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聞き流したのか聞こえないフリなのか、水元の返事はなかった。
だから、もう一度繰り返す。
「来年は、一緒に行こうな」
また返事がないので、ちょっと強めに出た。
「返事は!」
「はいっ!」
反射的にはっきりした声が出るあたり、水元も結構素直なんだよな。
だけど、表情には迷いがある。
怯えは、過去の経験が物を言う。
あったであろう激しい諍いや、身を揉む嫉妬や憎しみは、あの頃のやつれた水元を思い出せば、容易に想像ができる。
俺とだって、それはありえないことじゃない。
捨ててしまえとは、言えないのだ。それを内包し、今の水元がある。
ただ、俺に少しだけ期待を抱いてくれるのなら、「俺はその水元の顔すら、見たい」そう言える。
だから、警戒なんてしないでくれ。
守ってやる力はなくとも、守ろうとする努力はするから。
休み続きで身体の緊張のない水元が、カウチでのんびりとテレビを眺めてる。
隣に座る俺は、缶ビール片手にポテトチップスなんかつまんでる。
これが幸せだと思っているのは、俺だけじゃないよな?
それを口に出す気はないけど、水元のその顔は、満ち足りているんだよな?
「恋」とか「愛」とかって言葉は、自分には使いこなせない。
俺が言いたいのは、こんな時間を長く続けたいってことだけ。
一緒に布団に包まって、水元が使う石鹸の花の香りを、腕の中に収める。
ただ待っていれば、いつか一緒に生活できるんだろうか。
「結婚は勢いとタイミング」と、誰かが言っていた。
タイミングを計る時計は、どこにも見当たらない。