踏破者の実力
背筋が凍る。
両足はガクガクと震えだし止まらない。
なんでこんな草原に体長2mの熊がいるんだよ!?そんな敵が出るなんて聞いたこと―――。
「グォォォォ!!」
こっちのことなどお構い無しで熊は前足を高々と掲げると、俺に向かって振り下ろす。
こういうのを走馬灯っていうんだっけか?熊の動きがやけに遅く見える。ゆっくり、ゆっくりとコマ送りのように。
……あれ?これもしかして避けるんじゃね?
まだ震えている両足をなんとか踏ん張らせ、思いきって俺は後方へと飛び退く。
イメージ的には軽くこう…ピョンって感じ。
「へ?」
だったんだが―――。
「うぉぉぉ!?」
ギュンっと風を切る音と共に俺の体はもの凄い速度で移動する。
それはあまりにも想定外の勢い。勿論着地が上手くいくはずもなく尻餅をつく。
「いってぇぇ……えぇぇ!?」
さっきから変な声しかあげてない。知らない人が見たら奇人変人扱いされそうだ。
でも仕方ないだろ?
なにせ先程まで目と鼻の先にいたはずの熊との距離が5メートルも離れているのだから。
「おいおい…どうなってんだよ俺の体…。」
運動神経は悪いほうではない。だからといって、飛び抜けて超人というわけでもない。ごくごく普通の一般人だ。
そんな俺にこんな動き出来るわけ――。
「………そうだった。」
そうだ。そうだよ椎名優樹24歳独身!今のお前はユキじゃないか!
【千年の記憶】のサービス開始からのベテランで数々の強敵をほふり、ついには偽りの塔すら踏破した歴戦の戦士じゃないか!
……厳密には回復役だけど。
うん。なんかやれる気がしてきたぞ。
優樹、勇気100倍ですってね!
…
……
………
ま、まぁそんなわけで目の前にいる敵の熊を睨みつける。熊の方は自身の攻撃が空振りしたことが余程悔しかったのだろう。
こっち目掛けて猛スピードで突っ込んでくる。
だが残念だったな熊よ。もう私はさっきまでの私とは違うのだ!
意識を集中させる。
すると、先程の走馬灯と同じで熊の動きがスローモーションになる。
いや、違うな。敵が遅くなっているんじゃない。
"俺が速くなっている"!
【神速術】
ユキが覚えている補助スキルの1つ。
ゲームにおいて、このスキルは使用することにより術者の詠唱速度を一定時間3倍に引き上げる効果がある。
つまり今のお前は赤い角付きと同じなのだ。
熊はまだまだこちらに辿り着く様子はない。とならばやることはただ1つ!
戦闘が開始して勿論最初にやるべきことは!!
「プロテクト!」
そう口にすると俺の全身を薄い緑の膜が何十にも被い、スッと音も立てずに消えていく。
予想通り。俺はニヤリと頬を緩めた。
どうやらスキルは声にすれば勝手に発動するようだ。なんという親切な設定だろう。
だが俺のターンはまだまだ終わらない!
見てろよ!熊野郎!偽りの塔全階層クリアは伊達じゃないんだ!
「ストーンウォール!」
そう唱えると、足下の土は盛り上がり1枚の大きな壁となって現れる。そしてこれも先のスキル【プロテクト】同様に消える。
肝心の熊といえば、やっと残り1メートルといった距離。
ふむ。もう1つぐらいはいけるか。
「光剣の輝き!」
俺を中心に十本の輝く剣が姿を現す。そして剣はグルグルと回りを、切っ先をこちらに向けて一斉に放たれ俺の体を貫く。
だが痛みはない。それどころか体の底から力がみなぎってくる!
補助スキル【プロテクト】
これは味方全体の物理・魔法防御を長時間上げるスキル。
戦闘前に必ず回復役が行う作業の1つだ。
補助スキル【ストーンウォール】
このスキルは対象に見れない魔法の壁を造り出し、ある程度の攻撃を無力化させるもの。
その名の通り属性は土。他にも何種類かの壁があるが、その説明はまたにしよう。
最後に補助スキル【光剣の輝き】
対象の物理攻撃を上げ、更には改心の一撃率も上昇させるスキル。
これらのスキルは回復役として最も基本的なもの。
出来て当たり前ではなく、やって当然のこと。
敵との戦闘開始前に強化の準備をせず、ただ無謀に突っ込むのは脳筋のやることだ。
なのに、あのなんちゃって忍者ときたら『ぐふふwww当たらなければどうということはないでござる^^』とか言って何度も突っ込みやがって…。
「グォォォォ!!」
なんてことを考えていると、いつの間にか目の前に熊がいる。そして先程のリプレイ映像のごとく再度腕を振り下ろしてきた。
神速術は既に効果が切れている為、今度は通常速度で襲いかかってくる。
だが心配はいらない。なぜなら俺は回復役 だから。
敵の攻撃を受け止めるのは壁役の仕事。
ダメージを与えるのは攻撃役の仕事。
なんの心配もせず、ただパーティーのHP管理をすればこの程度の敵などおそるるに足らず!!
…
……
………あれ?
「やべぇ!今俺、一人じゃねぇか!?」
「グウォォウ!!」
鋭く尖った爪が俺を捕らえた。逃げることはもうかなわない。
「いやぁぁぁぁぁ!!」
両手を目の前でクロスさせ、どうにか防御の形だけは取るものの脳内には"絶望"という文字が何度も浮かび上がる。
あぁ…俺の人生はこんなところで終了してしまうのか…。
せめて死ぬ前に可愛い彼女が欲しかっ―――
ガキン
「へ?」
何かが硬いものにぶつかる音。腕をずらし前方を確認。するとそこには土の壁に攻撃を塞がれ、自慢の爪がへし折られる熊の姿。
その表情は苦痛に満ちている。
「はは…はははは…!」
一瞬だけ頭が真っ白になるが、脳はすぐに動き出し俺に答えを示す。
そうだよ。よく考えてみろ。
確かに今の俺は回復役だ。HPも少なければ攻撃力も低い。
だけど…だけどなぁ!!
「お前はただの"雑魚敵"だろうがぁぁぁ!!」
腰をドスンと据え上半身をひねり、腰から肩にかけて勢いを乗せた渾身の右アッパーは熊の顎へと直撃。
骨が砕ける音。そしてブワッという巨大な風圧と共に熊は天高く舞い上がり、空の彼方へ消えていった。
「ぜぇ…ぜぇ……か、勝った…。」
一気に力が抜け地面にへたりこむ。あれだけの衝撃があったというのに、右の拳は腫れてもいなければ傷1つついていない。
おそらく、あの熊は低レベルの魔物だ。でなければいくら光剣の輝きが付与されているとはいえ、あそこまで見事に吹っ飛ばないだろう。
「まったく…馬鹿げてやがる……。」
大の字になって地面に寝転がる。
風が優しく頬を撫で、サラサラの草が鳴る。
本当にこれは現実なのだろうか?それとも夢?
ゆっくりと目を閉じる。
…1つ。
…2つ。
…3つ。
心を落ち着かせて目を開けば、ほら。ちゃんと俺は自分の部屋の中で―――。
「あの…」
そうそう。女の子の声が聞こえ―――。
…女の子?
「あの!!」
「ふぁい!?」
強く呼び掛けられ慌てて目を開く。
すると、そこにいたのは―――。
「もしかして、魔術師様ですか?」
白い三角形…もとい、一人の女の子だった。