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神世異聞  作者: 水谷涼子
4/7

はじまりの日 3

 菱形の四隅からそれぞれ真ん中を向くような形で、あたしを含む四人が座っていた。


「ごちそうさまでした」


 手を合わせてそう言うと、あたしの左斜め前に座っていた女の人がにっこりと笑った。


「うふふ。元気が出たみたいで、何よりだわぁ」


 間延びした声に気が抜ける。

 この人は、靄に襲われた時に“神様”の指示に従ってあたしの手を引いて一緒に逃げた人のはずなのだが、どうもあの時と印象が違う。混乱していたのではっきりと覚えているわけではないが、それでもあの時は喋り方も動きももっときびきびとしていたはずだ。なのに今のこの人は、別人かと思うほど全てがゆっくりだった。


「あの……」


 確認したくて声をかける。

 しかし、彼女はあたしの呼びかけには答えず、のんびりと箸を進めている。聞こえなかったのかと思って、今度は少し大きめな声をかけたのだが、結果は同じだった。

 ひょっとして、無視されているのだろうか。


「……藍那、さっきから呼ばれてるぞ」


 不安になっていると、右斜め前に座った男の人が代わりに呼んでくれた。今度こそ聞こえたようで、藍那と呼ばれた女の人はようやく箸を止めて顔を上げた。


「あらぁ、ごめんなさい。わたしを呼んでたのねぇ」


 そう言ってうふふと笑う。聞こえていないのではなく自分に話し掛けていると気付いてなかったようだが、会話の流れも、あたしの視線も明らかに彼女に向いていたはずだ。男の人には伝わっていたし、正面に座る“神様”も苦笑して肩を竦めているから、おそらく通じていた。しかし二人の様子から、こんなことはこれが初めてではなさそうに見える。やはりこの人は、先程会った女の人とは別人なのではないだろうか。あの時の人は髪をきっちりと結っていたが、今この人は背中の真ん中あたりまで伸びた長い髪を下ろしているから、印象は違う。でも聞く限り名前は同じのようだし、何より、本当に見えているのかわからないくらい細い糸のような目は、少なくとも今まで一度も見たことがない。あんな特徴的な目の人をこんな短時間でそう何人も見るとは思えない。やはり同一人物と考える方が自然だった。

 これ以上悩んでいてもしょうがない。わからなければ確かめると、さっき決めたではないか。

 改めて決心して、口を開いた。


「……あの、藍那、さん?」

「なぁに?」

「藍那さんって、あの黒い靄からあたしを助けてくれた人……ですよね……?」

「うふふ。やあねぇ、違うわよぉ」


 あっさり否定される。別人だったのかと納得しかけたとき、男の人が深い溜息を吐いて、疲れたような顔であたしを見た。


「妙な心配しなくても、こいつはお前が言ってる奴と同一人物だ」


 そう言って味噌汁を啜る。声に出した覚えはないのに伝わったということは、よほど顔に出ていたということなのだろうか。


「でも、さっき違うって……」

「そうよぉ。だって、助けたのは弦羽さまだもの」


 確かにその通りだ。その点はあたしの言い方が悪かったと反省する。でもこの人も手を引いてあたしを逃がしてくれたのだから、助けてくれたことには変わりない。文脈から読み取ってくれてもよさそうなものだが、それを抜きにしても、どうもさっきからこの人と話が噛み合わない。

 彼女の独特のペースに戸惑っていると、また男の人が助け舟を出してくれた。


「それよりお前、俺に何か言うことがあるんじゃないのか」

「お兄さんに……? えっと……」


 話題を変えてくれたのはありがたいが、あいにく言うこととやらに全く覚えがない。引き続き首を傾げていると、男の人はわざとらさく大きな溜息を吐いて、箸であたしを指した。


「誰が布団まで運んでやったと思ってる。ちったあ俺に感謝しろ、チビ助」

「あ……ありがとう、ございます……」


 半目でそう言いながら茶碗を手に取り、彼はお代わりしたてで湯気の立つ真っ白なご飯を口に運んだ。

 気を失ったあたしを誰が運んだかが思いがけず判明したわけだが、どうにも素直に感謝しづらかった。


「……あの」

「何だ」


 今度はこちらを見もせずに返事する。無視されないだけマシなのかもしれないが、それでも一言言いたくて、彼に向かって姿勢を正した。


「人にお箸向けるの、よくないと思います。あと、チビ助って呼ぶな!」


 びしっと指を差して言ってやった。あたしより一回りほど年上に見えるが、そんなことは関係ない。失礼な態度を取る方が悪いのだ。

 男の人が苦虫を噛み潰したかのような顔になると、今まで黙って見ていた“神様”が、口元に右手を添えておかしそうに笑った。


「人を指差しながらその台詞とは、説得力の欠片もないの」


 言葉に詰まる。事実その通りなので何も言い返せず、渋々手を下ろす。指摘されたところはお互い様だから、この件はひとまず忘れることにする。しかし、二つ目に言ったことは譲れなかった。

 改めてもう一度、軽く睨みつけながら言う。


「チビ助って呼ばないでよ」

「きーきーうるさい奴だな。お前は小猿か」

「なっ、誰が小猿よ!」


 思わず腰が浮く。年頃の女の子に向かって、なんて言い草だ。


「あのね、あたしには千鶴って名前があるんだから! 大体あんた、人が話してるときくらいこっち見なさいよ!」

「あいにく俺は食事中なんでな。わざわざよそ見してやる義理はない。……それにしても、この小猿は年上に対する礼儀がなってないな。嘆かわしい」

「あんたが失礼なことばっか言うからでしょ!?」

「喚くな。飯が不味くなる」


 まさに、ああ言えばこう言う、である。

 このまま言い合っていても埒が明かない。それはわかっているのだが、言われっぱなしでいるのも我慢できない。

 拳を握り締めてわなわなと震えていると、“神様”が目を細めて笑った。


「その“小猿”と同等の口論をする御主は、差し詰め“大猿”といったところかの、葵?」

「弦羽さま……」


 男の人がげんなりとした顔で“神様”を見る。その様子を見て、“神様”は小首を傾げてにっこりと笑った。


「あおい……葵? でっかい図体してるくせに、可愛い名前だなあ……」


 無意識に呟いていた。

 すると突然“神様”が堪えきれない、という様子で盛大に噴き出した。


「わけの解らぬ場所で、素性も名も知らぬ相手と顔を突き合わせて食事した挙げ句、大の大人相手に口喧嘩とは。これはなかなか、稀に見る豪胆ぶりよ!」


 そう言って高らかに笑う。食事中は羽耳が開いてあらわになっていた口元は、今はまた羽耳に隠されていて見えないが、さぞ大きな口を開けて笑っているのだろう。

 それにしても、褒められているのか馬鹿にされているのかいまいちよくわからない。

 腹が減っては戦はできぬと言ったのは“神様”だ。確かにお腹が空いていたら考えられるものも考えられないので、まだまだ疑問だらけではあるが、今はただ何も考えず用意してくれていた夕食を食べたのだ。そしてお腹がいっぱいになって落ち着いたから、回りを見る余裕ができた。少し順序は逆になったが、今こうして互いの名前もわかったことだし、それでいいではないか。


 一つ溜息を吐く。気を取り直して、再び質問を始めた。


「あの、藍那さん。藍那さんは、人間ですよね……?」

「ええ、そうよぉ。葵もわたしも、神様にお仕えする人間なの」


 先程のやり取りから学習して名指しで訊ねると、今度はちゃんと認識してくれたようだ。

 質問するなら葵の方がいいとは思った。だが、下手するとまたあの嫌味ったらしい言葉を聞かされるだろう。無駄にいらいらするくらいなら、多少話が通じにくくても藍那さんに聞く方が、あたしの精神状態のためになると判断したのだ。


 神様に仕えているということはつまり、この人達は宮司や巫女なのだろう。お父さん達と違うのは、この人達は、まだ笑っているこの“神様”に仕えているということだ。

 あたしの世界――“神様”が言うところの『現世』では、いるかどうかもわからない神様を崇め奉っていたから違和感が拭えなかった。けれどここでは、実際に存在している神様に仕えているらしい。肝心の“神様”が本物かどうかはともかく、姿が見えているものに仕えるのは自然なことに思えた。


「ここはあたしの世界じゃないって、どういうことなんですか? 現世だとか神世だとかなんとか言ってたけど……」

「どういうことも何も、言葉通りの意味よ。御主ら人間の世界を現世、我ら神の世界を神世と呼ぶだけの話ぞ」


 ようやく笑いを収めた“神様”が答える。


「でも、藍那さん達は人間なんでしょ? 神様の世界だっていうからみんな神様だと思ってたけど、そうじゃないみたいだし……」

「未だ私を神と認めぬ者の言葉とは思えぬが……まあよい。千鶴。先刻私が現世と神世は表裏一体と言うたのは覚えておるか」


 そういえばそんなことを言っていた気がする。頷くと、“神様”は一度目を閉じて続けた。


「神世と現世はな、言うなれば鏡の中と外の関係なのだ。鏡の外の世界を現世、中の世界を神世と考えれば理解も易いであろう」


 鏡の例えのおかげか、言っていることはなんとなくわかった。

 あたしが理解したのを確認して、“神様”はゆっくりと話す。


「厳密に言えば違うのだが、今は気にするな。……神世には、現世に在る神社と同所に同名の社を中心とした村が在る。千鶴、この部屋に来るまでに何か見覚えのあるものはなかったか」


 はっとする。

 “神様”についていったとはいえ、初めての場所で歩いたにしては、どこか慣れた道を歩いているような感覚があった。

 それはもしかして、初めてではなかったということなのだろうか。


「……風宮神社……」

「その通り」


 呆然と呟いた言葉に、“神様”は頷いた。


「今御主がいるこの社――私を祀るこの社は、紛う事無く、御主のよく知る風宮神社そのものだ」


 真剣な顔で告げられた言葉は、嘘ではないのだろう。

 何せ、この目で見たのだ。


 あたしの知っている、あたしの家である風宮神社と、ほぼ同じ構造の社。

 風宮神社で祀っている神様と、同名の“神様”。


 本当にこの“神様”が風宮の神様だとしたら、あたしの名前や、家族のことを知っていても何もおかしくはない。

 さっき言っていたことは、真実だということになる。


 それはつまり、この“神様”は本物の神様だということになるのだ。


 認めたくないが、自分で確認した状況が、それが真実だと告げていた。


 けれど、あたしの知っている風宮神社と、明らかに何かが違う。細かいところが違うのももちろんそうなのだが、なんといっても雰囲気が違っていた。

 俗っぽいものが何もなく、静かで清んだ空気。

 歴史の教科書で見たような内装の部屋。

 異形の神様と、それに仕える人達。


 なにもかもが現実感に乏しい。

 けれど、これは夢ではない。


 あたしは本当に、知らない世界へ迷い込んでしまったのだと、ようやく理解した。


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