手を抜けない理由
微睡んでいた。心地好い陽射しの中微睡んでいた。このままさらに深く、この優しさに沈んでゆけたら…。そう思うと不意に懐かしさがこみ上げてくる。知っている。これとよく似た優しさを知っている。いや、優しさだけではない何なのだろう。この優しさと一緒に感じる決して不快ではない胸のこそばゆさは。ゆっくりと思考が止まりだそうとしたまさにその時。カツーンと言う音を立てて教壇付近から飛んできたと思われるほぼ新品のチョークが額を直撃した。痛い。ゆっくりと顔を上げると教壇からこの授業の担当教師が顔は笑っているのに目が笑っていない笑顔でこっちを凝視していた。
「おはよう。鋼君。お昼を食べて最初の授業で眠たいのはわかりますがいきなり居眠りは関心しませんよ?」
うっかり眠っていたようだ。クスクスという笑い声がチラホラ聞こえてくる。
「すいません。」
素直に頭を下げる。すると担当教師は驚きの表情で言った。
「言い訳はしないんですね?」
「はい。俺が寝ていたのは事実ですから。」
当然のことだがあえてハッキリと言葉にして、もう一度頭を下げる。
「よろしい。今回のことは不問にしましょう。差し詰め明日からの"学校当主決定戦"への鍛錬か何かで疲れていたんでしょう…。」
そこで言葉を切った担当教師がふと思い出したように言葉を続ける。
「先程言いましたように明日から3日間"学校当主決定戦"が開催されます。このクラスからは1年生でありながら鋼君が生徒会長の推薦で参加することになっています。」
ガタッと大きな音を立てて雪が唐突に立ち上がる。クラスメイトからの視線の集中砲火だ。しかし、そんなことはお構いなしと言わんばかりに雪は俺を睨んでいた。
「どうしましたか、大和さん?」
「先生、鋼君が"学校当主決定戦"に参加するというのは本当なんですか?私は今初めて聞きましたが。」
雪の発言にそういえばいった感じでクラスがざわつく。よく考えたら伝えて無かった気がする。
「本当ですか?鋼君。」
担当教師は信じられないと言うように俺を見る。
「はい。生徒会長からあまりにも唐突に指名されたものですから。その後は兎に角無様な姿を晒さないよう鍛錬に集中していたら伝えるのを失念していました。」
今度は呆れたような顔をする担当教師。凄まじい百面相だ。
「今すぐにでもクラスの皆さんに質問の時間を与えたいところですがあと数分で授業も終わりますから皆さん、鋼君への追求は授業が終わった後にお願いします。それでは授業を再開します。」
その後の授業は何事もなかったように終わったが授業後の俺はその後と放課後いっぱいまでクラスメイト主に雪からの質問や激励に答え続けた。そして、時間はすぐに流れていよいよ"学校当主決定戦"の当日となった。
「鋼君君の手並み。見せてもらうよ。」
トーナメント表を見ていると山城先輩が話しかけてきた。
「プレッシャーですね。シード選手の先輩とは違って俺はすぐに試合なんですよ?」
特に他意の無い適当な受け答えをする。
「心にもないことを口にするなよ。」
鋭い。とても鋭い声音で先輩は言った。咄嗟に振り向いて先輩を見るとその目には怒りを湛えていた。
「俺が君を鋼家の嫡子だから実力を見たい。そんな興味本意な理由から推薦したとでも思っているのか?」
無論、そんなことは思っていない。だが、面倒なのだ。あまり上位に食い込み過ぎる訳にはいかない。
「思ってはいませんが俺にも事情が有ります。」
「面倒を避けることは事情とは言わない。鋼君。決勝まで上がってこい。出なければ君の真名を…」
そこまで言うと先輩はハッとしたように口を噤んだ。次いで謝罪を口にした。
「すまない。出過ぎたことを…。」
だが、俺はそんなことよりも何故先輩が俺の真名を知っているのかを知ることの方が重要だった。
「先輩。決勝まで上がりましょう。ですが、俺が先輩に勝ったら何故俺の真名を知っているのかを教えて貰います。」
今度は俺が声音を鋭くする番だった。
「鋼君…。」
「先輩。もう俺は手を抜きません。先輩が見せたカードは俺が手を抜けない十分な理由です。俺の対戦相手全員分の病院のベッドを確保しておいてください。」
そう言って俺は初戦の相手の待つメイングラウンドに向かった。




