AM11:32
『葉山くん』
ふと小さな声が後ろから投げられた。
遠慮がちに下を向く彼女に、手を繋ごう、と言うと彼女は決まって視線を一瞬泳がせる。
莉子、と呼びかけても彼女は笑わなかった。
***
次の日、捻挫した足を理由に大学をサボりベッドでグダグダとしている私のもとへ彼が1人やってきた。
「莉子大丈夫?」
コンビニなのかスーパーなのか、よく名前の知られていないお店の袋を揺らしながら彼はそう微笑んだ。
「は…やまく、ん」
恋人だよ、と確かに昨日そう言われた。
けれど、記憶を無くして24時間も経たないうちに自宅にやって来られたところで私はどうしていいかわからなかったのだ。
ぎこちなく名前を呼ぶしかない私を彼は敏感に感じ取る。
「いいんだよ、時期に思い出すんだから。
それに莉子が忘れても彼氏なのは変わらないし」
それに、と彼は少し照れたようにこちらを振り向いた。
袋が小さくかさりと揺れた。
「俺は莉子が好きだから」
そう言い切る彼は照れたように微笑みながら何かを誤魔化しているようだった。
かく言う私は私でそれに気づいていながら踏み込む勇気もなく、ひたすら顔を赤くしていた。
こんな風にストレートに言ってくる日本人が存在するなんて。
……こんなにカッコよくて、優しい人なのにどうして私と付き合ってるんだろう。
私は本当に普通の子だった。
勉強だけは頑張ったが、他のことはーー顔とかスタイルとかーー平均的をずっと保ってきた。
少なくとも漫画やドラマのように実は無自覚美少女、なんていうことはない。
大学には、入学式の思い出を遡るしか覚えはないが、私より可愛い子なんて五万といた。
私の隣の子も、その斜め前の子も。
そういえば入学式の帰りに遭遇した先輩もとびきりの美人だった。
「着替えてきなよ、ご飯作るから」
私の悶々とした思考を遮ったのは彼だった。
「ご、ご飯作れるの?」
思わず口をついて出た言葉が失言だと気づいたのはすぐだった。
確かに、こんな雰囲気の人はきっとご飯作ってもらう専門なんだろうな、と勝手に思っていたのは確かだけど。
あまりに失礼な反応だった。
けれど、
「やっぱりそう思うんだ?莉子、前にもそんな反応したんだよ」
折角内緒でカレー作ったのにさ。
と少し拗ねたように笑う彼につられて私も思わず笑った。
私が無くしている私も失礼な奴だったらしい。
笑う私を見て安心したように、嬉しそうに笑う彼に。
私は少し胸が温かくなる。