一つの嘘が終わった日
ファンタジー的な何か。
最終話までを一言で要約すると、「ペテン師の子育て奮闘記」な感じになりそうな気がします。いや、やっぱりならないかもしれません。
毎週~隔週くらいを目標に更新していく予定です。
どうか最後までお付き合いいただけたらと思います。よろしくお願い致します。
固有名詞や一部の人間関係については、下記の本の記述を参考にしています。
『エッダとサガ―北欧古典への案内―』著:谷口幸男
一葉の走り書きをその手に握らせると、男は楕円形に切り取られた、ゆらゆらと揺れる空間を指さし、少女に向かって優しく告げた。
「あのゲートを通れば人気のない所に出られる。逃げるんだ」
一段高い所に鎮座する玉座、絨毯、装飾品に彩られた壁と天井。二人がいる場所は、謁見の間、と言われて誰もが想像するような典型的な作りをしていた。ただし、主の役割を演出するために、明かりも含めたあらゆる物が黒と紫を基調とした毒々しい色使いで塗りたくられている。
少女は、今から自分がする質問への相手の答えを察していながら、あえて尋ねた。
「父さんは、どうするのですか?」
「おいおい。何度も言ってるだろ。こんな汚れた、血の繋がりもない駄目人間を、親父と呼んじゃいけねえよ」
おどけた仕草も束の間、真剣な声色で男は続ける。
「……俺にはちょっと後始末があるんでな。ここに残るさ」
「じゃあ、わたしもそれまで待っています。一緒に……!」
「ははっ。いやあ、そいつはちょっと困るんだ」
二人分のゲートを開けば、冗談抜きで自分の命がもたない、ということまで男には説明する気はなかった。
離れたところに転移するゲートを開く、といった"魔法"はこの世界に生きる人間なら、特定の媒体を介せば誰もが例外なく使うことができる。
しかし、多くの人間は一生のうちに一度も使うことはない。
それを使うことは、大小の違いはあれど自らの生命を削ることも意味するからだ。耐性を殆ど持たない人間が使えば、小さな火を起こすのにも雲を遥かに突き抜けるくらいの高さの山を二つ三つ越えた先まで休まずに全力疾走するくらいの体力を消耗する。
つまり、大体死ぬ。死ななくても算盤が合わない。
男の場合は比較的耐性をもつ部類には入るが、常人より少しは上という程度。限界がある。
(だからこそ、その魔法を使って魔王を逃がした奴がいる、なんて可能性は誰も考えないわな)
それについても自分の胸に秘めたまま、男は少女の前に片膝をついて目線を合わせ、きかん気な我が子を諭すように言い聞かせる。
「魔王討伐隊ご一行もそろそろここに来る。奴らに魔王はもういないってことを信じさせないといけない。そこにお前がいると面倒なんだよ。なんせお前は魔王。俺は勇者ってことになっているからな。だから頼む。駄々をこねないでくれ」
「……わかりました」
名残惜しそうに男の方を向きながら、少女はゲートに手をかけた。
「いいか。どれくらいかかるか分からないが、しばらくは人のいない地に隠れていろ。そうだな……世界樹の外ならまず大丈夫だろ。お前の存在が"揺らいだ"ら、それは人間の関心が他に移ったということだ。そうなったら人里に出て俺の息子を探して頼れ。今暮らしている場所は渡したその紙に書いてある。いないようなら、そこから辿れ」
「はい」
少女がくぐるとすぐに、ゲートと呼ばれた輪が閉じ始める。
「いつまでも! ……いつまでもわたしは貴方を待っています。それが叶わないなら、こちらから会いに行きます。お元気で……。父さん」
まったく、しょうがない子だ。と言いたげな苦笑いが男の顔に浮かんだ。
ゲートが閉じられた途端、男は力なく膝をついた。顔色は青ざめ、呼吸は重病、重傷を負った人間のように弱い。
「がっ……はあ、はあ。……あ~、危ねえ。後始末の前に逝っちまうところだったぜ。全く、古代人様も随分と便利で面倒なシロモノを遺してくれたもんだ」
震える膝を強引に立たせて、男は無理矢理に不適な笑みを浮かべる。彼は弱みを見せるのが嫌いだった。例え見ている人間が誰もいなくとも。
「さて、『魔王』が『勇者』に倒されたって思わせるには、それっぽい演出ってのが必要だよなあ、フロールヴ」
よろめきながら玉座の後ろにまわり、そこに隠された仕掛けを動かす。やがて男が立つ建物が鳴動し始めた。
「悪者が死ねば、その悪者の本拠地も崩壊する。大昔からの、物語のお約束ってな!」
人々の元に魔王の居城が崩壊したとの知らせが早馬で届いたのは、それから数日後だった。
魔王と、突入口を切り開くために先行したはずの勇者の姿は消えたまま、遺体が見つかることもなかった。行動を共にしていたはずの仲間達もいつの間にか消息不明となっている。
人々はまだ何か起きるのではないかと警戒したが、各地で人々を脅かしていた魔物達も徐々になりを潜めるようになり、戦いが起きない日々が続くようになった。
一年がたち、二年がたち、人々は、もう魔王はいなくなったのではないかと考え始める。そもそも魔王という存在は何だったのか。そこまで考えようとする者は殆どいなかった。
尊い犠牲がはらわれたものの、世界に平和が訪れた。誰かがそう宣言した。皆、疑うことなく、その宣言を信じ込んだ。
そして、更に一年の月日が流れた。