7 シアトル
1941年11月16日、日曜日、午前。米合衆国ワシントン州、シアトル。
日本郵船の浅間丸は、午前10時にシアトルに入港した。日本時間では翌17日月曜日の午前3時になる。4日に横浜港を出航してから12日である。通常より2日も早い。新任の在米特命全権大使の吉田茂を、一日でも早くワシントンへ着任させるためである。
氷川丸と日枝丸の2隻で、日本郵船は横浜-シアトル間を14日間で定期運航していた。定期航路ではカナダ国バンクーバー島のビクトリアにも寄港するが、今回は素通りしてシアトルへ直行である。浅間丸は、氷川丸より大型であり、航海速力も3ノットほど速かった。
すでに、乗客のほとんどがデッキに出ている。今の季節は小雨や霧雨が多いと聞いたが、今日は雲は多いもののそれなりに晴れていた。
フィヨルドに浸食されて形成された山容は、日本のそれとは違うようだ。入り江を上って行くと、左舷にシアトルの街が見えてくる。高い建物はスミスタワーか。港は、横浜港よりもよほど大きいか。
気温は7℃、思ったほど寒くない。それは暖流のアラスカ海流のせいだ。だから、夜明けからずっと外の景色を見つめていた者も多い。重一もその一人だった。
山藤重一は外務省外交官補、つまり入省したての見習い外交官である。今回の渡米の辞令は在米帝国大使館外務書記生で、もちろん、はじめての外国渡航である。不安もあるが、感激もある。真っ直ぐ奥に富士山より高い山が見える筈だが、遠くは霞んでいてはっきりしない。う~ん。
突然、重一の後ろから声がかかる。
「なにを見とれているのか」
驚いて振り向くと、結城書記官が睨んでいた。ワシントンの大使館に応援に赴任する。つまり、重一の上司だ。
「いえ。シアトルの地勢を考えていました」
「ほう。例えば?」
「良港と水、温暖な気候・・」
「ふむふむ」
「人が集まって街ができるには、やはり、それなりの理由があるものなのだと」
「当たり前だ。馬鹿かね、君は」
「う、ひどい」
「今、日米は非常時だ。もう少し別の視点が」
「あります」
「ほう」
「例えば、水力発電によるタコマの金属精錬所群とか」
「なるほど。しかし、君の赴任先は華盛頓だよ」
「はあ」
「まったく、危機感が足りない」
要するに、結城書記官は愚痴りたいのか。その思いが顔に出た。
途端に睨まれる。
「君は外務省の威信を・・」
(これは説教は免れないな)と重一が覚悟したところへ船内放送があった。
サロンに入ると、一等船客の全員が集まっていた。
そこへ、制服を着た中年の白人女性が入ってくる。彼女は、米国入国管理官だ。一人ずつ船客の名前が呼ばれ、旅券を差し出すと、彼女は愛想よくスタンプを押してくれた。外交官、軍人、民間人の順で、国籍は関係なく名前のABC順のようである。
入国手続きが終わった。
浅間丸が接岸したのはグレートノーザン鉄道が直営する専用桟橋である。貨物優先に設計されているが、今日は、市庁舎での午餐会に出席する吉田大使一行の移動を優先する。桟橋内に大型乗用車が数台、エンジンをかけたまま停車していた。
桟橋には、近郊から集まった日本人らが大勢いた。花束を持ち白いドレスを着た少女たちもいる。吉田大使歓迎の垂れ幕もあった。
吉田を先頭に、下船する一等船客は少女らから花束をもらい、日本人会代表から歓迎と激励の声をかけられる。
市庁舎の午餐会では、シアトル市長の歓迎スピーチが始まっていた。
「・・でありますから、日米友好を歓迎するのであります」
かつてシアトル市は日米貿易で大きくなってきた。日本から生糸が輸入され、日本へは屑鉄、機械、木材などが輸出される。それらの半分近くがシアトル港と隣のタコマ港を経ていた。輸入品はシアトルから東部へ、輸出品は東部からシアトルへ、それぞれ鉄道で運ばれる。
近郊には1万6千人を超える日本人がおり、米国最大規模の日本街がある。寺も神社も、銭湯だってあるのだ。
シアトル市にとって日米貿易は死活問題といえるのだが、ここ数年の米政府の対日貿易制限と米国内の反日気運で取扱は落ち込んでいる。そこへ、7月24日の在米日本資産の凍結令だ。シアトル市長は、日本政府以上に、吉田新大使に期待するところが大きい。それはシアトルを起点とする鉄道会社にとっても同じだった。
シアトルからは、3つの米国大陸横断鉄道が発していた。
ノーザンパシフィック鉄道、グレートノーザン鉄道、ミルウォーキー鉄道の3つともに、シカゴに終着する。グレートノーザン鉄道は、一番北寄りの路線である。略号はGN-CB&Q、またはGNである。
GNの大陸横断鉄道は、シアトルがあるワシントン州から、アイダホ、モンタナ、ノースダコタまでは、ほぼ米加国境に沿って東へ直進する。ノースダコタから45度折れ、ミネソタ、ウィスコンシン、イリノイのシカゴと南下する。
シカゴまでおよそ3600kmは、特急列車『エンパイヤビルダー』でも車中3泊から4泊かかる。
午餐会は、乾杯の後に食事に入った。
オードブルが配られ、ワインが注がれる。
山藤重一は、初めて米国料理の皿に挑む。これが本場の洋食かぁ。
ぱくぱく、もぐもぐ、ぐいぐい、ごくごく。
吉田の答礼スピーチが始まる。もちろん、英語である。
「本日、帝国議会に於いて東條首相が日支停戦を発表され、また領土の野心なしと・・」
喚声が起こり、会場は拍手で埋まる。
「日米関係は安泰なのであります。日米航路は増便される。輸出入も増える」
また拍手が起きる。
「その多くはシアトル経由となるのです」
「それから、これはまだ秘密ですが」
吉田は思わせぶりに間を取る。
「順調に進めば、来月には特別仕立ての船が参るでしょう」
会場は拍手に包まれる。招待客は立ち上がって拍手する。
シアトル市長とノーザン鉄道支配人も大喜びだ。
(流石は吉田閣下だ)結城書記官は感心していた。
吉田茂は先月の7日に夫人を亡くしている。船内ではふさぎがちのように見えた。それでも、公式行事や仕事はしっかりこなす。
(それにくらべて、このカンポは)
結城は、となりでデザートを山盛りにしている重一を睨みつけた。
山口吾朗は、市庁舎から南に数分のところにいた。
全米2位の高さというスミスタワーの前の通りを東に歩いている。
しばらくして、南に折れる。目的のホテルはこの先にあるはずだ。
パナマホテルは角地にあった。5階建ての建物は、立地が斜面だから一部は6階となっている。いや、地下1階か。
吾朗はホテルを視認すると、中には入らずに歩き続ける。周囲の街路を確認して覚えておくことは、任務の初歩だ。公園や木立、駅や商店街など、縦横に連結できるように位置関係を頭に入れる。
いつか元の通りに戻っていた。
シアトルに着いたばかりの三等船客が道に迷うことは珍しくはない。物珍しげに辺りを見回すのも当然だろう。
(高いからあれにするか)
港、ホテル、駅などの位置関係を、スミスタワーを中心に整理することにした。結果に満足すると、パナマホテルに向かう。
吾朗が後ろを向けた通りを、大型車の行列が通り過ぎていった。
ホテルの地下にある銭湯、『橋立湯』の着替え室にはロッカーがあった。日本のとは違って、オーバーコートがまるまる入る高さだ。幅もあって、人がひとり楽に入れるくらいだ。トランクやスーツケースを持って、そのまま入浴に来る客も多いだろう。湯船は石造り、大理石か。
先客がひとり湯船にいた。ちゃぷ。
吾朗はかかり湯をすますと、頭を下げて男の横に浸かる。
「今日着かれたんですか?」
「はい。三等でしたから、風呂は2週間ぶりです」
「浅間丸でしたね。やはり2段寝台が4つの8人ですか」
「いや6つの12人です。賑やかでいいですが、行水だけではね」
かかり湯だけで恐縮だったので、シャワーは毎日浴びていたのだと強調する。
「そうですか。わたしは氷川丸でした」
「もう長いのですか」
「まだ2年にはなりませんよ」
「いいお湯ですね」
「はい。日本人はね」
「はい。やはりお風呂です」
しばらく世間話をして、先客はあがっていった。
吾朗は洗い場に座り込み、港で購入した米国産石鹸で垢を落しにかかる。
ざざーっ。お湯をかぶると、また湯船に浸かる。
吾朗が自ら課した任務は、大きく3つあった。
1つ、すでに北米に散らばっている要員と接触し、掌握して任務を更新する。B号作戦もある。
2つ、米国の新事態に対応する新機関の立ち上げ。今日着任した要員がこれにあたる。A号作戦とR号作戦の2つがあった。
3つ、新庄大佐を長とする、中南米を中心とした新機関の設立と緊急任務の実施。
さらには、吾朗自身が新たな状況下での練度慣熟を求めていた。
(2週間では厳しいかな)
吾朗は湯船を出ると、水で顔を洗う。
着替えて部屋に向かう。どこかから、吹奏楽が聞こえてきた。
キング街停車場では、特別編成列車に乗り込む吉田大使一行を、市長や市民、日本人らが見送っていた。楽団が景気のいいマーチを吹奏している。
「おおお」
山藤重一の前には、特別編成列車があった。列車は合わせて9両で、前2両と後ろ1両が機関車らしい。直行無停車ということで、軽油や水のタンク車もあった。
(凄く速そうだが、何か異様だな)
重一は何かを予感していた。




