2 登戸の鯉
昭和16年11月15日、土曜日、夜。川崎市、登戸。
川崎と登戸を結ぶ南武鉄道は、今は延線されて川崎と立川を結んでいた。
支線と貨物線はその周辺まで延びており、2年前には川崎と溝口間は複線化されている。
その登戸駅のあたり、旧橘樹郡の稲田町や向丘村、生田村は、3年前に川崎市に編入された。
南武鉄道線を北上すると、登戸駅のすぐ先で小田原急行電鉄線と交差する。小田急電鉄の駅は稲田多摩川駅だ。その北はもう多摩川で、登戸の渡があった。小田急線に乗り替えて西へ一駅行くと稲田登戸駅で、その先が東生田駅、さらに西生田駅である。
この周辺は帝国陸軍の重要軍郷の一部である。
相武台と呼ばれる座間の陸軍士官学校に始まって、相模原の陸軍造兵廠、原町田の陸軍病院と陸軍通信学校を経て、登戸から調布飛行場に至る。登戸近辺には軍需工場と研究施設群があり、すぐ南の溝口には陸軍演習場があった。
総力戦研究所高等班は、陸軍科学研究所登戸出張所に間借りしている。
座間から調布まで引いた幅広の帯の中に、登戸は入るのだ。
山口志郎陸軍主計大佐の住いは、南武鉄道線の登戸駅から南の府中街道に向かう途中にある。表通りには結構な邸宅や屋敷が多いが、志郎の家は裏通りに入った50坪の庭付き借家である。
陸海軍共に、佐官用官舎の標準が30坪、尉官用が16坪、下士官用が10坪であるから、庭を入れて50坪なら標準的だ。佐官用官舎は一戸建てだが、尉官や下士官の官舎は2軒長屋がふつうである。
志郎の借家は、陸軍省兵務局長の田中隆吉少将の手配による。
引退した陸軍将官が邸宅の裏の林を区画して2軒の借家を作った。将軍ともなれば、退役しても恩給やら名誉職やらで収入に困ることはないのだが、支出もまた多い。将官なりの付き合いがあるのだ。なにより子沢山であって、下の二人は出世が見込めそうにない。50坪の借家が2軒あれば、下の二人が中佐どまりでもなんとかなるだろう。そう思案した結果だった。
田中局長は、親ばか、いや子煩悩の退役中将夫妻を、軍務の必要と息子の出世との両方から口説き落とした。1軒分の借賃で2軒とも借り上げたのだ。さらに、決して小規模とはいえない改築も承諾させた。
借家の玄関が面する裏通りは車が通れる幅はなく、また通り抜ける人も少ない小路である。
しかし、車が寄せられないとやはり不便だ。表通りに止めた車まで歩いて行くのは、無防備で間が抜けている。そこで、表の邸宅との間の塀を改造し、その車寄せまで行き来できるようになっていた。
総力戦研究所高等班の土曜日は半ドンである。
朝一番で次週の予定と課題を通知され、各自はその準備に入る。つまりは予習であるのだが、実習演習段階に入っているので、所内だけでは準備ができないことが多い。班員は、行動計画を立てると、思い思いに外へ散る。電話をかけて、役所や会社の知り合いを訪ねるもの。東京の本屋や洋書屋に行くもの。もちろん、そのまま家に帰ったり、近くに息抜きに行く者もいた。
志郎とて、高等班員10名だけをみてるわけではない。
彼ら10名が現場に復帰して実務に入るまで、まだ2ヶ月もある。それを待つだけとはいかないので、志郎は、緊急の作業を既存の陸軍組織で開始していた。碧素1号の量産、碧素2号の研究。迎撃戦闘機キ44の改設計。新型陸軍特殊船の設計と、既存特殊船の改造案・・。
班員10名を見送ったあと、清水と岩山に手伝わせて書類を作成する。それらを陸軍省兵務局と医務局、教育総監部、航空総監部へ送付する手続きが終わったのは、正午過ぎだった。
研究所の食堂で昼食をもらって、登戸の借家に帰る。
清水憲兵少尉と岩山憲兵伍長もここから非番に入る。二人とも独身だ。今晩はここで過ごすという。
女中も土曜の午後と日曜は休みで、実家の狛江村に帰って月曜の朝まではいない。
「「わいわい」」
三人は家にある食材を吟味し、献立を考える。
「「それ、これ、あれ」」
手分けして、炊飯と調理をし、風呂を沸かす。毎週土曜日の恒例であった。
秋の夕暮れは早い。日没は午後4時半である。ラヂオをつけ、交代で風呂に入る。
最後に上がった岩山が、配膳を始めようとしたところに、客が来た。
三人は目を合わせる。
「「「・・・」」」
警報が鳴らなかったので、怪しい客ではないのだろう。
志郎が玄関に出てみると、満映理事長の甘粕正彦が立っていた。
「やあ」
風呂を出た甘粕が、借りた丹前姿で廊下を渡り、志郎の待つ8畳の座敷に入る。
「いいお湯でした。志郎さん、ありがとう」
「甘粕さん、どうぞ」
床の間を背にして座についた甘粕に、志郎が酌をする。
「こりゃ、どうも」
注がれたのはビールだった。
すでに暦は立冬を過ぎて、小雪も間近い。だが、部屋には甘粕と志郎、それに清水と岩山の4人。小振りの火鉢も1つあって、寒くはない。
「いただきます」
甘粕は、ごくごくと喉を鳴らしてビールを飲んだ。
「先だっては吾朗がお世話になりました」
「いやなに。しっかりした息子さんです」
甘粕と志郎は、再び会釈を交わす。
「未熟者です。引き立ててやってください」
甘粕にも妻子はあったが、その話は避けようか。と、志郎は考える。
「こどもの時間ですか」
「え?」
混乱する志郎に、清水が目で合図する。
(ああ、ラヂオのことか)
「すまないが、都市放送を聞きたい」
「いいですとも」
返事する志郎は、ほっとしていた。
岩山が立って、ラヂオを都市放送に合わせる。
きゅぃ~んん。
『・・が襲撃されました。今朝8時13分・・』
都市放送はニュースをやっていた。このあとに解説がつくはずだ。
しかし、四人共に既知のことで、特別の関心はない。
それよりも。
三人の興味は甘粕にあった。
玄関から客間に入った甘粕の袖からは、かすかに硝煙の匂いがしたのだ。
服も、オーバーはなくていいとしても、三つ揃いの背広がないチョッキだけ。
ほかならぬ甘粕の服装としては異常だった。
何かあったに違いない。
しかし、甘粕は、三人の視線を外すように、食卓に目を落す。
「ほう。鯉づくしですか」
甘粕の前には、鯉の洗い、皮の湯引き、切り身の焼き物が並んでいた。
「女中の実家からの差し入れです」
「そうですか、多摩川ですね」
甘粕は洗いをひとつ、口に入れる。
「臭みがないです」
「二週間、庭の池で泥抜きをしました」
「なるほど」
「池の水草もいろいろと」
「ふ~む、これはこれは」
「「「・・・」」」
あきらめて、三人も皿に箸をつける。岩山が火鉢に燗の用意をする。
もぐもぐ。ごくごく。
突然、甘粕が言った。
「そう、まな板の鯉と言いますね」
(((げぇっ)))
「ああ、すみません。食事中でしたね、正にその鯉を」
(((うっ、うっ)))
「い、潔いことですね」
「死ぬ運命を受け入れるという」
「従容として、ですね」
三人は一言ずつ返事すると、揃ってコップを空ける。
「伍長、燗酒をくれ」
「わたしも」
「はい」
甘粕は、面白そうに三人を見ていた。
また、甘粕が唐突に言う。
「帝国がまな板の鯉になれますか!」
「「「げふんげふん」」」
「満洲はなりませんよ。わたしもです!」
「「「あ、はい。いや、その」」」
甘粕は首を俯け、じっと鯉料理の皿を見ている。
「「「・・・」」」
ようやく志郎が真正面から聞く。
「どうされましたか」
「ああ、はい。知り合いが逝きました」
「それは。ご愁傷さまで」
「いや、それが、感じないのです」
「え?」
「悲しいし、悔しい・・」
(((うんうん)))
「ところが」
「はあ?」
「涙が出てこないのです!」
(((あああ?)))
「甘粕さん、それは?」
「もっと衝撃を受けるかと思ってました」
「ああ」
「この、鯉の味噌焼きがうまいのです!」
「「「えええ」」」
「長い付き合いだった。それなのに」
(((・・・)))
「この鯉がうまい。うまい。ぱくぱく」
(((・・・・)))
「わたしは、冷血漢なのでしょうか?」
「あ、いあや、どれそれ」
「どうも、混乱しているようです、わたしは」
「「「はい!」」」
さすがに、甘粕は鼻白んだ。




