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神世異聞  作者: 水谷涼子
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はじまりの日 4

 ようやく事態を理解したあたしをじっと見つめ、神様が呟いた。


「……続きは後日にするかの」


 今更ながら衝撃を受けているあたしを気遣ってくれているのだろう。さっきまでの凛とした声とは違う、優しい声音だった。

 素直にその言葉を受けた方がきっと楽だ。得た情報を整理して、受け入れるための時間が必要なのだろう。

 それでもあたしは、首を横に振った。


「……今聞いても後で聞いても、ここがあたしのいた世界じゃないってことには変わりないんでしょ。だったら、今まとめて聞く。早く理解したら、それだけ早く帰る方法を探しに行けるから」


 神様の目を真っ直ぐ見つめて、そう決意する。


 いくらここがわけのわからない異世界とはいえ、実際にこうしてこの世界に来てしまった以上、その逆――帰る方法は、必ずあるはずだ。もしかしたら、前例だってあるかもしれない。今すぐ帰ることは無理だとしても、帰れる可能性があるなら、なんとしても帰りたかった。


 神様はあたしの心を見透かそうとするように目を合わせて、しばらく何か考えていた。

 ふと、その鋭い視線が和らぐ。


「……本当に、大した度胸よの」


 そう言って、ふわりと微笑んだ。

 羽耳に顔の下半分を隠されて鼻から上の表情しか見えないのだが、不思議とどんな表情をしているのかわかる。目は口ほどに物を言うというが、確かにその通りだと実感した。


「しかし……神世に現世の人間が迷い込むとはな。私も長く生きておるが、そのような話なぞ聞いたことがない」

「えっ……」


 聞き捨てならない台詞だ。慌てて訊ねる。


「ね、ねえ。よくわからないけど、こっちの世界にも風宮神社以外の神社があるんでしょ?」

「現世と同数の社が在ると今しがた言うたところであろう。それがどうした」

「あんた……えっと、弦羽、さま? は知らなくても、その……別の神社の神様なら、知ってるかもしれないじゃない。この世界がいつからあるかは知らないけど、まさかあたしが初めてなんてことはない……よね?」


 言いながら、段々と語気が弱くなる。神様も葵も、難しい顔になっていた。藍那さんは相変わらず呑気に首を傾げているが、あの様子ではおそらく知らないのだろう。

 嫌な予感がした。


「そもそも何故現世の人間が此方に迷い込んでしもうたのかも、私には皆目わからぬ。一応、他所の神にも聞いてはみるが……あまり期待せぬ方がよかろうな」


 苦い顔でそう告げる神様に、両隣の二人が頷いて同意した。


 まさか、決意した傍から出鼻を挫かれるとは思っていなかった。本物の神様なら何でも知っているだろうという期待も少しはあったのだが、見事に当てが外れた。早速途方に暮れてしまう。


「まあ……何にせよ、動くのは明日以降が良かろうな。今夜はもう遅い」

「でも……」

「代わりに、先程の話の続きをしてやる。今日はそれで我慢せい」


 そう言って苦笑する。

 本当は今すぐ探しに行きたいところだが、見知らぬ場所を夜に歩き回るのは危険だと、どの物語でも言っていた。ましてや、ここは異世界なのだ。あたしの知っている常識が通用しないことは、あの黒い靄や実在する神様が証明している。

 渋々ながらも納得して、小さく頷いた。


「……はて、どこまで話したかの?」

「この神社は現世の神社とまったく同じ……って言ってたと思うけど」

「おお、そうであった」


 神様は軽く咳払いして、すっと姿勢を正す。そうすると、小柄な体が一回り大きく見えた。

 鋭い視線に射抜かれる。つられてあたしも背筋を伸ばした。


「この社に限らず、他所の社も現世と概ね同じでな。近場では……そうさな、絢咲神社や高野神社が有名なのではないか?」

「……何で、有名ってわかるの?」


 確かに、電車で何駅かのところに絢咲神社が、そこからまた電車を乗り換えてしばらく進んだところに高野神社という大きな神社はある。どちらもかなり有名な神社で、参拝客は絶えないらしい。

 その理屈で言うと、同じ名前の神社が現世にもあることは、こっちの世界でもわかるのだろう。場所も同じのようだから、名前を当てられたくらいでは今更驚かない。けれど、有名かどうかまでわかるものなのだろうか。


「そもそも神というものは、人の信仰がなければ存在出来ぬ。人の想念が神を生むのでな。大事に祀られていれば、神はそれだけ強い力を得る。そして神は、その力で人に恵みをもたらし、災厄から護る。人は神の加護に感謝し、手厚く祀る。その循環こそが、神世と現世、二つの世界を支えておるのだ。つまり――」

「よくわからないけど……要するに、有名な神社は参拝する人が多いから、その分神様の力が強いってこと?」

「平たく言えば、そういうことだな」


 理由がわかって、多少はすっきりした。ということは、こっちの世界の絢咲神社や高野神社などの大きな神社の神様は、とても強力ということなのだろう。力というのがどんなものなのかよくわからないが、とにかく凄い神様だということはわかった。

 そこまでわかると、ふと目の前の神様の力の強さが気になった。生まれ育った神社の神様が実在するとなると、その力がどの程度のものなのか知りたくなるのは必然だと思う。

 どう訊ねたものかと考える。しかし上手い言葉が見つからず、結局素直に聞くことにした。


「あんた……弦羽さま、は、どれくらい強いの?」

「御主、先程から何を言い澱んでおるのだ。名など好きに呼べば良い」


 神様は質問には答えず、苦笑しながらそう言った。

 どう呼べばいいのかわからず何度も言い直していたが、確かにこのままでは呼びにくい。とりあえず失礼がないように敬称を付けてはみたが、今まで神様はいないと思って生きてきたのだ。急に出てこられても、いきなり畏れ敬う気にはなれない。それどころか、不信感さえ完全には拭い切れていないのだ。それに、誰かを『さん』や『君、ちゃん』と呼んだことはあっても、『さま』と呼んだことなど一度もない。『神様』は『神様』という単語として認識しているから抵抗がないだけだ。何回か呼んではみたものの、やはり誰かを『さま』と呼ぶのは、どうにも口に馴染まない。

 ひとしきり悩んで、おそるおそる口を開く。


「……じゃあ、弦羽」


 そう呟いた瞬間、味噌汁を飲んでいた葵が盛大に噴き出して咳き込んだ。藍那さんが「あらあら」と言いながら立ち上がり、白い布を葵に渡す。そして彼女はどこからか雑巾を取り出し、床を拭きはじめる。葵は口を拭いながらその様子を申し訳なさそうに少し見つめたあと、すぐにこちらに向き直った。凄まじい形相で睨まれる。


「お前な……神様を呼び捨てって、どういう神経してるんだ。本当に神社の娘か? 罰当たりにもほどがある」

「好きに呼んでいいって、弦羽が言うから……」

「だとしても、だ。敬う気持ちというものがないのか、このチビ助は」

「正直あんまり。あとチビ助って言うな!」


 再び喧嘩になりかけるのを、弦羽が手を叩いて止めた。


「まったく、御主らの話はすぐに脇道へ逸れよる。……見ている分には飽きぬから良いのだがな」


 そう言って苦笑する。


「大体この娘に敬われようなど一片たりとも思うておらぬわ。この通り、神をも恐れぬ不届き者ぞ。神世では考えられぬ所業、面白いではないか。御主はそのまま、好きに生きればよい」


 葵が渋い顔になる。納得したようにはとても見えないが、当の弦羽がいいと言っているのだから認めるしかないのだろう。

 あたしはあたしで、弦羽の言葉が褒め言葉なのか皮肉なのかわからず首をひねる。しかし考えてもわかりそうにないので、改めて問い直した。


「それで、どうなの? 弦羽って強いの?」

「そうさなあ……純粋に力のみで論ずるならば、絢咲のや高野のには一歩及ばぬが……弓の腕前ならば、私の右に出るものはおるまいよ」


 そういえば、出会った時にも弓を引いていたなと思い出す。

 小柄な体に不釣り合いな大きな弓を持っていた気がする。そして、印象的だった真っ赤な矢。


「あの赤い矢だけど……あたし、あれ見たことある気がする」


 目の前に使用者がいるのだから、考えるより訊ねる方が早い。弦羽は一瞬目を丸くすると、すぐに小さく噴き出した。


「あれは現世での私の神体だからな。一度くらいは目にしていても何ら不思議ではない」


 御神体というのは、神様が宿るとされている物のことだ。石だったり人形だったりと形は様々だが、どこの神社でも、普段は本殿の中に大事に納められているから、一般の参拝客が目にすることはあまりない。けれど神社勤めをしていれば、掃除のために本殿に入ることもある。

 あたしはまだ中学生だから勤めてはいないものの、手伝いで掃除をすることがある。おそらくそのときに見たのだろう。


 一人で納得していると、不意に手を握られる。驚いて振り向くと、いつの間にか隣に来ていた藍那さんがにっこりと笑っていた。


「そろそろお片付けしようと思うのだけど、まだお話する?」


 見ると、もう葵も食べ終わったようだった。

 まだ聞きたいことは山ほどある。でも食事を用意してもらったのに、食べてそれでおしまい、というわけにはいかない。

 慌てて首を振る。


「ううん、また明日でいい。それより、あたしも手伝います!」

「あらぁ、大丈夫よ。気にしないで」


 どんなに混乱していても、洗い物くらいはできる。世話になりっぱなしというのは気持ち悪いのでそう申し出たのだが、藍那さんは笑ってそれを断った。


「でも……」

「それより千鶴ちゃん、お風呂に入ってらっしゃいな。うふふ。きっとさっぱりするわよぉ」


 そう言ってあたしの腕を引っ張って立ち上がらせ、ぐいぐいと背中を押してくる。


「えっ、ちょっ……藍那さん?」

「後で、わたしの寝間着貸してあげるわねぇ」

「あの、話を……!」


 そう言っている間に部屋を出てしまい、そのまま風呂場まで連れて行かれてしまった。この人はやたらのんびりしているくせに結構強引だなあと認識を改める。何度か声をかけたが話が通じず、結局はおとなしく言うことを聞くことになった。


 話が中途半端に終わってしまったのが気掛かりだが、さっき自分で言った通り、また明日聞けばいい。

 聞いたことはあったが見るのは初めての五右衛門風呂に浸かって、溜息を吐く。

 短時間にいろんなことが起こりすぎて、思っていた以上に疲れていたらしい。熱めのお湯が身に染みた。


 あたしは、本当に帰れるのだろうか。


 漠然とした不安を抱きながら、小窓から見える満月を見上げる。



 これから始まる長い長い日々の一日目が、ゆっくりと終わろうとしていた。


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