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神世異聞  作者: 水谷涼子
6/7

日常の非日常 1

 雲一つない快晴なのに、何故か薄暗い空を見上げて、あたしは堪え切れずに溜息を吐いた。


「はああ……。何で、あんたなんかと……」

「あのな。それはこっちの台詞だ、チビ助」

「チビ助って言うなってば!」


 昨日から何度も繰り返しているやり取りに、さらに気が重くなる。

 あたしは心の中で弦羽に文句を言った。



 朝食を食べ終わった後、弦羽に「村へ下りてはどうか」と奨められた。

 社のことは宿っている神様に聞くのが一番だ。その神様がわからないと言っているのだから、おそらくこのまま社にいても進展はないだろう。だったら社の外にあるという村に行ってみるのも、確かに一つの選択肢である。

 でも弦羽が言うには、村には人間しかいないらしい。神様が知らないことを知っている人がいるとは思えなかったが、神様だからといって何でも知っているわけではないと、昨日確認したばかりである。それにあたしは一刻も早く帰るつもりだけれど、方法が見つかるまでの短い間、もしかしたら世話になることもあるかもしれない。最悪何もわからなくても、この世界がどういうところなのかはわかるかもしれないし、行って損はないはずだ。

 そう思って村行きを決めるまではよかった。

 問題はその後だ。

 一人では行き方もわからないし、この世界のことを何も知らないあたしが一人でうろつくのは危険だと弦羽は言った。もっともな話だ。だからここにいる誰かがついて来てくれるという話になったのだ。

 提案したのは弦羽なのだから、てっきり付き添いもしてくれると思っていたのだが、そうではなかったらしい。けれど昨日言っていた『よその神様』とやらに話をしに行くと言われては、反対のしようもない。

 だったら藍那さんに来てほしいと頼んだのに、それも弦羽に却下されてしまった。


「藍那は無害ではあるが、些か……話を聞いておらぬだろう。御主はいわばこの世界の異物。人間とは異物には冷たい生き物だからな、くれぐれも現世から来た等と言うでないぞ。……同行者は機転が利く者の方が良いの。無用の諍いは起こさぬようにな」

「そんなの、誰が……」

「心配せずとも、適任が居る」



 ――そして、今に至る。



 現世の人間だとバレないようにと、オレンジ色に薄い黄色の花模様の『小袖』というらしい簡単な着物と、腰から膝下まである赤いエプロンのようなものを藍那さんが貸してくれたはいいものの、慣れない格好なのと初めての草鞋なのとで、歩きにくいことこの上ない。おまけに隣を歩くのがあの口の悪い男だというのが、さらに気を重くさせた。

 再び溜息を吐く。

 横目でちらりと窺うと、葵も渋い顔になっていた。もっとも、あたしはこの男の渋い顔しか見ていないから、別に不思議でもなんでもない。


「お前な、よそ見してないで前見て歩け」

「別にあたしがどこ見て歩いてようと、あんたには関係な――」


 不意に視界がぶれる。

 階段を踏み外したのだと気付いたときには、体が前のめりに傾いていた。

 口から小さな悲鳴が漏れるのとほぼ同時に、左腕が力強く引っ張られる。体の傾きが止まった。

 冷や汗が背中を伝う。ゆっくりと隣を見ると、相変わらず渋い顔の葵がいた。その腕はしっかりとあたしの左腕を掴んでいる。そのおかげで転ばずに済んだとわかって、感謝の気持ちと、なんだか悔しい気持ちとが胸の中を渦巻いた。


「……あ、ありがとう……」


 それでもやはり、助けてくれたことには違いない。たとえ気に入らない相手でも、挨拶と感謝はちゃんとしなさいと両親に言われて育ったのもあって、多少詰まりはしたが、一応感謝の言葉は絞り出した。

 そんなあたしを見て、葵は小さく鼻を鳴らして意地悪い笑みを浮かべた。


「人の忠告を聞かないからそうなるんだ」

「う、うるさいな」


 いちいち腹の立つ男だ。人が素直に感謝したのにこの言い様とは。だが彼の言う通りではあるので、これ以上は言い返さないことにする。

 一つ咳払いをして前を向き、今度こそ慎重に足を踏み出した。




 村へ来て最初に思ったのは、やはりここはあたしの世界ではないということだった。

 あたしが生まれ育った風宮神社は、都会というほど栄えてはいないが、田舎というほどでもない、普通の町にあった。

 ここは、この村自体が風宮というらしい。神社の名前がそのまま村名になっているのもそうだが、何より景色が全く違っていた。

 木造の平屋が点々とあり、どの家の傍にも小さな畑がある。家自体も、時代劇に出てきそうな簡素なものばかりだ。そこで働く人達も、みんな見慣れない格好をしていた。洋服を着ている人が一人もいないのだ。着物を着せられた理由がようやくわかった。制服のままでは目立ってしょうがなかっただろう。


「いつまで間抜け面で突っ立ってるつもりだ」


 最後の鳥居を潜ったところで立ち尽くしていたあたしを振り返り、葵が呆れたように言った。


「行かないなら回れ右して社に帰れ。……ああ、その方が面倒事が減って助かるな」

「せっかく来たのに、このまま帰るわけないでしょ!」

「だったらさっさとついて来い。俺だって忙しいんだ」


 どこまでも口の悪い男だ。いちいち間に受けていたらきりがないと頭ではわかっている。言い返したらその分倍になって返ってくるのだ。余計に疲れるだけだから我慢すればいいのにと、他人事のように思って溜息を吐いた。それができるならとっくにやっている。

 ともかく、これ以上言い合ってもしょうがないので、黙ってついて行くことにした。




「おお、おはよう、御守(みもり)さん」


 村に入って間もなく、首に白い手拭いを掛けたお爺さんが話し掛けてきた。

 初めて聞く単語に内心首を傾げる。だが「ぼろが出ると困るから、お前は下手に口を開くな」と道中に言われ、命令口調に多少苛立ちはしたものの、言っていることはもっともだったのもあり、黙って見守ることにする。

 葵はにっこりと笑って、挨拶を返した。

「おはよう。爺さん、腰大丈夫か?」

「おかげさんでぴんぴんしとるよ。風鳴さまにいただいた薬草は、ほんによう効くのう」

 そう言って豪快に笑うお爺さんを見て、葵が小さく噴き出した。

「元気なのはいいけど、あんたももう歳なんだから。ほどほどにな」


 腕を組んで苦笑する葵を、あたしはなんともいえない気持ちで見ていた。

 お爺さんに対する態度が、これは誰だと叫びたいくらい、別人のようだったのだ。誰にでもあたしに対する態度のように接する性格が悪い男だと思っていただけに、ショックも大きかった。

 この態度のほんの少しでもあたしに向けてくれたら、こんなに腹が立つことも疲れることもないだろうに。


 黙って葵の後ろに立っているあたしに気付いたのか、お爺さんが首を傾げて葵に向き直った。


「見慣れない子じゃの。御守さん、どこのお嬢さんを連れ回しとるんだね?」


 ギクリとした。

 当然の質問なのだが、正直に答えてはいけないと弦羽に言われたばかりなのだ。それなのに何も答えを用意していなかった自分の迂闊さを呪ってしまう。

 どうしようかと冷や汗を流していると、葵がちらりとあたしを見て、小さく溜息を吐いたのが見えた。


「……藍那の縁戚の娘でな。よその社の次期御巫(みかなぎ)らしいんだが、わざわざうちに修行に来たんだと。なんでも、気心知れた血縁者にいろいろ教わりたいらしい。社が違えば道理も違うからあまり当てにはならんが……まあ、仕事内容は大差ないからな。それに、世間知らずの小娘だから粗相もあるかもしれない。いつまでこっちにいるかもわからんが、よろしくしてやってくれ」


 実に淀みなく答える葵に絶句する。内容は全く理解できなかったが、この男の口はとにかくよく回るということだけはよくわかった。

 けれどお爺さんはそれで納得したようで、そうかそうかと何度も頷いていた。

 ごまかせたのなら黙っているのもおかしいので、慌てて頭を下げる。


「千鶴といいます。変なこと言っちゃうかもしれないけど、よろしくお願いします!」

「千鶴ちゃんか。よう来たなぁ。こちらこそよろしく」


 愛想良い笑顔で手を差し出されたので、つられて微笑み、その手を握った。

 人の良さそうなお爺さんを騙すのは心が痛むが、本当のことは言えない。

 せめてもの償いに、畑に向かうお爺さんに、もう一度深々と頭を下げた。



 その後村の中を一通り歩いたのだが、どこへ行っても似たようなやり取りが繰り返されたので、最後の方は疲労を隠しながら挨拶することになってしまった。

 葵が話しているのを後ろで聞いているだけだったので、知りたいことは何一つ聞けなかったが、この村の人達の様子はよく見えた。小さな子供から年取った人達までみんな人の良さそうな人ばかりだった。

 みんなにこにこ笑いながら話し、汗を流して仕事に精を出す。

 村全体が、明るくて健康的な雰囲気に満ちていた。


 驚いたのは、誰に会ってもまずみんな葵に挨拶してくることだ。葵もその都度愛想良く返事をして、それぞれに声を掛けていたのも不思議だった。

 あたしと話している時とはまるで別人である。

 村の人達のように仲良くなれば、あたしにもああいう態度になるかもしれないと少し思った。だがすぐに、そうなるまであたしが我慢できそうにないと思い直す。それに、あたしに愛想良く接する葵を想像したら非常に気持ち悪かったので、無理に仲良くする必要はなさそうだ。



 太陽が昇りきる頃に、帰りの階段を上りはじめる。

 村中を歩き回ったおかげで、この格好での歩き方もわかってきた。

 疲れてはいるが、行きより随分早いペースで一歩ずつ足元を見ながら上っていると、背後から盛大な溜息が聞こえた。足を止めて振り返ると、葵が上を向いていた。


「ちゃんと前向いて歩かないとひっくり返るわよ」


 行きに言われたことを思い出しながら、あたしは勝ち誇ったような顔でそう言った。

 自分が言ったことをそのまま返された葵は嫌そうな顔で前を向き、また大きな溜息を吐く。


「お前じゃあるまいし、そうそう転びやしない」

「あたしだってそんなに転んだりしないわよ! あれはたまたま……」


 そこまで言って、ふと気付く。

 嫌味を言ったのはあたしの方なのに、どうしてあたしがむきになって言い訳しているのだろう。

 なんだか悔しくて言葉を飲み込んだあたしには構わず、彼はまた溜息を吐いた。


「……溜息ばっかり吐いてると、幸せが逃げるんだよ」

「無駄に意気込んでたどこぞのチビ助がなーんにも考えちゃいなかったから、言い訳して回るのに疲れたんだ。溜息くらい吐きたくもなる」

「うっ……」


 確かにその通りだ。

 彼の言い訳に疑問を持つ人は誰もいなかった。つまりそれだけ、真実味のある嘘だったということだ。そんな話を即興ででっちあげたのだ。何か言えば即座に返ってくる嫌味といい、彼は相当頭の回転が早いのだろう。

 しかもそれを素直に受け入れてもらう人望もあるらしい。

 あたしとの相性はともかく、弦羽が適任だと言っていた意味がなんとなくわかった。


「……ああそうだ。お前、藍那の親戚ってことにしたから、ちゃんと話合わせろよ。でないと俺の苦労が水の泡だ」

「……わかった。ありがとう」


 素直に礼を言うと、葵は疲れたように頭を掻きながらもう一度溜息を吐いて、再び足を動かす。すぐに追い抜かれてしまったので、必然的にその背中を見上げる形になった。


 何か嫌味を言われると思っていたので、この反応は意外だった。もしかしたら本当に疲れているのかもしれない。

 村でずっと見ていた背中はもっとしっかりと伸びていたのだが、今は曲がっていないのが不思議なくらい疲れて見えた。

 少し申し訳なく思ったが、それを口にするのはなんとなく嫌だったので、黙って後ろに続く。


 行く時とは打って変わって、それ以降何の会話もないまま、あたしたちは広い境内に辿り着いた。

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