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LN東條戦記第2部「変革宰相」  作者: 異不丸
第3章 敵の亡ぶる夫迄は
28/53

1 帝国議会


昭和16年11月15日、土曜日。東京府、帝国議会。


第77帝国議会臨時国会が召集された。


明治23年に帝国議会が開設されて、まもなく51年になる。昨年の11月29日には、陛下の親臨を仰いで、議会開設50周年記念式典が執り行われた。40年の長い間、仮議事堂であったが、新しい国会議事堂がようやく、昭和11年11月7日に完成した。中央塔は三越本店よりも高く、その威容は、三角形の敷地と合わせて、東京の新名所である。



『朕茲に帝國議會開院の式を行ひ貴族院及衆議院の各員に告く

 帝國と締盟各國との交際は益益親厚を加ふ朕深く之を欣ふ

 朕は國務大臣に命して特に時局に關し緊急なる追加豫算案

 及法律案を帝國議會に提出せしむ

 卿等克く朕か意を體し和衷審議以て協贊の任を竭さむことを望む』



衆議院では小山松壽議長が、議事を進める。議会開院初日の議事は、だいたいが恒例である。

まずは、開院式における陛下の勅語に対する奉答文の起草である。小山議長が起草委員18名を指名し、直ちに文案を作成、昼過ぎには全会一致で奉答文案が可決された。


今議会の開院における陛下の勅語には、臨時予算案の審議を求めると共に、各国との親善を慶ぶ旨があった。事変の前の例に戻ったようである。支那事変勃発後のここ数年間にみられた、事変の目的や戦況に関する言及がなかった。

これは、事変の終わりを意味するのか。多くの議員たちが、勅語の意味を図っていた。



議長と副議長はそれぞれの公的活動、帝国や帝室への行事参加などを報告する。

次に、議会書記官が政府提出の議案や議員の異動を報告する。

議員資格が無効となった者や退職者、さらに物故者の氏名が読まれるのだが、今議会では物故者が多い。時々、議場ではため息やざわめきが起きた。


物故者として福岡県選出の松元政一郎の名が読まれた時、議場はひときわ高いざわめきに包まれた。

昭和11年からの衆院議員であるが、折に触れて過激な行動をとり、まるでなにかを喧伝しているかのようでもあった。全国水平社の委員や議長であったときもある。社長を務める松元組は、地元では土建業としてよりもやくざとして有名らしい。自身も前科があり、入獄と出獄を繰り返した身である。



事件は、数日前に起きた。松元と松長が口論の末に差し違え、両名共に絶命したという。

松長高左衛門は大正の頃に衆院議員に当選したこともあるが、東邦電力社長や電力王として名高い。明治8年の長崎県の商家の生まれで、松元より12年ほど年長である。

松長は、はじめ福岡の電気軌道、つまり路面電車より事業を始めた。電燈、電力と拡大し、九州関西の電力界を制覇して、帝都東京に進出した。それが東邦電力である。松元は、松長の弟分であり、鉄道関連の土木工事を請け負って松元組は大きくなった。


新聞では、あまり大きく報じられなかった。それは、目撃者も大勢いて、事件の経緯も明確なのに、二人の口論の事由がはっきりしないからだ。その分、噂としては広がることになる。

現場は松長の別宅。松元は議会出席の挨拶に来たらしく、周囲には二人の縁者や書生らも大勢いた。九州人の常として、天下国家を論じ合い、時流の日支講和までは異論はなかった。が、その後に日米融和の話になって口論が始まったらしい。これまで長い付き合いの二人では、口論も日米融和もあり得ない。


二人なら凶器にも困らない。松長の家なら、刀剣の一振りや二振りは床の間に飾ってあるだろうし、欄間に槍があってもおかしくはない。松元が懐に匕首を入れておくのも嗜みのうちだ。

記者が事件の扱いに苦慮していた時に、一斉検挙が発動された。帝都周辺では、府下の上野浅草から蒲田大森、隣の川崎や鶴見、埼玉や千葉でも大騒動、大騒乱である。

紙面は限られている。記者も上司の指示には逆らえないし、何が売れるかの鼻は利く。

結局、二人が死亡した。それ以上の報道はなかった。



議場では報告事項が続く。

内閣よりの通達として、政府委員の名簿が読まれる。大臣以外の各省次官や官僚は、政府委員として通知されていないと、答弁に立てない。

さらに、全院の委員長と常任委員の選挙が行われる。前後して、議員提出の議案が報告される。



東條陸軍大臣が登壇する。支那事変の戦況報告である。

「私は陸軍大臣と致しまして、陸軍に関しまする戦況を報告申し上げますことを光栄と致します・・・」

東條は、本年における陸軍の主な作戦の経過と戦果を報告する。5月の山西省における中原作戦にはじまり、江北作戦、長沙作戦、北江作戦、鄭州作戦、沁河作戦など。戦果報告の中では拍手も起こる。


「・・全陸軍はここに益々有形無形の戦力を充実致しまして、上 聖慮を安んじ奉りますと共に、下 銃後の熟誠に応えんことを期して居る次第であります」

東條の報告が終わると、大拍手が起こった。



次に、豊田海軍大臣が登壇し、海軍の戦況報告を行う。

「支那事変に関しまして、前議会以後に於ける海軍作戦の概要に付いて説明いたします」

「揚子江方面の作戦は、河口から約八百浬に及ぶ揚子江上及び之に連接する水路の・・」

海軍の作戦は、陸軍と協同しての封鎖作戦と航空作戦が主であった。


「・・先般本院を代表せられまして、議員諸君が親しく戦地に於ける部隊を始め、各地病院をご慰問下さいましたことに対し・・」

海軍大臣の報告は、議会と国民に対する感謝の意で終わった。大拍手が起きる。



ここで、小山議長は議員提出議案の審議に入る。

議案は決議案で、「陸海軍に対する感謝の件」と「戦死者に対する敬弔の件」である。

提出者が登壇して、拍手の中で趣旨説明を行う。



陸海軍に対する感謝の件

聖戦方に四年半我が忠烈なる陸海空の将兵諸氏は寒暑を冒し風雨を凌ぎ健闘貫戦克く未曾有の戦果を収め、御稜威の下国威を中外に顕揚す是れ全国民の挙げて感激措かざる所なり

今や時局多端情勢滋々重大を加ふ速に時限を克服して興亜の大義を完成し以て世界永遠の平和に寄与するは皇国の使命にして一に諸氏の努力に俟つもの多く其の労劬愈々大いなるべし

衆議院は茲に院議を以て感謝の忱を表し併せて将兵諸氏の勇健を祈る

右決議す



戦死者に対する敬弔の件

衆議院は今次の聖戦に従い勇戦奮闘命を君国に致したる皇軍将士の英霊に対し深厚なる敬弔の意を表す

右決議す



採決は総員起立、全会一致で可決された。大拍手が起きる。

東條陸相と豊田海相が、感謝と礼を言うために登壇した。




この後、議会は長期在職議員の表彰決議などを行って、初日は午後7時前に散会となった。

東條は用賀の自邸に向かう。豊田は、水交社へ直行した。





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