3 用賀
昭和16年11月16日、日曜日。早朝。東京府、用賀、東條私邸。
山口志郎は、今朝は車で来た。
電車が物騒というより、東條首相の私邸までの検問を抜けるためである。昨日から、府内要所と要人邸周囲では厳戒態勢が敷かれている。
車は95式小型自動乗用車を4人乗りに拡張したもので、すなわち日本内燃機製のくろがね4起の改造実験車だ。
総力戦研究所高等班の最初の設計演習で採用された3つの改造案のうちの1つで、歩兵部隊に同行する通信車を想定していた。内燃機を水平対向型1500ccに換え、車体を伸ばして、無線機と発電機を積む車内空間を作る。無線機は通信距離10kmの九四式五号無線機で、附属の手廻し発電装置とは別に、内燃機と連結された発電機と蓄電池も搭載することになっていた。
通信兵の装備なので、制式化されれば「2式自走無線機弐型」となるか。
それまでのくろがね4起に比べて、車高が低くなり振動もかなり減らすことができた。ただし、新設計の車体外観は、量産化対応のために四角形と直線を多用している。丸いくろがねの印象は薄れて、もはや別の新型乗用車だ。それでは、目立つ。
今回、市街地での走行試験のために持ち出すにあたり、機密保持のために旧車体に近い偽装がされている。そのため、むしろ狭く窮屈になっていた。
車高に合わせて運転席も低く設置されたが、今は旧車体なので、背を伸ばさないと前方視界が悪い。小柄な運転兵は、時々、腰を浮かしながら口の中で何かつぶやいていた。
助手席の岩山伍長はまあ快適であるが、後席の志郎と清水少尉は体を寄せ合っていた。もともと、くろがね4起は、前席2、後席1の3人乗りである。
「なかなかうまくいかないものですね」
「まあね。車高は低く、地上高は高く」
「いえ、そうじゃなくて」
「え。車輪の大きさかい?」
「「・・・」」
95式小型自動乗用車改「自無弐」は、順調に検問を通過して、用賀の東條邸に滑り込んだ。
東條と志郎は、鍵をかけた書斎でデータ交換をして、進捗を確認する。
例によって、東條の画面には天気予報が表示される。
『晴れ d(^o^)』
「なに?」
「どうしました、東條さん」
「いや、晴れはないだろう」
「でも、順調に進んでいますよ」
「しかし、土肥原さんや田中の作戦は想定外だし」
「はい」
「海軍大臣の豊田大将の取り込みもまだだ」
「はい」
「曇りか雨じゃないのか?」
「ああ」
志郎は、コーヒーカップに口をつける。
「東條さん、重要なのは目的を達成することです」
「え?」
「自分の手順を実行することではありません」
「あっ」
「情報は蓄積され、結果は順調なのです。計画通りです」
「そうか」
「誰もが目的を掲げ、計画を立てる。計画は、目的達成の手段なのです」
「・・・」
「別の方法があれば、それを使っても良い」
「・・・」
「自分のやり方と違うとしても、妨害者や反対者とは限りません」
「ああ」
「東條さんの目的を果たすのが最重要であって」
「うん」
「東條さんが考えた手順や方法を、逐一実現することは二の次なのです」
「まいったなあ」
「誰もが、ここで判断を誤ります」
「なるほど」
「部下が工夫して売った5円より、自分の売り方での4円に固執する」
「うう」
「売り上げが1円伸びた事実を軽視すれば、部下はくさりますよ」
「士気は落ちるし、誰も付いてこなくなるか」
「組織の長がはまりやすい陥穽です」
「気をつけよう」
「明日、吾朗と吉田新大使がシアトルに着きます」
「いよいよ日米交渉、正念場だ」
「重光さんは?」
「松井閣下の報告電は外務省宛だ。特電もすべて教えている」
「仏印撤兵は?」
「やはり武藤をやることにした」
「むこうには岩畔さんもいますね」
「うん。その前に杉山さんの出番だ」
「ああ」
「田中も妙なところで人情家だな」
「はい。佐藤軍務課長もそうですね」
「あいつはただの熱血漢だろ」
「類は友を呼ぶ、といいます」
「志郎さん、それはないだろ」
「あっはっは」
「独逸の方ですが」
「うん。大島でいくことにした」
「やはり」
「いまさら、と重光さんがな」
「時間がありませんからね」
「駐独ドイツ大使に代わる人材はいないと」
「大島さんは、ヒ総統と直に会えますからね」
「それだよ」
「総統やナチス党幹部の信頼を得るには」
「数カ月では足りないさ、1年はかかる」
「それでは間に合わない」
「直接に手渡すのが要件だからね」
「大島大使でも二人きりは困難でしょう」
「なに、責任はとってもらうさ」
「・・・」
「その後の日独間の連絡だが」
「今回と違って嵩が必要ですね」
「商船は臨検に遭う。軍艦は開戦の事由にされる」
「潜水艦ですか」
「豊田海相に聞いてみた。その、北極回りをね」
「はい」
「現状装備では無理だと」
「では」
「3500トン級の大型潜水艦を新造すれば可能だそうだ」
「あいかわらずですね」
「まったく」
「すると、やはり」
「ああ。吾朗君の線か」
「もしくは、甘粕さんの線ですね」
「あれはどうなのかな」
「運貨筒はだめでしょう」
「曳航する当の商船が臨検されるからな」
「英米の音波探信儀はあなどれません」
「ゆ号もだめかね」
「研究は続けています。に号かぼ号でしょうね」
「・・・」
一段落した二人は、煙草に火を点ける。
「甘粕さんが、昨晩、みえられました」
志郎が昨晩のことを話すと、東條も心当たりがあった。
「阿片の件だな」
「はい」
「興安軍官学校からも出動させたという」
「すると」
「うむ、なかなか大掛かりになって来た」
「土肥原さんの三分の計ですね」
「しかし、満洲皇帝をどうやって動かすのか?」
「土肥原さんは溥儀皇帝が苦手で、直接は会えない」
「溥儀皇帝は家庭教師のジョンストンの洗脳を受けているしな」
「餅は餅屋といいますから」
「目的には沿っている。わかっているよ」
「はい」
「甘粕さんが、心配です」
「そうか」
「ちょっと負担が大きいのでは?」
「しかし、それをいえば吾朗君もそうだが」
「吾朗はいいです。ああいう子ですから」
「いいだろう。君の息子さんだ」
「東條さん、時間は?」
「ああ、今日は所信演説だったな」
「お願いします」
「なあに、うまくやるさ」
東條は立ち上がる。
「甘粕のことはカツに言っておく」
「はい」
「昼前には、ここに来るだろう」
「よろしくお願いします」
「志郎さん、今晩はどうだ」
「そう、ですね」
「3時にはもどれると思う」
「はい、そうしましょう」
「そうか、ありがとう」




