Ⅱ
家に帰ると、父と母が待ち構えたように玄関で出迎えてくれるが私を見て驚いて心配し、問いかけて来るが、私は気分が悪いとそのまま部屋に閉じこもる。
兄が詳細を説明してくれるだろう
優しい両親も私の事を聞いてガッカリするだろうと思うと切ない
縁談一つ来ない娘など厄介者でしか無いのだから
部屋に戻り、夜着に着替えてベッドにもぐりこんで無理やり寝ようとするが、目を瞑ると、あの方の恐ろしい顔が思い出されて中々寝つけず、漸く寝付いたのは朝方だったが、悪夢にうなされてしまう
悪夢は夜会に出席する大勢の人々が私を取り囲み、みすぼらし私を嘲笑していた。
その人々を掻きわけるようにその場から逃げて、兄に助けを求めようと捜し回る。
漸く求める姿を見つけその背中に縋り付くが
『お兄様』
『私に触るな! 卑しい娘』
『!!』
兄だと思った人物はエルンスト様に変わっており、私を突き飛されて真っ暗な奈落の底に落されてしまう
『 キャァアアアアーーーーーーーーーーーーー …… 』
「いやあぁあー―!!」
あまりの恐怖に悲鳴を上げて目を覚ます。
飛び上がるように起き上がるとそこは見馴れた私の部屋でベッドの上
「はぁ… はぁ… 夢だったのね…… 」
夢で良かったが、見たくも無かった。
時計を見ればまだ6時前と1時間と寝ておらず、寝た気もしなかったが、これ以上ベッドに横たわる気にも成れなかった。
重い体を引きずりベットから起き上がるとガウンを羽織り、気分をスッキリさせる為にもシャワーを浴びる事にする。
悪夢を見た所為か寝汗を掻いて不快で堪らない
部屋に取り付けてある簡易のシャワーを使う。
庶民の家でもシャワーの設備が普及しているが、我が家では最近ついた。
本当はかなり以前から在ったのだが老朽化で壊れていた。
三代前の当主は商才に長けた人物だったので、その当時建てた邸宅は立派な物でホテルの様に各部屋にシャワー、トイレを取りつけ設備に凝っていたが、祖父の代で浪費に走り没落してしまう。その為に、今では使用人の一人も雇えず、無駄に広い屋敷を維持するのも大変になり荒れるに任せていたのだが、兄のお陰で、配管設備を修復され、使えなかった私の部屋のシャワーも使えるようになり助かっている。
それまでは、たった一つの浴室しか使えず、しかもボイラーが壊れていたので台所で湯を沸かして家族でそれを使っていて不便だった。
貴族でなければ一層の事、部屋を貸した方が生活が楽になるんではないかと家族で笑って話してしまうほど、お金がなく使用して無い部屋が多かったのだ。
温かいシャワーを浴びながら、兄に感謝するしかない
それなのに私は、兄の上官であるエルンスト様を怒らせてしまい、迷惑を掛けてしまったのだ
「 うっうう ゴメンなさい 私など夜会に出なければ良かったのに」
流れるシャワーと共に涙を流すしかない
あまり無駄に湯を使う訳にもいかず、シャワーのコルクを回して止めて、バスタオルで髪を拭い、体を拭こうとすると
「虫さされ? 何時刺されたのかしら」
胸元に赤い虫の刺された様な後があるが、痒くないので気にしない事にする。
早く起きたので、朝食の用意をしようと急いで着替え
白い綿のブラウスに紺色のスカートをはいてから、年代物のドレッサーに座り鏡を見て髪を整える。
まだ湿った髪にブラシをして真直ぐにするが、真っ赤な髪の色が、今の顔色の悪いのを引き立て病人の様に青白い
大きな緑の目ばかりが目立ち、不気味に輝いており、昨晩見た美しい令嬢達に遠く及ばない顔
金髪などと贅沢は言わないから、せめてこの髪の色が栗色ならばと思わずにはいられない
そうであれば、一人ぐらい私に声を掛けてくれる貴公子がいたかもしれないのに。
昨夜の自分も惨めだったが、社交界のお披露目パーティーも悲惨な思い出しか無い
一五才になる私は初めての王宮の晴れ舞台に喜び勇んで兄のエスコートで出席したが、招待された同年代の少女は皆綺麗で、赤毛は私だけ
しかも誰も私にダンスを申し込んではくれず、兄と一度踊っただけの惨めな物だった。
兄は綺麗だと慰めてくれたが、折角の優しい言葉を否定する事も出来ず、有難うと言葉を返すしかない私
二度と華やかな場になど出ないと心に誓う
どうせひっ迫した我家の財政ではドレスも買えないのだから、このドレスも母の指環を売って無理をしたもの。あの時全てを諦めた筈だった
しかし結婚相手もいない私は欲を出してしまった
もしかしたら、兄の紹介してくれる男性なら私を少しは見てくれるかもしれないと、浅ましい思いを抱いてしまったのだ。
その所為でしっぺ返しに会ってしまったのに違いない
ヴィッツレーベン侯爵の嫡子に睨まれた私など、誰も結婚相手にされないだろう
せめて兄に類が及ばないようにしたかったがそれすら叶わなかった。
一層の事、修道院に入ったらいいのかもしれない
「そうだは、世俗を捨て尼僧になれば良いんだわ」
神に帰依すれば、男爵から籍は抜けて僧籍として一生神に仕える尼僧として神に祈りを捧げる生涯を送らねばならず、例え家族が取り戻そうとしても、皇帝ですら教会に干渉できない神との契約は破られない。
そうすればこの男爵家は安泰だ
兄ならば有力貴族の姫と婚姻も難しい話ではないのに、私が男爵家に居座っていては縁談も壊れてしまう
家の為にも私などお荷物でしか無いのだから
解決策が見つかり少し心が軽くなった。
そうと決まれば朝食を作り、両親にこの決意を伝えようと台所に向かうのだった。
我家の台所は分不相応に広いが、そこで作られる料理は一般の家庭料理と変わらない。昨晩母が用意しておいた冷蔵庫に寝かしてあるパンの種を成形して丸めて鉄板に置いてオーブンで焼く
それから裏庭の菜園から野菜を摘んでサラダにして、目玉焼きを焼き家族が起きて来るのを静かに待っていると母がエプロンをしながら台所に入って来た。
「お早うロッテ、随分早いけどちゃんと寝たの?」
私を見るなり、心配そうに私に声を掛けてくれる。
「お母様、お早う。昨晩は御免なさい、お兄様に私の事を聞いたでしょ」
「ロッテ、私達は気にしてないわよ。 それよりエルンスト様の方に幻滅したくらい、それ位の事でか弱い女性を公衆の面前でなじるなど、器が知れると言うものよ」
少し怒ったような口調で私の事を擁護してくれる母
本来ならば詰ってもいい事をしてしまったのに
「お母様」
「それに、私達なんて侯爵家にとって塵に等しいのでしょう。 だから塵の事など、もう忘れてらっしゃるわよ」
大らかな母らしい言葉に私を気遣っているのが分かり嬉しい
「お母様、朝食が終わったら皆に相談があるの」
「相談? 何だか嫌な話のような気がするんだけど何かしら」
「皆の前で言うわ」
「分かったは、皆で話し合いましょ。 でもオットーは居ないのよ」
「お兄様が」
「昨日の夜、アレから侯爵家から使いが迎えに来たんだけど戻らなかったようね」
「!! 私の所為」
「違うわ。 軍の仕事だと言っていたから」
「でも…」
「大丈夫よ。それよりカールを起こして朝食にしましょ」
母は朗らかに言うが私には絶望感が襲っていた。
エルンスト様の私を嫌悪する目を見ていないから楽観視できるのだ。
「ゴメンなさい、急に気分が悪くなったから部屋で休みます」
「ロッテ、直ぐにオットーも戻って来るから思いつめないの」
母は嗜めるよう言うがもう無理だった
「はい、でも少し休ませて」
「仕方ないわね。でもあんまり自分の殻に籠もらないで」
私は静かに頷いて、そのまま自分の部屋に下がる。
急いで部屋に掛け込むと、ボストンバックを出して数日分の下着と服を詰め込んみ、家庭教師の給金を少しづつ貯めたお金を出して財布に入れ家を出る準備をする。
兄はきっと私の所為で処罰を受けているに違いない
そう思うと居たたまれず直ぐに出家する事を決意する私
便箋を取り出し父に手紙を書く
尼僧に成り侯爵家に詫びる事を伯爵家に知らせて欲しい事と兄に謝罪の言葉を、両親に別れの言葉を残した。
それを封筒に入れて机に置く
そして両親に気付かれないように家を出よう
きっと引き留められるのは明白だから
窓から、ボストンバックを出して外に置き、それから気付かれないように玄関から外に出る。こういう時、無駄に広いのが役に立つった。
家を抜け出し、大通りに出てタクシーを拾う
「修道院までお願いします」
若い娘が朝早くからタクシーを使うなど変な顔をされるが、行き先が修道院と聞き快く乗せてくれる。
私の向かう修道院は王都から五〇キロ離れた郊外に建てられた場所で鉄道が通っていない辺鄙な場所で、車を使うしかないのだ。
「何時頃に向こうに着くかしら」
「そうだね。お昼前には着くはずだよお嬢さん」
「有難う」
車に乗り窓を見て王都の風景を焼きつける。
尼僧になれば、修道院から外に出るのは滅多な事では無いらしい
本当は両親と兄にちゃんと別れを言っておきたかったが、事は急を要するので諦め、せめて家族の写真だけを1枚持って来た。
王都を抜けると広大な農地が広がると同時に道路事情も悪くなって来る。
ガタゴトと揺れる舗装されていない道で、かなり乗り心地が悪い
「お嬢さん、これから揺れるが気分が悪くなったら言ってくれ。 休憩で止まるから」
「申し訳ありません」
「なーに 仕事だから気にしなくてもいいさ」
車で走ると何処までも続く麦畑、この豊かな実りがこの帝国を支えている。だが近年度々起こる戦争で農民からも兵士が招集され、若い働き手が減って来たらしい
戦争で多くの命が犠牲になるり、兄が出兵する度に心が不安で押し潰れそうだった。
戦争など起こらなければと思う反面、その度に出世して行く兄も誇らしくあり矛盾した考えに苛まれる
これからは兄の無事と戦争で死んでいった人々が安らかに眠れるよう祈りを捧げよう
私に出来る最善の道だと今更ながらに思うのだった。
王都を出発して2時間は経ち、幾つもの農村を通り過ぎた頃
「何だ?!」
運転手が訝しそうな声をだす。
「どうかしましたか?」
「いやー 後方から軍の車が凄いスピードで追いかけて来るんだ? 」
「エッ!」
私は、急いで後を見ると砂煙を上げながら迫って来る2台の車を確認する。
まさか私
そんな訳が無いと否定する。
私のような娘を追うほど、軍が暇である筈がない
きっと違うと心を落ち着かせようとすると車が止まってしまう。
「どうしたんですか」
「この道は狭いから、先に軍の車を通した方が安全だからね」
運転手の言う通り2台すれ違うには狭い道
道路ギリギリに横付けして、通り過ぎるのを待っていると何故かタクシーに横付けされて軍の装甲車が挟むように停車したかと思うと二人の兵士が降りてくる。
「一体何だ??」
運転手のおじさんも青ざめ驚く
何故!?
兵士の一人が後部座席のドアを開けて声を掛けてくる。
「シャルロッテ・フォン・フロイデンベルク様ですね」
私の名前を呼ばれて覚悟する。
まさか、あの方が軍を動かしてまで私を捕まえに来るなど思わなかった。そこまでの罪を私が犯したの
絶望で返事をするのが精一杯で
「はい…」
「貴女様の身柄を拘束するように命令されております。 御足労願いませんでしょうか」
口調は丁寧だが、逆らう事など出来そうもない雰囲気を醸し出している兵士
「分かりました…」
もしかして逃亡と思われたのだろうか
兄は大丈夫なの
こうなれば私が罰を受け許しを得るしかない
私は震える体で車から出ようとするが、運転手さんに迷惑を掛けてしまったのに気付く
鞄から財布を取り出そうとすと
「動くな!」
突然、拳銃を突き付けられ驚く
「ちっ… 違います… 財布を取り出すだけです」
兄の携帯している拳銃を見た事があるが、突き付けられるのは初めてで恐ろしい
「可笑しな行動はするな」
「はい」
急いで財布を取り出して、全てのお金を取り出し後部座席に置く
「ご迷惑をおかけしました。料金は此方に置いておきますので受け取って下さい」
「ああ…」
運転手さんは俯き気まずそう
私を乗せたばかりに嫌な思いをさせてしまい申し訳ない
車を急いで降りると兵士が軍の車の後ろのドアを開き乗るように促す。
荷物のボストンバックは兵士が奪うように取り上げて拳銃を突き付けられたままで、まるで犯罪者の扱い
私はどうなってしまうんだろう
不敬罪で牢に入れられるのかもしれない
私は震える体を抱き締めるように車に乗り込み、これから起こるであろう更なる悪夢に耐えるべくじっと身を縮めて座る。
そして兄の無事を祈るしかないのだった。