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LN東條戦記第2部「変革宰相」  作者: 異不丸
第3章 敵の亡ぶる夫迄は
31/53

4 所信表明


昭和16年11月16日、日曜日。東京府、帝国議会。


第77帝国議会は2日目に入った。衆議院は、午前10時45分に開議した。


まず、今朝の奉答書捧呈に対する陛下の勅語が報告され、全員が起立して拝聴した。

総理、外務、大蔵の各大臣から発言の通知があって、順次之を許すと、小山議長が宣言する。すなわち所信表明である。総理大臣東条英機大将の演説はレコード盤にされて、ラヂオ放送されることになっていた。


「東條内閣総理大臣」


東條が登壇する。頭を下げて、持ってきた原稿を広げ、順番を確認する。左右に細かく顔を振って、マイクや水差しの位置も確かめる。納得がいくと、大きく頭を下げて、演説を開始した。

「現下重大なる時局に際しまして、第77回帝国議会開会せられ・・」


時に右手を後ろに組み、時に両手を演台に突っ張り、ゆっくりと間をとりながら続ける。

「・・此の機会に於きまして政府は国策遂行に関しまして、率直に所信を披瀝致しまして、各位のご協力を願い、挙国一致鐵石の意志を以て現下未曾有の国難を克服し・・」


東條は世界情勢を案じる。支那情勢からだ。

「・・赫々たる戦果を収め、重慶政府の抗戦力は日に月に低下しつつあるのであります。又他方国民政府の建設は着々進捗し、今や多数の友好列国は国民政府を承認し、事変解決は最後の段階に到達しているのであります・・」


東條が大きく間をとる。

「政府は重大なる決意を持ちまして、最後の段階を進めます。即ち重慶、中華民国政府との間で日支停戦の基本合意に達しました」


「「えっ、えっ」」

「「おおおーっ」」

「「ついにやったか」」

衆院本会議場が大きくどよめく。拍手をするもの、隣同士で私語を交わすもの。数人が立ち上がる。

「静粛に願います」

小山議長が注意する。


東條の演説は、南方情勢に移っていた。

「・・英米蘭諸国の軍事的並に経済的合作の強化に伴い、蘭印との経済交渉は不調に終わり、延いて南太平洋に於ける帝国の地位に重大なる脅威を及ぼさんとする形勢となりましたので・・」


南部仏印への進駐に至る経緯と、英米蘭諸国が発動した資産凍結と全面禁輸を説明する。

「蓋し交戦関係にあらざる国家間に於ける経済封鎖は、武力戦に比しまして優るとも劣らざる敵性行為であることは言を俟たないのであります!」

拍手が起きる。



政府委員席では、閣僚たちが首相演説に対する議場の反応を見つめていた。

(なんとか日支和平は受け入れられたか)

(しかし、英米蘭への柔軟な対応は軟弱と見なされる)

首相の次に登壇する予定の、重光外務大臣にとっては他人事ではない。

自分の原稿を読み直し、どの辺りを、強い語句に言い換えられるかを考える。


議会対策を担当する国務大臣の中野正剛は、議員を一人一人見つめていた。いつもなら、真っ先に拍手するか野次を飛ばす議員が、なにやら手帳に書き込んでいる。

(田渕仙人が質問に立つのか!)


田淵豊吉は、和歌山2区の衆院議員で、無所属ながら5期を務める。大地主の4男で事業経験もあり、早稲田大学から7年間の欧米留学で博識を誇る。変人でもある。仙人とあだ名される理由の一つに『空気を読まない』がある。関東大震災や満洲某重大事件など、議員として迫真の演説は有名だ。


中野と田淵の仲は悪くなく、どちらかというと同志に近い感じだ。中野も硬骨漢で通っているが、田淵と違って、世俗にはどっぷりと浸かっている。空気も読むし、党利も図る。それなのに、満洲の演説では比較対象にされて、いい迷惑である。


(外相演説に仙人が質問したらやっかいだな)

田淵が質問に立てば、日米交渉も世界情勢もなにもかも無視して、ひたすら帝国外交の義を追及するだろう。特に日米間の問題は微妙だ。仙人の追及に外相が窮するようなことがあれば、せっかく醸成してきた日支和平や仏印撤退への空気も吹っ飛ぶ。


中野は腕組みをして考えを巡らす。

(三人の演説後に、休憩をはさんでもらうか)



首相の演説は、外交を終えて、内政に移った。

「事態が如何様に発展致しましょうとも、高度国防国家体制の完成こそは、正に喫緊の重大要事であります、是が為に益々国民志気を緊張し、産業経済の能率を最高度に発揮するの要切なるものがあるのであります・・」


「私が茲に衷心より希望致しますることは、全国民が、帝国は今や一大飛躍の秋に際会をし、前途洋々たる発展を期待し得べきことを確信をして、相共に今日の苦を分かち、国民一丸となって聖業の翼賛に邁進せんことであります」

また拍手が起きる。


東條は、挙国一致と高度国防、それに至る労苦に国民が敢然と結集するように、その施政方針を述べた。美辞麗句は決して使っていない。暗然とした調子はないものの、むしろ臥薪嘗胆を匂わすものであった。


「・・最後に護国の英霊に敬弔の誠を捧げ、戦線銃後の奮闘努力に衷心感謝の意を表するものであります」

大拍手の中で、東條首相の演説は終わった。

席に戻る東條は、重光外相と目を合わせる。

(なんとかやった)

(次は、わたしも)



「重光外務大臣」


議長に呼ばれ、重光が登壇する。

「不肖今回図らずも帝国の外政担当を負うことと相成りまして、本日茲に帝国政府の外交方針につき、聊か所見を申述ぶるの機会を・・」


重光が、外交方針の所信演説を始める。日支事変の英霊に敬弔を表した後に、明治維新以来の国威の伸張から始めたが、いきなり発言が入った。

「それは要らん!」

「静粛に願います」


「・・帝国は幾度か国難を打開して参りました、就中日露の戦役は・・」

重光は、日露戦争の勝利の前には、三国干渉の臥薪嘗胆があったことを強調した。さらに、露西亜が革命で蘇連となっても、北方の脅威は解消されず、むしろ危機が高まりつつあること。その背後には、ソ連共産党の拡大主義と、共産主義の世界浸透があることを述べる。


「わかっとる」

「で、どうするのだ」

内容が迂遠なのか冗長なのか、演説に不満な議員たちの勝手な発言が続く。

「静粛に願います」


「北方に於いて平和の攪乱せらるるが如き素因構成せられ、又は帝国の権益が脅威せらるるが如き事態の発生に対しては、飽くまで之を防止せんとするものであります」

重光が、武力発動を匂わせたところで、ようやく拍手が起きた。

(やっとか)


外相演説は、北方と支那を終え、南方情勢に入る。

「・・第三国側より、恰も帝国が是等方面に侵略的意図を有するが如き悪意の宣伝が行わるるは洵に心外とする所でありまして・・」

また発言がある。

「しっかりやれ」

「君、だまれ」

「ご注意します。静粛に」


一人の議員が退場を命ぜられた。外相の演説は日米関係に入っている。

「・・前内閣に於きましては、本年夏以後に於ける情勢の逼迫にも顧み、鋭意日米交渉の成立に努力致しましたに拘らず、彼我意見の一致を見るに至らなかったのであります」

いよいよ、外相演説の胆である。議場は静まる。議員たちは揃って、重光を見つめる。

(どき)

緊張のあまり、外相は水差しから水を飲んだ。

「ごくごく」


「「「!!!」」

「あああっ」

「吸い口じゃないぞ」

「大臣は病人か!」

「君、退場!」


「・・右日米会談を継続するに決定し、爾来交渉中であります、隋て其の内容に付ては遺憾ながら今茲に詳細申上ぐる自由を有しませぬが、若し夫れ米国政府が帝国政府と同様・・」

「がんばれ」

(おうっ)

「・・本件交渉の妥結も決して不可能ではないと考える次第であります!」

拍手が起こる。

(おおおっ、よし)


重光は、一気に終盤に入る。

「技術的方面より見まするも、今後の交渉に長時間を費すの要なきことは、米国側にも明かであると信ずるのであります。事態斯くの如くでありまして、帝国政府に於ては本交渉の成立に向かって、最善の努力を傾注して居る次第であります」


「・・以上率直に本大臣の所見を披瀝致しまして、茲に一億同胞の支援と協力とを切に翼望するものであります」

外相の演説が終わって、拍手が起こる。

(ほっ、おわった)

重光は、また水を飲む。

「ごくごく、ごくん」



「賀屋大蔵大臣」


賀屋蔵相が登壇する。水差しは交換された。


「過般内閣の成立に際しまして財政営理の重任を拝し、茲に臨時軍事費追加予算及び昭和16年度追加予算の大要を説明致し、併せて我が国財政経済の現状に付き所見を述ぶる機会を得ましたことは、私の最も光栄とする所であります」

賀屋は前内閣からの留任であり、そつなく演説を進める。


蔵相は演説の中で、追加予算の説明をさらっと流し、帝国の財政を「毫末も国費の用を缺くことがありませぬ」と言い切る。これには、もちろん大拍手が起こった。

続けて、明治以来ずっと歳入は拡大を続けて来たと、日本の経済状況を好調と断じた。また、拍手が起こる。笑っている議員もいる。

資源開発、生産設備に関しても、「帝国、満洲、支那、東亜諸国と合わせれば、欧州各国に引けを取ることはない」と打ち上げた。


議員たちは大喜びだ。拍手が止まない。

「「いいぞ、いいぞー」」

だが、政府委員席では、大蔵官僚たちが複雑な表情をしている。

そして、閣僚たちはあっけにとられていた。


気を良くした蔵相は、さらに吹き上げる。舌好調だ。

「従前の世界に於ける大規模な戦争の実例に徴しまするに、金利は反発し、為替相場も動揺するのが常であるます。然るに事変下我が国に於きまして、金利も為替相場も、政府の企図致しまする目標に全く安定して微動だにも致して居りません!」


いつのまにか、ほとんどの議員が拍手をしていた。

静止すべきかと迷っていた小山衆院議長も、いつかしら両手を打ち鳴らしている。

東條は思い出していた。

(思う存分に発言していいと、たしかに、わしは言った)

万雷の拍手で、議場はごおんごおんと唸りを上げる。

その中で、賀屋蔵相は演説を終わろうとしていた。


「終わりに臨み、幾多尊き護国の英霊に対し衷心敬弔の意を表すると共に、遠く前線に奮戦せらるる皇軍陸海軍将兵の武運長久を祈念致すものであります、尚政府提出の予算案に付きましては、何卒速やかに協賛を与えられんことを希望いたします」

賀屋は蔵相として言うべきことを、しっかりと言い終わる。



「暫時、休憩とします」

小山議長の言葉が浸み渡る。

衆議院本会議場にいた全員が疲れていた。




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