では、これで懇談会を終わります」

星野書記官長の声に、閣僚たちは立ち上がった。



東條首相は、しかし、一人で黙考を続ける。

帝国に於ける議会の位置は協賛機関である。政府内閣の施策について事後承諾を行う。政府内閣は議会で報告を行えば、それで内閣は議会の承認を得たことになる。審議や修正を行うが、あくまでも協賛を目的としている。つまり全否定はない。

しかし、東條は将来のことも考えていた。


いつまでもできるわけでもないし、やるべきでもない。注意深く慎重にやっているが、専権と言われればそうかもしれない。

いつかは後進に譲る時が来る。その時、何が起きるか予断はできない。ソ連の浸透は防げそうだが、次は米英だろう。日本人は米国に無邪気なあこがれを抱いているのだ。

やはり健全な批判と監視は必要だ。そのために、議会で先例を積み上げておく。次回議会では、政府施策はより深く公開され、議論されるだろう。


東條は顔を上げた。

明日は久々に大本営政府懇談会議だ。




同じ頃。


閑散とした衆議院本会議場で、ひとり残った小山議長は考えていた。

もはや、新聞社と記者たちはあてにならない。中野には悪いことをしたか。わたしのやり方はもう通じないようだ。来年は66歳、そろそろ頃合いか。

継続委員会での継続審議だと。えらいことを思いつくやつだ。しかし、わたしの仕事にはなるまい。次の議長に申し送るか。





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