10 検閲緩和
昭和16年11月8日土曜日。東京府、有楽町、朝日新聞東京本社。
朝日新聞は、昨年9月に、大阪朝日新聞と東京朝日新聞の題号を統一し、名実ともに全国紙となった。それは、政府・情報局の新聞社整理の方針に沿っている。
東京朝日新聞は、昭和11年の226事件で標的にされて、叛乱軍の侵入を受けた。しかし、主筆の緒方竹虎が叛乱将校を口説いて、事なきを得た。緒方は、それから重用されて、紙面論調を政府・陸軍寄りに主導してきた。特に、昭和12年6月に近衛公爵が首相になると、その政策立案本部である昭和研究会に多くの社員・記者を送り込んでいた。
出社した緒方竹虎は、いつものとおり、自紙を読んだ後に、競合他紙に目を通す。
まずは東日、東京日日新聞である。東京日日新聞は、大阪毎日新聞の東京向けの題号である。いずれは、東京朝日と同じく題号を統一して、全国紙の毎日新聞となるだろう。
一面に大きく、南満洲油田の記事があった。写真つきである。
『出た出た黒い原油! 南満洲油田だ! 現地特派員報告』
(抜かれたか)緒方は唇を噛んだ。
『・・ケーブル、ロータリー、ボーリングと地質に応じて異なる型式の試掘櫓が活動している。その後、採油中の井戸に案内される。苦力が二、三人で脚踏ポンプを押す。すると。出る、出る、黒い原油が滔々と・・・油量は、思いのほか潤沢で、帝国の年間軍民使用量を満たして、なおかつ余りある。・・』
東京日日新聞の記事は続く。阜新から新民、遼河河口までの地図もついている。ただし、一読しただけでは、それまでの探索・試掘の進展なのか、新しい油田なのかは判断できまい。油井の位置は巧妙にぼかしてある。もちろん、これまで興味をもっていて、蓄積のある者には理解できる。つまり、米英のことだ。
やはり、尾崎記者の件で、陸軍に距離を置かれたのか?
緒方の情報網では、南満洲油田は海軍が失敗した後に、陸軍が新式探索法を試みて、つい最近、大油床を発見したらしい、ということだった。それを、海軍に近い東京日日がスクープした。すると、何らかの事由で、手柄は陸軍から海軍に移されたのか。記事では、そこまでは判断できないが、緒方にも新聞屋の勘がある。二重に裏をかかれたのかもしれない。
そう言えば、このところ、東京日日新聞の論調は変わったようだ。同じ業界人である緒方にはわかる。政府寄りになるのは時勢がら仕方がないが、どうも陸軍を持ち上げる論調が目立つ。朝日は陸軍も海軍もどちらも平衡であったが、東日はずいぶんと海軍に近かったはずだ。ふぅむ。何かあったのか。なぜ、この緒方に聞こえてこない。
これまで、朝日も東日も、ほとんどの大手新聞が、支那事変の続行と英米との対決を基調に紙面を作って来た。政府や軍と軋轢を起こすより、外野席で高みの見物と戦争を煽った方が、楽だし儲かるからだ。満州事変の頃まであった批判めいた記事は、今はない。事変や騒乱が起きるたびに、大手新聞社の発行部数はうなぎのぼりに増えてきたのだ。
「緒方!入るぞ!」
大声がして、男が入ってきた。竹馬の友で親友の中野正剛国務大臣であった。どんどんと足音がうるさいのは、中野の片足が義足だからだ。
「また来たのか。今週だけで3度目だぞ」
「何度でも来るぞ。親友が滅亡するのを見過ごしには出来ん」
「滅亡って、大げさな」
「東條さんは本気だぞ」
「陸軍や政府に逆らうような・・」
中野は手をあげて緒方を黙らせると、そのまま、緒方の持った東日の紙面を指差した。1面の左下である。
『虚報訂正とお詫び~百人斬り・・・』
緒方は、大きく目を見開いた。
(虚報だと!誤報としないのか!)
百人斬りがはじめて報道されたのは4年前、昭和12年の11月30日で、南京攻撃開始が12月10日である。武勇伝の1つと紹介されたが、続報は実況報告として2年間も続いた。歌も作られている。
今朝の記事には、百人斬りが全くの虚報であり、記者ら関係社員を処分した、読者および国民に謝罪する、とあった。読者はいいとしても、国民にまで言及するのは尋常ではない。
「わかったか?」
「東京日日が陥ちたのはわかった。しかし」
「しかし?」
「虚報とは、どういうことだ?」
「捏造は報道ではなく、意見でさえない。非難、弾圧されてしかるべきだろう」
「扱いは情緒的だったが、全くの虚報ではあるまい」
「さて。バカな新品少尉が記者に踊らされたか」
「戦意昂揚だろう。それだけで、訂正謝罪記事か!」
「情勢が変わった」
「情勢?」
「松井大将のことは聞いているだろう」
「もちろん」
「鈍いな、今朝は」
中野が言うのはこうである。
水曜日に南京に入った松井大将は、交渉団の結成を済ませると、すぐさま情勢と懸案の拾い出しに入った。今回は、重慶を包囲した上での城下の誓いではない。交渉であるから、一方的とはならない。帝国にとって有利な情勢・状況を把握し、不利な事項・事件をすべて洗い出して、交渉時に使える札を選定・設定するのだ。
「なにぶん、帝国が圧倒的に有力・有利だから、重慶も必死になるだろう」
「そうだろうな。しかし、百人斬りがそれほど不利か?」
「蟻の一穴という。重慶には各国政府の代表も外信記者団もいる」
「あっ!」
「そうだ。上海陥落までは日支2国間で済んだろうが」
「なるほど。重慶政府は外国政府や外信記者の使い方がうまい」
「わかったか。陸軍は件の少尉二人を軍法会議にかける」
「えっ!」
「東日の記者4人とデスクは、現役兵に招集された。報道班ではない」
「そ、そんな!」
「一人は徴兵検査を誤魔化していた。東日本社も諦めたらしい」
「そこまでやるのか」
「まだある。東日の新原という記者も警視庁に拘束された」
「新原?新原丈夫か、海軍黒潮会主任の」
「ああ。こっちは、お前のとこの尾崎と同じく、らむぜい方面だ」
「ええっ」
「日米開戦を運動していたらしい」
「そんなっ。一介の記者になにができる」
「紙面を使えば国民が動く。よく承知だろう」
「うっ」
「ま、新原の件は海軍との取引材料だが」
「そうか」
「事後検閲に緩和されるといって、甘く見るな」
「ああ。明治以来の新聞紙法に、国防保安法か」
緒方が黙考を始めると、中野は煙草に火を点けて待つ。
このところ、中野は、一貫して、緒方に新聞社を辞めるように説得していた。
『いいか、今すぐにとはいかんが、いずれ翼賛会は解散し、政党が復活する』
『え』
『その時に俺は大臣を降りて、政党に戻る』
『だから、お前も政党を作れ』
『そうして、議会で帝国の行く末を正々堂々と議論するのだ』
『新聞を続けるなら、それだけに専念しろ。議員や大臣などに欲を出すな』
『議会でちゃんと議論が行われているかを検証する、健全な新聞は必要だ』
『今のような、国益や国民を無視した、部数目当ての新聞はいらん』
『潰すのか?』
『殲滅する。きれいさっぱり無くなってもらう』
しかし、緒方も、すでに朝日新聞社では重役だ。紙面のほとんどが、緒方の思うままに作られている。近衛政府と進めてきた新聞整理統合案が通れば、社主をも望める。緒方は躊躇していた。
『考えてもみろ。軍主導の政治は終わるだろう』
『日支、日米が妥結すれば、対ソ防衛だけだ』
『しかし、そうなれば、次は外務省が力を持つかも知れん』
『経済危機や経済発展なら商工省、緊縮財政なら大蔵省・・・』
『いずれ、軍部に変わる省庁が出てくるかも知れん』
『そういう時に、今のように議会が機能せず、新聞も警鐘を鳴らせなければどうする』
『先を考えろ。俺たちには、今の社会を誘導した責任がある』
『人気取り、揚げ足取り、利権、我欲私欲の議会を許してしまった』
『元に戻すか、いい方向に持っていくか、それが俺たちの世代の責任だ』
緒方は黙考を終えた。今までの中野との議論を振り返ったが、やはり決断はできなかった。
「それが、先週の日曜日に東條首相と話したことか」
緒方の言葉は、幾分、皮肉に響いた。
「あはは。やはり朝日も尾けていたか」
だが、中野は不敵に笑った。
「残念だな。しばらく頭を冷やして来い」
「すまない、期待に沿えなかった」
「水臭いことを言うな。まだ先は長いさ」
「そうだな」
中野が出て行く。
緒方には、もちろん感慨はある。中野は、同じ福岡の出身で、中学の1年先輩だ。そして、ずっと緒方を引き立ててくれた。東京高商を退学となった緒方を早稲田に勧めたのも、頭山満をはじめ国士の大物を紹介したのも、大阪朝日の新聞記者に誘ったのも、中野正剛だった。なにより、上京してからは、同じ下宿で、貧しい寝食を共にしたのだ。
緒方は、ひざにつけた手で顔を蔽った。
中野大臣は、朝日新聞東京本社の玄関を出る時に、左手に帽子を持っていた。そして、手に持ったまま、被らずに車に乗った。
緒方竹虎の部屋に警視庁特高課長が入って来たのは、中野が去ってからきっちり5分後であった。