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LN東條戦記第2部「変革宰相」  作者: 異不丸
第1章 内はすなわち教化を醇厚にし
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終 水交社


昭和16年11月8日土曜日、夜。東京府、麻布飯倉、水交社本部。


桜田門の警視庁、内務省の前の通りを南に下ると、虎ノ門の交差点である。続いて、神谷町をさらに下って、飯倉一の三叉路となる。その右側に水交社があった。水交社は、海軍士官のための親睦団体であり、つまりは海軍将校専用のカフェ、クラブであった。国内外のあちこちにあるが、本部はここ麻布飯倉一丁目である。


帝国海軍は、英国王立海軍を模範としており、スマートがモットーだ。であるから、売り子や女給はメイド服を着用である。由緒正しくヴィクトリア朝の、丈の長いロングスカートのワンピースは濃紺色で、対照的に真っ白いエプロンにはフリルがついている。もちろん、ホワイトブリムもレース付のカチューシャである。もっとも、近頃は、デパートの食堂も、銀座のカフェも、女給のお仕着せはメイド服であるのだが。


噂では、海大を優等で卒業して海外留学が決まった者や、駐在武官など単身出張する者は、最低で7回の水交社通いが海軍内規だという。理由は軍機である。補助の類はないが、割引券はあるらしい。戦隊司令では無理だが、艦隊司令官や鎮守府司令長官なら発給できるという。その内規は、どうもメイド服に慣れ親しむのが目的らしいが、事情を知らない者には、何のことだかさっぱりわからない。


最近、水交社でもっともメイド服が似合っているという女給が一人いた。日本女性には珍しく、背が高く、足が長い。顔も彫りが深く、美人である。名前は八重といい、20歳を過ぎているらしいが、もちろんスマートな海軍士官は年を聞いたりはしない。八重は、このところ指名が多く、今日は2階の貴賓室についていた。



海軍大臣の豊田副武大将は、このところご機嫌である。東條陸助から、予算増額、鉄鋼増割、さらに南満州油田も分捕った。さらにさらに、海防艦や対潜哨戒機の予算追加もある。これだけ陸助に対して完全勝利をおさめた海軍大臣は初めてなのでないか。海軍内では意気軒昂、鼻高々だ。


今宵も、大勢を引き連れて気炎をあげに来た。海軍次官の沢本中将をはじめ、軍需局長、軍務局長などなどである。豊田の実績は、海軍の大御所である元帥伏見大将宮殿下や岡田大将も無視できない。水交社本部でも最上等の2階の貴賓室が用意されていた。まさに、飛ぶ隼をも落とす勢いではある。


「「かんぱ~い」」

カチンとワイングラスを鳴らすと、豊田は一気に飲み干す。

「豊田閣下、さすがです」

「「あっはっは」」

八重が、豊田のグラスにワインのお代わりを注ぐ。

「えと、幾つになったのかな?」

豊田が遠慮なく、ずばりと聞く。

「あら」

八重の声はハスキーボイスである。

「「げふんげふん」」

「あれ?」

「「ま、ま」」

「閣下、八重さんは毎日勤務じゃないのです」

「お、そうか」

「週に2、3日です。閣下はついておられる」

「そうか、そうか。では、美人の八重さんに乾杯」

「「かんぱ~いい」」


水交社の人事でも女給や料理人の身上調査は厳しくやっているが、特に2階の貴賓室や個室に出入りする給仕や女給の履歴は海軍省にも回されていた。もともと、海軍関係者の伝手がないと水交社の雇員や給仕にはなれない。八重は、さる軍人一家の親戚の娘である。家庭の都合で、毎日は勤務できないのだという。


「ん?第一委員会の4人はどうした?」

「少し遅れるそうです」

「ふん、未練たらしく、まだやっておるのか」

「日米戦がなくとも、海軍は拡大しているというのに」

「「豊田閣下のおかげです!」」

「ふふ、そうか」

「そうですとも。元帥宮でも、こうはいきませんよ」

「そうか、こうか」

「「あっはっは」」


第一委員会の4人が加わると、座はさらに賑やかになった。

持ち上げられて、美人に酌をされて、すっかり豊田は出来上がった。

料理が並ぶと、沢本次官は八重に合図する。八重は、部屋の外に出る。

酔いが回ると、豊田の十八番がはじまるのだ。


「「豊田閣下、1号艦の話をお願いします」」

「そうか、そうか。いいとも」

「「わくわく」」

「東條陸助がな、米海軍に勝つにはどうすればいいと聞いてきた」

「「はいはい」」


豊田は、東條のまねをして唇を窄ませて言う。

『海軍大臣、軍艦で一番大事なのは何でしょう?』

「「そこで、そこで」」


「わしが言ってやった」

『大砲です。太く、長く、硬い大砲です!』

「「あっはっは」」


「絶句した東條陸助にな、止めを刺してやった」

『首相、黒光りの大砲がいいですぞ!』

「「ひゃっー」」

「「「ぎゃははっ」」」




水交社は、現役軍人のほかに、予備役軍人も利用する。予備役軍人は、背広で来るものも多い。さらに、海軍要人が招く各国の海軍武官や外交官も出入りするし、もちろん、帝国の政財界の客もいる。陸軍の要人が招かれることもある。陸海軍将官会議などもあった。



2階の別の部屋では、海軍省の経理将校らが大蔵省の主計官僚を接待していた。次回予算の予備交渉も兼ねている。


「ちょっと。対潜哨戒機が入ってませんが?」

「つ、対潜哨戒機?」

「いや、営府連絡会議で決まったでしょう」

「あっ、いいのか。増やしても」

「いいですよ。決まったことは」

(しめしめ)

「ああ、これはだめです。これは決定に入ってない」

「ええ」

「ほれ、ざっぱり」

「ひぃ、やられた」

「こっちもだ。ずばっ」

(あんた、映画の見過ぎだぁ)


「それで丙型海防艦ですが」

「なに。丙とは何だ」

「甲乙丙の丙ですが」

「甲型も乙型も造っておらんのに、いきなり丙型を造れるか!」

「しかし、予算と期日を考えると」

「!」

「それと梅型駆逐艦も」

「もういい!」

「では、哨戒機と海防艦は、護衛艦隊の予算に入れときますよ」

「護衛艦隊?」

「あれ?聞いておられない?」

「首相と海相が同意して、連合艦隊とは別に護衛艦隊をつくると」

「「・・・」」

「ま、来年度のことですから」


「・・それより」

「はい」

「丙の前の甲乙や、梅の前に松竹。なんとかなりませんか?」

「そうですねぇ」

大蔵官僚は、ちらりと女給を見ると答える。

「しゃぶしゃぶをメニューに入れてください」

「し、しゃぶしゃぶ?」

「そうです。至高のメニューです」

「は、はあ」

「それから」

「はい」

「床はもっと磨いた方がいい」

「ゆ、床ですか?」

「いいワックスを教えましょう」


海軍官僚が承知すると、話はどんどん進んだ。

「あれです。フネはどんどん作ってください」

「いいのですか!」

「守るも攻めるも黒光り、です」

「どうぞ、ドンペリです」

「さすが、わかってらっしゃる」

「スマートです」

「そうですとも」




さらに奥まった別の部屋では、私服の男たちが飲んでいた。

「今日は賑やかだな」

「海軍大臣が来てるそうだ」

「豊田か!」

「ふん、調子に乗りおって」

「いや、実績は認めようじゃないか」

「豊田は、あれでよろしいかと」

「そうなのか」

「支那派遣艦隊から古賀が戻ってきますが」

「豊田の後の呉鎮だな」


「山本を替える時期です」

「そうだな。あいつはうるさい」

「何をやるかわかりません」

「近衛公が京都に隠棲らしい」

「山本も舞鶴にやるか」

「いやといえば予備役へ」

「次の聨合艦隊司令長官は」

「近藤をあげるか、高須の兼務か」

「そうですな、もともと1F兼務でした」


「軍令部長はどうする?」

「及川が妥当なところだが」

「海相就任を断ったばかりで、あざと過ぎる」

「ふ~む。嶋田か?」

「豊田がどう言うか」

「では、台湾から長谷川を戻すか」

「そうなるな」

「ここは大事だ。下手すると山本軍令部長の声が出る」

「まさか」

「それだけは阻止したい」

「第2の真珠湾になってしまう」

「しばらく永野で様子を見るか」

「「・・・」」


「ここまでにしておきますか」

「そうだな。あとは、次回にしよう」

「なにかとりますか」

「軽いのがいいな、寿司とか」

「いや、ここの寿司はいい」

「じゃ、九兵衛に行きますか」




貴賓室では、酒宴は終わり、片づけが始まっていた。

が、酔い潰れた豊田がくだを巻いている。

「ううっ。わしは軍令部長がいいのだ、本当は」

「いや、豊田閣下には、このまま軍政畑で」

「「そうです」」

「そんなあ。じゃ参議官で予備役か」

「まあまあ、それは」

「待てよ。予備役になれば水交社の主になれるな」

「「はあ?」」

「すれば、メイド服か。面接ができる」

「大臣、それは」

「「まずいです」」

「予備役に入っても、米内さんみたいに遊んで暮らしたい」

「「あ、それはまずい、まずいです」」



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