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リリーが眠ってしばらく、リゼはリビングでランプを灯し、本を読んでいた。
ページを一枚めくり、ランプの火が風に揺れて、影に満ちた部屋の造形がわずかに歪む。
「ただいま」
ジェイドが帰ってきたのは、夜も更け日付の変わったくらいの時分であった。
「おかえりなさい」
「リリーは?」
「リリー?」
「連れてきた女の子」
「へぇ、リリーって言うのね。リリーならお風呂に入ってぐっすりよ」
「そっか。どうだった」
「事情があって声は出せないみたいだけど、怪我もないし意思の疎通もできる。それと、レオンやあなたと比べて聞き分けがよかったわね」
「そりゃ耳が痛いね」
ジェイドは苦笑いを浮かべて、リゼの対面の椅子を引き、腰を下ろした。
「それで、拾ってきた経緯を説明してくれる?」
「そうだな。何から話そうか」
「目的から」
「聞いたら驚くぞ」
「リアクションの準備はバッチリよ」
「さすが。読書をする余裕まであるとは思わなかったけど」
リゼは会話をしながら文章に目を滑らせ、ページをめくる。
ジェイドはテーブルに両肘をついて手を組み、身を乗り出して、いかにも神妙な面持ちといった風な目をした。
リゼの経験上、もったいつけた役者のような振る舞いをするジェイドの言葉は、朝市でたたき売りをしている露店の店主の格安セールと同じくらいの適当さで聞くのがちょうどいい。
ジェイドの特技は隠し事で、趣味は暗躍だ。そんな人間の話を毎回全て真面目に受け止めようとすれば、どれだけタフな精神を持っていても参ってしまう。
長年の付き合いがあるリゼは、そのことをよく分かっていた。
ゆえに、心構えもなしに、重大なことが言い渡されてしまうのだ。
「あの子は、スタンピードを止める鍵になる」
ぱたん、と音を立てて本が閉じられた。
「……はぁ?」
次いで、リゼの苛立ちと戸惑いをはらんだ疑問が口をついて出て、剣閃の走るような鋭い眼光がジェイドへと突き立てられる。
それは優雅を繕う余裕のなくなったリゼの、紛れもない本性の一端だった。
「待って。冗談でしょ」
「俺が冗談でこんなこと言うと思う?」
「自分の胸に手を当ててごらんなさい?」
眉根をひそめるリゼに言われたジェイドは、「心臓が元気に動いてる」揶揄うように笑みを浮かべる。
目を閉じ固い眉間のシワを揉みながら、リゼは舌打ちを鳴らして溜め息を吐いた。
「確定なの?」
「これからの頑張り次第かな」
「被害は?」
「最悪を回避できる」
「本当に、あんな子が?」
「そこは保証する。他でもないこの俺が」
いつになく自信満々に言い切るジェイドを前に、リゼはそれ以上の疑義を挟む余地がなかった。
溜め息混じりの深呼吸が刹那の静寂を埋め、意を決したようにリゼは口を開く。
「分かった。私は何をすればいいの」
「リゼにはレオンの時と同じことをしてもらいたい」
「初等教育、基礎戦闘術、魔力の基礎、でいいのね」
「それに加えて剣術も」
「いいの? 知ってると思うけど、厳しいわよ」
「身に染みてるよ。思い出すだけで今でも震えてくる」
「ご所望ならいつでも相手してあげるけど?」
「遠慮しておくよ。今夜の夢に出てきそうだ」
「あら、美女の誘いを断るなんて火遊びにはもう飽きたの?」
「最近学んだんだけど、芯の通った男ってのはモテるんだ」
「ふっ、火傷しないといいわね」
「火葬は……、ちょっとシャレになってないね」
「骨なら拾ってあげるわよ」
「できることなら、そうなる前に助けてほしいんだけど」
夜もすがら、肌寒い気温にあってしかし、ジェイドは底冷えするようなリゼの怒りを感じ取っていた。
つと、冷や汗が背筋をなぞり、肌を粟立たせる。
リゼは言葉にこそしなかったが、「また私に押し付けるのね」と言外に圧力をかけている。
このまま会話を続けていれば、そう遠くないうちに虎の尾を踏み襲われて、逃げた先の藪に突っ込み、出てきた毒蛇に噛まれ、自らの手で墓穴を掘ることになる。
危機を察知したジェイドは、必要な話も終わったことだし、早々に退散しようと腰を浮かせた。
「それじゃ、おやすみ」
「ええ。おやすみなさい」
ジェイドはそのやりとりにほっと胸を撫でおろし、そそくさとリビングから出て行く。
獲物を取り逃がした狼が、小さくなっていくその背を睨むような、リゼの視線に気づかないフリをしながら。
〇ストーリー要約
・ジェイドが帰ってきてリゼと話し合う




