日常の非日常 2
あたし達が戻る少し前に、弦羽も帰っていたらしい。藍那さんが用意してくれていた昼食をみんなで食べながら、得た情報を交換しあった。
しかし間もなく、よその神様も何も知らなかったと弦羽に聞いて、気が重くなる。
でも、この数時間で全部の神様に聞けるわけがないだろうし、まだ聞いていない神様が知っている可能性は捨て切れない。希望は十分あるのだ。そう思い直して、気持ちを奮い立たせた。
こちらは一通り挨拶をしただけで、あたしは藍那さんの親戚の子ということになっていると葵が告げる。満足げに頷く弦羽におかわりのご飯を差し出しながら、藍那さんはいつも通りうふふと笑っていた。
口裏を合わせるために報告したわけだが、彼女がちゃんと話を聞いて理解してくれたのか不安が残る。その不安が顔に出ていたのか、小さく溜息を吐いて葵は言った。
「特別何かしなくても、お前がこいつを姉とでも呼んでおけば誰も疑いやしない。……こいつの事は、みんな知ってるからな」
「あぁ……」
藍那さんには申し訳ないけれど、妙な説得力に同意の声を漏らしていた。
その後、またも後片付けの手伝いを笑顔で断られ、手持ち無沙汰になってしまった。今日はもう村に行かないと言っていたし、できることもない。
幸いというべきか、弦羽も葵もまだ部屋に残っていたから、さっき村で聞けなかったことを訊ねることにした。
「ねえ、さっき村の人達が葵のこと『みもりさん』って呼んでたけど……みもりって苗字なの? それとも、葵が苗字でみもりが名前?」
「そんなわけあるか阿呆」
「なっ……!」
知らないことを聞いただけで阿呆呼ばわりとは、口が悪いにもほどがある。
思わず腰が浮くのを、弦羽が言葉で制した。
「待て千鶴。……此奴はな、頭は良いが阿呆ゆえ、余計な言ばかり紡ぎよる。それゆえ本題を見失うこともままあるのだ。……阿呆の戯言に逐一付き合うてやる義理はあるまいぞ」
「弦羽さま……」
げんなりと疲れた顔で、葵は肩を落とした。
散々な言われようにさすがに少し気の毒になったが、自業自得なので放っておく。気を取り直して口を開いた。
「苗字でも名前でもないなら、『みもり』って何なの?」
葵は答える気がなさそうにそっぽを向いていたが、弦羽は顎に手を当てて少し考えてから、軽く頷いて目を合わせてきた。
「『御守』というのは役職名でな。そうさな……現世でいう、宮司のようなものよ。されど現世と違うて、基本的に御守はいずれも社ではなく村の取り纏め役をしておる。神の意思を村人に告げ、村人の言葉を神に伝える仲介者でもあるな」
「……そんな人が、こんなので大丈夫なの?」
弦羽は宮司のようなものと言っていたが、聞いた感じではどちらかというと市長や村長の方が近い気がする。
立場の違う人達の間を取り持つのは想像以上に大変なはずだ。言われてみれば確かに村に行った時村の人達に声を掛けられていたけれど、それでもそんな大役がこの失礼で口の悪い男に務まるとはどうしても思えず、眉を潜めて訊ねる。
葵が何か言いたげに口を開くが、結局何も言わずに溜息を吐いた。
「信じられぬ気持ちもわかるが、あれで意外と真面目でなあ。村人には頼りにされておるのだ。それに……」
言いながら弦羽は葵をちらりと見る。それからすぐにあたしに向き直り、目を細めて笑った。
「御守としての力は、恐らく当代随一であろうな」
「あれがあ……?」
どうにも胡散臭さが増しただけな気もするが、冗談を言っているようにも見えない。釈然としないまま首を傾げる。そんなあたしを見て、弦羽は苦笑していた。
「まったく、日頃の行いは疎かにすべきではないな。信用に関わる」
「それ、神様が言うとシャレにならないんだけど……」
「そうとも。改めて気を引き締めねばな」
そう言ってくすくすと笑った。
昨日から思っていたが、弦羽はよく笑う。神様というくらいだから偉そうにふんぞり返っているかと思っていたが、全くそんなことはなく、むしろ気さくで話しやすい。我ながら失礼なこともたくさん言ったのに、怒る素振りすら見せなかった。それどころか、あたしの質問を面倒がらずに聞いて、丁寧に答えてくれる。この世界について理解していることの方が少ないあたしに、とても優しくしてくれている。横にいる意地悪な男が酷い分、余計にそう感じた。
「御守と対となる御巫という者もおるのだが……そろそろ私は絢咲へ行かねばならぬのでな。葵、教えてやれ」
ぼんやりと考えていると、弦羽は手元に置いていたみかんをいくつか黄色い風呂敷に包んで背負い、右肩と左脇から両端を出して胸の前で結ぶ。そして逆側に置いていた瓢箪を左手に持って立ち上がった。
「絢咲の神様に話を聞きに行くの?」
「それもある。……が、単純にこのようなことは彼奴の方が向いておるのだ」
「ふーん……?」
曖昧な返事をして首を傾げる。
絢咲神社といえば、縁結びの神社として有名だった。行ったことはないので話に聞いただけではあるけれど、うちの神社よりもずっと大きな神社で、参拝する人も後を絶たないらしい。ということは、神様の力も相応に強いということなのだろう。
でも、それが現世に帰る方法を知るのと何の関係があるのかわからない。
「教えてやりたいのはやまやまだが、ぐずぐずしていては逢魔ヶ刻に間に合わぬやもしれぬ。できるだけ早く戻るつもりではあるが……まあ、ついでに見たい顔もあるしの。戻ってから話してやろう」
「よくわかんないけど……わかった」
気にはなるが、後で教えてくれるというのなら焦る必要はない。素直に頷く。
「あ、そうだ。その間、あたしもあの森の中調べてみたいんだけど……」
何故神世とやらに来てしまったのかはわからない。心当たりといえば、入ってはいけないと言われていた鎮守の森に入ってしまったことだけだ。でもあたしは、入っただけで荒らしてはいない。せいぜい草を掻き分けたとか、その程度だ。ただそれだけのことだが、気付いたらあの黒い靄に襲われていた。森に入ったことが全くの無関係なはずがない。灯台下暗しというし、何かわかるかもしれない。もしかしたら同じように、いつの間にか現世に帰っている可能性もある。調べてみる価値は十分ある。快く承諾してくれると思っていた。
しかし、弦羽は逆の反応を示していた。僅かに眉をひそめ、顎に手を当てて考え込んでいる。
「……ダメ、なの? 何で?」
「駄目……というわけではないが……」
弦羽は目を伏せ、困ったような声で言った。
「逢魔ヶ刻まで時間はあるとはいえ、業禍――ああ、御主を襲った黒い靄のことだ。それが湧く可能性も無きにしも非ずであるからの。身を護る術のない御主が一人で森へ入れば、今度は命を落としかねん」
「そんな……じゃあ、黙って待ってろっていうの?」
確かにまたあの靄――業禍とやらに襲われるのはごめんだが、かといって黙ってじっとしているのも嫌だ。
家族に何も伝えることなく、一晩が過ぎている。一日や二日くらいなら友達の家に泊まっていたことにでもすればごまかせるかもしれないが、心配をかけてしまうことに変わりはない。それに、考えたくはないけれど……もしも帰る方法が見つからなければ、あたしが行方不明になったと判断して、家族が警察に届け出ることになるだろう。そんなことになっても、あたしは向こうの世界にいないのだから見つかるわけがない。これ以上迷惑や心配をかけないためにも、あたしは一刻も早く帰らなければならないのだ。
「まったく、せっかちな娘よの。話は最後まで聞け」
「だってあたし、早く帰らないと――!」
「千鶴」
焦燥に駆られるあたしを宥めるように、弦羽は静かな、それでいて力強い声で遮った。
その迫力に気圧されて思わず黙る。
「少し落ち着け。入るなと言ってはおらぬだろう。私は一人では駄目だと言ったのだ。……行き掛けに藍那に言付けるゆえ、彼奴と共にならば入っても構わぬ」
「……いいの?」
「そう言っておる。私とて、御主を早う帰してやりたい……いや、帰さねばならぬのだ」
許可してもらえた。これであたしも、本格的に探せるのだ。帰りたい気持ちが膨らむ。
ただ、最後の言い方が気になった。訊ねようとするも、弦羽はもう背を向けて襖に手をかけている。さっき時間がないと言っていたし、聞いたところで「帰ったら話す」と言われるのがオチだろう。
もしも森で帰る方法が見つかっても、弦羽達にはお世話になったのだし、何も言わずに帰るつもりはない。帰るのは、弦羽が戻るのを待って、ちゃんとお礼を言ってからだ。
それに、何も見つからなかったらここに戻ることになる。どっちにしろ後でまた話すことになるのだから、その時聞けばいい。
「ではな。葵、留守を頼むぞ」
「はい」
「いってらっしゃい」
* * * * *
弦羽が羽ばたいて行くのを見届け、藍那さんを待つ間、葵と二人きりになってしまう。今のところ何も言ってはこないが、どうにも居心地が悪い。
沈黙に耐え兼ねて、あたしは口を開いた。
「そ、そういえば葵って、男の人なのにすごく髪長いよね」
無意識に動揺していたのか、我ながらどうでもいいことを口走ってしまった。
でも、葵は頭の後ろから編み込んだ三つ編みをお尻のあたりまで垂らしている。こんなに髪の長い男の人を見たのは初めてだ。何か理由があって伸ばしているのか、それとも切るのが面倒だから伸ばしているのか、初めて見たときから気になっていたのだ。
とはいえ、明らかに今聞くことではない。案の定、葵は呆れたように溜息を吐く。今度ばかりはあたしもくだらないことを言った自覚があるので文句は言えない。
「あの、だから、えっと……その、あたしがいた世界……現世、だっけ? そっちだと男の人はみんな髪が短いから、見慣れないなあって……伸ばしてる理由とかあるの?」
「……現世では髪は容姿の一部としか見ていないだろうが、神世の社の連中は男も女も基本的に髪は切らん。……髪には霊力が宿ると聞いたことはないか?」
言われてみれば、昔はそう言われていたこともあったと聞いたことがある。ということは、あれは本当の話だったのだろうか。
「厳密には霊力とは違うんだが、似たようなものだ。髪の長さや美しさが全ての力を決めるということもないし、どちらかといえば生まれ持った力の方が大きい。それでも、まったく無関係ということもない。……まあ、ないよりはあった方がまし、といったところか。それに、結えば邪魔にもならんからな」
「へえ……」
真面目な答えに感嘆の声を漏らす。邪険にされると思っていたから、ちゃんと答えてくれたことにびっくりしたのだ。
なんとなく、村の人達と親しげに話していたときの雰囲気に似ていた。弦羽も村人に頼りにされると言っていたし、案外親切なところもあるのかもしれない。聞いたときは信じられなかったけれど、実際にこうやって説明を聞いていると、わかりやすい言葉を選んでくれているように感じて、少し弦羽に似ている気がした。
心の中で密かに見直していると、葵は不意に口元を軽く吊り上げ、切れ長の目を細めてあたしを見た。
「実を言うと、俺もびっくりした。そんな頭をしている人間、神世じゃ髪の伸びきっていない、鼻を垂らした幼子くらいのものだ。その歳でお前の半分以下の歳の子供と同じ頭にしているなんて恥ずかしくないのか、とな。なるほど、確かに弦羽さまの仰る通り、大した度胸には違いないな、チビ助?」
「なっ……!!」
前言撤回だ。この男はどこまでも失礼なやつなのだ。
さっき少し親切にしてくれたのも、この厭味を言うためだったに違いない。
「言っとくけど、現世じゃあたしと似たような髪型の人いっぱいいるんだからね!! あと、チビ助って言うな!!」
その後、片付けを終えた藍那さんが来るまで、あたしと葵は子供のような口喧嘩をしていたのだった。