序 重慶の霧
昭和16年11月15日、土曜日。夕方。中華民国、重慶市。
日支交渉全権の松井石根陸軍大将は、例によって、早めの晩酌をやっていた。今日の晩酌の相手は、首席随員の後宮淳陸軍中将である。
松井の副官の奥田道夫陸軍中尉は、書類整理の傍ら、二人の酒を世話していた。
部屋のフランス窓は小さく開かれていて、時折、カーテンが揺れる。
重慶市は奄美大島とほぼ同緯度、亜熱帯性内陸気候で夏は蒸し暑い。三方を山に囲まれており、夏を除いて風が強くなることはなかった。晩秋のこの時期は涼しいが雨が多い。雨は夜だけで、昼間は霧となるのが通常だ。日照が少ないので、昼間でも20℃を超えることは稀である。が、夜間も10℃を下ることはないから、支那の奥地としてはずいぶんと暖かい方だ。通常の軍衣で問題はない。
しかし、奥田は内地から取り寄せた除虫菊を盛んに焚いていた。
「今日、第77臨時帝国議会が開院されました」
「うむ」
「が、問題がありましたようで」
「ほほう」
「定刻より1時間ほど遅れたそうです」
「なるほど」
大日本帝国議会は、貴族院と衆議院が同時に開院される。開院式は貴族院で行われ、陛下が御臨席される。そのため、貴族院本会議場には玉座が設けられてあった。
今朝、貴族院本会議場には議員が参集していたが、10分前になって開院式の遅延が報知された。会議場には、どっと喚声が起きた。
((まさか陛下に?!))
一昨日の情報局発表の直後に検察・警察は動いた。共産主義者、反政府主義者、無政府主義者など不穏分子に対する一斉検挙を発動したのだ。反抗もあるだろう。
議員の面々もそれを聞いており、よもやと思った。
「遅れたのは、貴族院議長が襲撃されたからです」
「ほう」
「アカの一派が登院中の近衛公を」
(ま、自演だろ)
「え?」
「いい。続けてくれ」
「は。宮相と内府は大事をとって」
「よし」
「・・陛下は何事もなく開院式に」
「それはよかった」
発動された一斉検挙は大規模なものだった。
東京、横浜、大阪、名古屋、京都、広島、福岡をはじめ、各地で数十人規模の主義者・アカが未明のうちに拘束された。各府県警察は、はじめから重包囲の配置を敷き、包囲陣が完成したところで、小隊規模の警備隊を先頭に不穏分子の拠点に突入した。それでも、抵抗は大きかった。
「先陣の警備隊とそれに続いた巡査隊は、拳銃を外して警棒だけで」
「うむ!」
「警備隊の一部は、帯剣木銃だったそうです」
「やるな」
「はい。応援に出た各連帯区の歩兵も、第一線は実包なしの帯剣小銃だけでした」
「背嚢も手榴弾も外して、だな?」
「はい。外側の第二陣だけが実弾装備。軽機もこちらだけに」
「そうか!」
「なお、連動して各県境近くの峠や間道にも」
「出勤したのか」
「警察の指揮のもと、ですが」
「気にするな。それより」
「はっ」
そこで、後宮中将は振り返って奥田を見た。
「奥田中尉、聞いたとおりだ」
奥田は飛び上がり、直立して後宮と対面した。
「はっ」
後宮は、笑っている。横から、松井が声をかける。
「奥田の進言どおりの二重包囲だ。殲滅帯もな」
「はっ」
「戦車小隊は民家を潰して第二陣の射界を確保したと言う」
「はっ」
「「喜ばんか!」」
「えへへ」
奥田中尉は、半年前は北支那派遣軍にいて、5月の中原会戦にも参戦した。
特務機関所属だった奥田は、当初は観戦のつもりで参陣したのだが、どういうわけか最後には、軍刀を抜いて白兵戦を戦うことになった。ある人物のせいである。
中原会戦では、作戦立案から前線の戦闘までを実地見聞した。奥田は、奉天会戦との比較研究として戦訓報告書にまとめあげた。それを、折から出張して来ていた田中隆吉兵務局長に提出した。中原会戦の中で収集した国府軍や中共軍の暗号書類と共に、田中少将は受け取った。
「この後はどうなる?」
後宮の問いに、奥田は胸を張って答える。
「はっ。包囲網の中で殲滅戦の反復でしょう」
「なるほど」
「どれくらいかかるのか?」
「場所と地勢によりますが、まず2週間」
「食糧と水か」
「それが一番です」
「ありがとう」
後宮は松井に向き直った。
「海軍陸戦隊も出ています」
「陸海協調だ」
「よくもまあ、大勢が集まっていたもので」
奥田が情報を出す。
「土曜の朝に一斉蜂起を企んでいたとか」
「週末の議会開院日か」
松井が結論を出す。
「内務省の事前探索の成果だな」
三人は知らなかったが、内務省の準備は念入りだった。
作戦計画では、今回の一斉検挙には1ヶ月かける。重包囲は2週間は解かれない。一般住民の食料と便所は念入りに調査され、対処には別部隊が編制された。
それでも、主義者の一部は包囲網をすり抜け、次の拠点に集合するだろう。それは、市街なら河原や橋の下、市外なら山村の谷間など、つまり部落民や朝鮮人の居所の筈だった。
そうなれば、次の作戦の開始であるが、それには議会の結果を待たねばならない。
「東京からは、そんなところです」
「ありがとう。さて」
松井が姿勢を正す。後宮もグラスをテーブルに置いた。
「今晩もですか」
「来る、と思う」
松井の予感はよくあたる。後宮も奥田もそう思っていた。
水曜日からほとんど毎夜、蒋介石総統は松井の部屋を訪問していた。
一言だけのこともあるし、1時間も居座るときもあった。
日支講和の大要は、この松井と蒋の夜の会談で進められていた。
昼間は、次席や随員が細部を詰める。蒋が昼間の交渉の席に現れたのは、木曜の1回限りだった。
「今晩は何でしょうな」
「さて」
「これまでの合意は・・」
明日の日曜日には、増援の随員や委員が到着する。来週からは複数の委員会を設けて、それぞれ詳細条件と条文作成に入るのだ。
後宮は、今までの経過をまとめていた。
木曜の公式会談では、松井全権と蒋総統が出席し、日支停戦と日本軍の撤兵が合意された。これが日支和平基本合意である。木曜午後と金曜は、停戦範囲と期間、撤兵地域の順位と期日などが詰められた。例外事項と突発事態への対応方法も議論した。ここまでで、停戦協定として最低限が整った。
今日は、中国内地18省における日本権益の放棄で合意した。
中華民国は、放棄される権益に応じて適切な補償金を支払う。つまり、日本の権益を中国が買い取るのだ。さらに、通州事件・済南事件に対して謝罪と共に賠償を行う。形式や名目をどうするかは来週から詰めることになる。
これで、帝国臣民が求める謝罪と補償金の基礎ができた。
「なんとか国民には申し開きできます」
「うむ。金額が不足の場合は、あれを」
「ああ、あちらを出してもいいですね」
「金は金。隠すつもりはない」
「もちろん、すべて国庫に入れますから」
「蒋はむしろ、その方が好都合だろう」
今回の講和交渉でも、当然ながら秘密条項はあった。その筆頭が麻薬、阿片の利権である。
蒋は、執拗に北支の早期撤兵にこだわった。それは、天津の阿片市場を中共から奪還するためだ。いまや、満蒙と北支の阿片は無視できない生産量となっている。上海市場だけではだめなのだ。
蒋の後ろ盾は、宋財閥に代表される華南商人である。彼らの利益を保証するためには、支那全土の阿片は中華民国政府が掌握しなければならない。
松井は、東條から預かった切り札の1枚を切っていた。
阿片に関する全てを蒋介石に譲渡する。さらに、熱河・内蒙古の阿片も全量を売却する。満州用には中華民国から再購入する。
それは、甘粕正彦が機関の総力を挙げてまとめたものだった。どうまとめたか、その過程は知らない。が、たいしたものだ。
松井は、国民が無視できない金額を追加することができた。
「国民に対する申し開きはできました」
「なんとかな」
「残るは、あと2つ」
「外務省と陸軍か」
「「・・・」」
松井は、用賀の東條自邸での会談を思い出す。
もう1ヶ月近くになるか。その日、松井と東條と重光の三人は、日支和平の最低条件を議論したのだ。まだ、帝国国策もどうなるか不明であった時である。
3人の結論は、支那全面撤退の大義名分として、3つだった。
1つ。国民を納得させるために、謝罪と賠償金。
2つ。外務省の対米交渉のために、開戦原因は中国。
3つ。陸軍を納得させるために、日本の勝利。
「相手があることだからな」
「欧米の介入がある前に」
「わかっとるよ」
「閣下」
「・・・」
そこで、奥田が後から後宮に囁く。
「後宮閣下、そろそろ」
「え」
後宮は時計を見て、気がついた。
「これは!」
後宮は急いで立ち上がる。
「失礼します、閣下」
「おう」
しばらくして、松井は窓の前に立った。カーテンを開けてみる。
外は一面の霧である。




