9 新京
昭和16年11月6日木曜日。満洲国、新京市、関東軍総司令部。
満洲はもう真冬である。すでに積雪しており、北の国境の方では吹雪だという。新京は満州の中央部にあるが、もう、昼間でも気温が零度を上回ることはなくなった。あと10日もすれば、川の結氷がはじまる。
陸軍省軍務局長の武藤中将は、真冬の満洲に出張して来た。
目的は、関東防衛軍司令官の山下中将を引っ張り出して陸軍大臣に据えることである。関門は2つ、1つは上司の関東軍司令官梅津大将の了解である。もう1つは山下中将自身の納得で、つまり山下が東條総理の風下についてくれるかである。1つめもそうだが、2つめは特に困難と思われた。
帝国の満洲権益は、日露戦争後に、ロシアから関東州租借権と南満洲鉄道を得たのがはじまりであった。関東州とは遼東半島の突端の旅順と大連を指し、鉄道には附属地がついていた。紆余曲折はあったものの、満洲での権益は拡大してきた。そして、満洲事変、満洲国独立。
関東軍もそういう流れの中で、規模を拡大していた。最も初期の関東軍は旅団規模であったが、今は十数個師団をかかえて、満洲国の首都新京に司令部を置いている。先月より関東軍は総軍に昇格したので、その長は総司令官と呼ばれる。
総司令官の梅津美治郎陸軍大将は、陸士15期で多田参謀総長と同期、土肥原教育総監の1期上、東條陸軍大臣の2期上である。2年前の昭和14年9月に関東軍司令官に着任し、ノモンハン事件の後始末、綱紀粛正を短期間でこなして、以来、関東軍は独断専行を改めている。
東條首相の手紙を読み終えると、梅津総司令官は執務机から立ち、武藤軍務局長の前のソファに移動した。
「読んだぞ。細かいことは貴公に聞け、とある」
「はっ」
「要するに、今回は参謀総長は見合わせてくれ、というお願い」
「はっ」
「それと、なぜそうなのか、という言い訳だな」
「はっ」
武藤は座ったまま背筋を伸ばし真正面を正視している。が、視線の先に梅津はいない。
「ま、お前が書いたようなものだろうから、率直に言う」
「はっ。受け賜ります」
梅津は、畏まった武藤の姿勢に困惑したのか、しきりに頭を掻く。
「わしが動かず、ここで守りに徹する。それはいい」
「はっ。恐縮です」
「山下を抜いて、陸相に据える。それもいい」
「はっ。ご承諾、有難く存じます」
梅津は武藤を見つめて、顔を歪めると、また頭を掻いた。
「ここからだ。山下の後任は今村均中将。どういうことだ?」
「はっ。経験・見識・人望、いずれをとっても・・」
「止めぃ。関東軍は、陸軍大臣養成学校ではない」
(どき!)
「大臣学校が悪いというのではない」
(ほっ)
「しかし、考えても見ろ」
「は?」
「山下の次の陸相が今村か、下村になったとしたら」
「はあ」
「まるで、わしが黒幕ではないか」
(ぎく!)
「東條は、批難の矛先をわしに向けようとしてないか?」
「まさか、それは」と言いつつ、武藤は汗をかいていた。
「わしとて、野心がないわけではない」
さすが、陸軍きっての切れ者である。こういう台詞はふつうはいえない。
「だから、陰謀論の中心におかれるのであろうが」
(少し自意識過剰か?)そうも、武藤は思う。
「関特演を主導したのは、武藤、お前と田中じゃないか!」
(そう来たか)
「閣下、東條大臣は梅津閣下を信頼しておられます」
「あたりまえだ。わしとて、だいぶ協力した」
梅津と東條の関係は悪くはなかった。しかし、良好というわけでもない。二人の関係が急接近したのは、関特演の前後だった。むろん、仕掛けたのは武藤である。
「先月、関東軍は総軍に昇格された。わしも総司令官となった」
「ご祝着です。閣下」
「だから、いずれ面倒を押し付けてくると覚悟はしていたが」
「いや、それは」
「お上のお言葉を引用するとは卑怯ではないか」
「あ、それはその」
「なぜ軍は政治から手を引くと公言せんのか」
「閣下、時期というものがありまして」
「これだけ派手に粛清、更迭をやって、時期を見ているというのか」
「・・」
「武藤、わしも大将になってまでな、鉄拳をふるいたくない」
「閣下、武藤も中将になってまで制裁は御免であります」
「変わらんな」
「変わらず不器用であります」
「頑固でもあるな」
「「・・・」」
「「あっはっは」」
「では料亭に移るか」
「お供します、閣下」
昭和16年11月7日金曜日。満洲国、新京市、関東防衛軍司令部。
関東防衛軍司令官の山下泰文陸軍中将は、陸士18期で東條の1期下、陸士25期の武藤からはだいぶ上である。昨年、航空総監となり、ドイツ派遣航空視察団の団長として訪独し、独ソ開戦の直前に帰国していた。その後、軍事参議官を経て、関特演で関東防衛軍司令官となった。9月に南方作戦準備命令が出ると、第25軍司令官として南方作戦に出陣するように内示を受けていた。
早々と南方軍隷下の軍司令官の内示を受けたとき、山下中将は心中から喜びを感じた。ご奉公できる。それだけが、山下の願いであった。226以来、山下は、皇道派の現役筆頭とされ、中央、内地の顕職を追われて来た。それらの処遇に特別の感慨はないが、臣たるもの、お上と距離をおかれるのはつらい。外征軍の顕職につけば、またお目にかかれるかもしれない。だから、山下は、日米不戦には賛同したが、南方作戦の中止には複雑な思いがあった。
山下は、司令官室で、武藤と向き合った。
「お前が口説きに来たか」
「人事局長では説得になりますまい」
「たしかに。冨永だったら会っていない」
武藤は、3年前の大佐時代に北支那方面軍の参謀副長として北京にいた。その時、上司の参謀長が山下中将であった。二人は1年ほど一緒に勤務した。
「とんだ貧乏くじを、とお思いでしょうが」
「お上のご不興を挽回できるご奉公の機会でもある」
「それはあります」
「親任式もあるし、単独上奏もできる」
「しかし、人事はうらまれますぞ」
「人事局長は額田に変わった。ちゃんとやるさ」
「辞めさせられる方からすると、公平なぞ無意味です」
「陸軍を救うには誰かがやらねばならぬ」
「はい、そうです」
「そして陸軍の分裂を避けるには、皇道派のわしがよかろう」
長い間、統制派の首領が東條で、皇道派の筆頭が山下で、二人は相容れない仲とされてきた。しかし、武藤は知っている。統制派・皇道派の名称は、憲兵がメモする時に便宜的に使っただけであり、さかんに広めたのは新聞屋だ。山下の欧州留学は東條と同時であり、スイスからドイツと親交し、仲は良かったのだ。
「樋口が新設の特務兵監の候補の一人と聞いた」
「はい」
「あれはいい」
「はっ」
「わしは、使い捨てだろうが」
「縮軍人事が終われば、おそらく」
「それでもいい」
樋口季一郎は、陸士21期で参謀本部のロシア畑で、情報関連の勤務が長い。土肥原総監なら、うまく使ってくれるだろう。皇道派と目される軍人には、ほかにも、陸士23期の根本博中将や、陸士24期の土橋勇逸中将などがいる。いずれも、ここで軍歴を終わらせるには惜しい。
山下が陸相になり、総理の東條に従えば、統制派・皇道派の確執は名実ともに消失する。逆に、山下が受けなければ、もはや両派の融合はあり得ない。必要なのは山下の決心、それだけなのだ。義を見てせざるは勇なきなり。まったく、うまく考えたものだ。
「東條大将に借りが出来ますが」
「いいさ、恩にきてやるとも」
「傀儡になられると?」
「出征して軍功をあげてもお目見えはかなわない」
「・・・」
「それならば、お近くでご奉公したい」
「辺にこそ死なめ、ですか」
「長閑には死なじ、さ」
結論を告げると、山下は紅茶を出させた。ジャムの小皿がついている。
武藤は煙草に火を点ける。ここからは、世間話だ。
「おまえはどうなるのだ?」
「近衛の歩兵団長、その後に師団長かと」
「それはよかったではないか」
「はい」
「待て、西村琢磨が予備役か」
「部内統一です」
「あいつは好かん。しかし」
「・・」
「ひょっとして、気を使ってもらったか?」
「さて。今井参謀長と不仲だと聞いてますが」
「「・・・」」
二人は黙って、紅茶を啜った。