表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
LN東條戦記第2部「変革宰相」  作者: 異不丸
第2章 外はすなわち国交を親善にし
22/53

7 特務兵監

昭和16年11月13日、木曜日。朝。東京府、教育総監部。


陸軍教育総監の土肥原大将は、総監応接室で特務兵監の樋口中将と話していた。

二人きりだ。副官の山内禄雄中尉は副官室にいる。

(あるいはこの部屋を盗聴しているか)

(へ、へっくしょん)

土肥原は、禄雄のくしゃみが聞こえたようで、にやりとした。


「総監?」

「うむ、断っていいのだぞ。樋口」

「いいえ、やらせてもらいます」

「山下に合わせる顔がなくなるのだが」

「もう、皇道派も統制派もないのです」

「うむ」

「山下中将の人望は篤い」

「そうだな」

「しかし小官は、北の最果ての地の軍司令官で終わる」

「・・・」

「それがせいぜいです」

「いいというなら、やってもらう」

「はっ」


およそ組織には『汚れ仕事』がつきもので、もちろん官庁にも陸軍にもあった。

『汚れ仕事』の内容には、帳尻を合わせるための『端数のついた領収書』を都合することから、通常の通達や説得では対処できない『ちょっと強引な人事』などがある。さらに、非常に稀だが、内務三役が対面しているような『秘密裏の排除』などもないわけではない。通常、『汚れ仕事』を担当するのは組織事務方の長か次長であり、教育総監部では本部長がそれにあたる。

教育総監部本部長は、陸士22期の安達二十三中将である。


「安達には向かない仕事です」

「そうだな」

「こういう仕事は特務兵科がやるべきです」

「そうなのだがな」

「なにか問題ですか。総監」

「特務兵科には、大きく2つの役目がある」

「諜報と工作ですね」

「そうだ」

「いずれ工作は汚れ仕事です」

「それなのだが」

「はあ」

「すると諜報も汚れ仕事になるのか?」

「ああ」


樋口季一郎は陸士21期で、参謀本部や新聞班員など情報畑が長い。駐在武官やハルピン特務機関長も務めたことがある。土肥原と同じく情報将校であった。だから、土肥原の言わんとすることは理解できた。対して、陸士22期の安達二十三は歩兵畑の秀才である。

土肥原には、安達を温存したい理由があった。


「工作は、情報を収集するために行われる」

「あるいは、情報を活用するためですね」

「情報は、帝国の首脳に上げるものもある」

「上で判断してもらうためです」

「それだから、情報部門の長は『身綺麗』でなければ」

「お考えはわかりました」

「で、どう思う」

「はい。2つあります」

「うむ」

「1つ、樋口はすでに身綺麗ではありません」

「そうだったな」


樋口がハルピン特務機関長の時代に、少々派手なことをやらかしていたことを、土肥原は思い出した。


「もう1つは?」

「特務兵科で情報の評価を行うべきでしょうか?」

「やはり、そう思うか」

「はい」

「悩んでおるのだ、実は」

「特務兵科で情報収集を行う」

「集めた情報の裏取り・履歴をあたり、取捨選択を行う」

「そのあとがな」

「陸軍ではここまででしょう」

「そうか?」

「特務兵科の対象は軍事情報に限るべきではありませんが」

「洗った情報は上に上げるべきか」

「内閣か議会かは判断できませんが」

「つまり身綺麗な情報部門を別に作れと」

「・・・」


樋口は沈黙した。この先の判断は土肥原総監、あるいは陸軍首脳の役目だ。

収集部門が情報の評価も行うのは、危険であると思えた。どうしても、収集者の主観や、収集時の状況やらに縛られるだろう。諜報には犠牲が出ることもあるのだ、集めた情報が嘘偽でありましたでは浮かばれない。そう考えるのがふつうだ。


「わかった、評価の件は陸相に諮る」

「はっ」

「仕事の方は頼んだぞ、特務兵監」

「はっ」


仕事とは『汚れ仕事』、すなわち、東條首相から降りてきた、陸軍部内のアカ分子を排除する件である。

H級将校30数名の裏取りや証拠・証言は揃っていた。上は陸士23期の大阪兵器補給廠長から、陸士37期の参謀本部作戦課の班長や陸士44期恩賜の班長補佐、下は陸士55期を卒業したばかりの見習士官もいる。すでに人事発令により、陸軍官衙の枢要な部署からは遠ざけてあった。

土肥原も何人かを「仕事」していた。



用件が終わったとみて、樋口特務兵監は退室しようと立ち上がる。

「少し待て」

「はっ」

手で樋口を隣に呼ぶと、土肥原は部屋の隅の電話を取り上げる。振り向いて、送話器に手の平で蓋をして見せる。樋口は、笑いをこらえる。


それから、土肥原は、天井に向かって話した。

「土肥原だ。副官は、本部長を呼んで来るように」

『はい。山内副官は安達本部長を呼んで参ります!』

土肥原は、片目を瞑って見せる。樋口は笑い出す。


今度は、土肥原は蓋をした手を外すと、送話器に向かって叫ぶ。

「至急だ。急げ!」

『はっ!』

「「・・・」」

『あれっ、しまった?』

土肥原と樋口は笑い転げる。

「「あっはっは」」



しばらくすると、安達本部長と一緒に、仏頂面の山内禄雄が入室して来た。

安達は、土肥原と同じく6日に着任した。教範内容見直しを一斉に始めた、各兵科監の事務処理に忙しい。さらに、陸軍士官学校や陸軍大学の教課や講座、陸軍法制の見直しも担当している。支那事変では、多くの戦訓が得られていたのだ。


「座ってくれ、本部長」

席に座った安達が、メモ帳を出そうとするのを土肥原が止めた。

「筆記は副官がやる」

「はあ」

「失策の罰だ」

「え?」

安達には意味が分からないが、樋口はにやにやしている。

赤面した禄雄が復唱する。

「山内副官は、口述筆記の準備が整いました!」

「よし!」



土肥原教育総監は、安達本部長と樋口特務兵監に、帝国の大陸政策の変化を告げた。

二人とも驚いた。まさか、本気で日本が大陸から手を引くとは。

安達も樋口も、日露戦争直後に陸軍士官学校を卒業しているから、感慨は深い。


「昨夜の重慶からの至急電は読んだな」

「「はい」」

「陸軍、いや帝国で一番の支那通の松井閣下です」

「支那との手打ちは近い」

「だから、帝国も陸軍も変わらざるを得ない」

「戦略ということですね。では朝鮮は?」

「ふむ、鶏肋かな」

「百済の頃の朝鮮人はもういません」

「敵国に渡さねばいいと」

「つまり、いざという時に占領できる戦力を」

「占領もいらない。妨害が出来ればいい」

「それで敵前上陸と海上機動ですか」

「ふふ。海軍の手前があるからな」

「なるほど」

「それと、海軍は港を潰せばいいそうだ」

「清津と釜山を埋め立てる」

「そこまで?」


「すると、満洲も」

「わしなら要らん。東條は別のことを考えているかな」

「甘粕は?」

「あれのは、夢だろ。だが、覚めつつある」

「朝鮮は半島という大陸の一部です」

「大陸に対する日本の夢は東條が覚ましてくれる」

「あとは、溥儀陛下次第」

「代わりは?」

「東北や北海道、千島や樺太、沖縄や台湾だ」

「しかし海軍が」

「だから、教育総監部を第2陸軍にするし、帝国空軍も」

「なるほど」


「山下はどうするかな?」

「人一倍の忠義者です。まじめに考えられたら」

「東條首相とそう変わらない結論となるでしょう」

「それでいい」

樋口は山下を説得するつもりだと、土肥原は見た。


「東條が時間を稼いでくれた」

「陸軍省と参謀本部の混乱のことですね」

「教育総監部がやれるのは今しかない」

「はっ」

「一気呵成だ」

「はっ」

「しかも、仕上げなくてはならぬ」

「先は長いのですね」

「よろしく頼むよ」

「「はい!」」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ