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昭和62年の遺産 (後編)

「昭和62年の遺産」は以前と比較して突出して長くなりましたので前後編に分けました。


「ようし、まずはOCRからだ……」


高解像度のデジタルカメラを取り出し、魔窟の中でページをめくる充。

今はスキャナよりこちらのほうが早い。

透明なPC筐体の中で青や緑のLEDがビカビカ光りながら処理を開始する。

轟くメカニカルキーボードの打鍵音。

いつ買ったか忘れた個包装の煎餅で脳にブドウ糖を叩き込む。


未来は背後からそっと覗き込み、ある種の畏怖さえ感じていた。


「あの……コーヒー淹れたんだけど……」


「フゥーーーハハハ! 俺に不可能などないっ!いくぞ!ヘラクレスシステム起動ぉっ!」


未来ドン引き。

数時間後、汗ばんだ顔の充が階段を降りてきた。


「何してたの?」


「System/360のエミュレータでAPLを動かして、あのコードを走らせたんだ」


充は封筒に紙を詰め、女性に手渡した。


「お客さん、これがお探しの情報ってやつらしい」


女性は涙を浮かべ、深々と頭を下げた。


「ありがとうございます。本当に、これで父の遺したものに会えます……5100を買おうと思っていたお金、受け取ってください。20万円、ここに」


「いーえそんな、気持ちだけで十分——あっ?」


未来を抑え、素早く20万円を受け取った充は、どこへともなくふらりと出かけていった。

未来は首を傾げるしかない。

女性は急いでいるらしく、そそくさと帰っていった。翌日の税務調査とやらに備えてなのだろう。


「どこ行ったのよ……」


三時間後、紙袋を携えて戻ってきた充は満面の笑みを浮かべていた。


「50倍になった! やっぱガチで嬉しい!」


「もしかして、さっきの売上全部ギャンブルに突っ込んだの?」


未来が呆れ顔でつぶやいた。


「菊の季節に、サクラが満開っ……てな」


「菊は秋でしょ」


*  *  *


夜が更け、真田無線の店内には静けさが満ちていた。

未来は、2階の私室をそっと覗き込んだ。ケーブルとジャンクで埋もれた腐海のような床の片隅で、充はどうにかスペースを確保して眠っている。


「ほんとにこの人は……もう少し片付けてから寝ればいいのに……」


未来は小さくため息をつきながら、2階のキッチンに戻った。そこには、充愛用の電気ポットとドリップセットが並んでいる。



朝。

充は濃いめのコーヒーの香りで目を覚ました。


「……ん。いい匂い」


「おはよ、マスター」


「……なんでまたマスターなんだよ。やめろって、それ」


「でも、昨日はほんとに格好良かったよ。コードを紙から読み込んで?再構築して?System/360エミュレータ?で走らせるなんて、まるでハリウッド映画のハッカーだよ」


「アレはハッカーじゃなくて、地味な変態技術者の仕事だ。まあ……褒められて悪い気はしないけどな」


充はコーヒーを受け取り、窓の外を見上げた。


「……もう朝か……あの人、ちゃんとなんとかなったのかしら。連絡の取りようもないし……」


「今の時代じゃメールは全部紙だしな。都内でも2,3日はかかるだろ」


「面倒な時代ね」


未来が寂しげに笑う。


「でも、ま、ちゃんと感謝してたじゃん。見ててわかった」


「まあな」


その時、店の裏口の呼び鈴が鳴った。

まだ開店しないうちから客が来るなんて……と、未来と充は顔を見合わせる。

扉を開けると、昨日の女性が立っていた。

手にはきれいな包装紙に包まれた何かを抱えている。


「……らっしゃい。随分お早いご来店ですね。お役には立てましたか?」


「はい、昨日はありがとうございました。これ……つまらないものですが、よかったら召し上がってください」


差し出されたのは、和菓子の詰め合わせだった。


「和菓子か、ありがたいな。脳への援軍はカフェインと糖分に限る」


充が笑い、未来も肩をすくめる。

あの後、何がどうなったのかを軽く説明して女性は帰っていった。

税務調査もうまく乗り切れそうだとのこと。その足取りは明らかに昨日より軽い。


「なんだかんだで、良いことしたんじゃない?」


女性が帰ったあと、二人はカウンターの奥でお茶を淹れて和菓子を頬張る。


「さあ、次は何が出てくるかね」


「ジャンク屋の朝は、早い……ってやつ?」


「いや、俺は朝早いのは苦手でね」


「居眠りしたら店ごと吹っ飛んじゃうしねえ……」


「そんときゃ、君も一緒だな」


未来の口元に、小さな笑みが浮かんだ。


*  *  *


東京、2025年。ゴールデンウィークが近づき、桜を見終わった外国人観光客が土産を求め集う秋葉原……の端にある真田無線の店内。

夕方の光がカウンターの奥に差し込む中、未来がドアを開けて入ってきた。


「よっ、起きてる?」


「寝てねえよ」


「はいはい、お疲れさま。ほら、カフェインと糖分」


未来が近くの自販機で買ってきたゼロじゃない方のコーラを充に渡す。


「和菓子と抹茶に比べたら、まあ若干味気ないな」


充が笑いながらコーラを飲み始めると、未来はカウンター越しに視線を巡らせた。


「……で、例のアレはどうなったの?」


「5100ならもう売ったよ。例の転売屋に」


「はやっ! いくらで?」


「100で売れたよ。向こうも要らないとは言わなかったな」


「そりゃそうでしょ。いま手に入らないもんね、あれ。……でもさ」


未来はカウンター脇に隠すように置かれていた札束に視線を移した。


「この1000万の札束見てると、どういうわけか100万の話がしょぼく感じるわ」


「これがあるとないとじゃ、『あっち』での生活の安心感が違っただろ?」


「うん。最初はどうして20万受け取っちゃったのかと思ったけど、考えてみれば私達、あっちで使えるお金持ってなかったもんね」


「わかってもらえて嬉しいよ」


未来は拳をこめかみにあてて、グリグリしながら話を続ける。


「でも、こんな札束見てるとなんか、価値観がだんだんおかしくなってくるね」


「それはやばいな。自分の給料に納得ができなくなるぞ」


「立派な社会不適合者の出来上がりでーす。責任とってくださーい」


「だが、断る」


「ちぇ……。でも100万かぁ。私ならもっと吊り上げちゃうけど、まあサナっさんらしいか」


転売屋あいつ、自分で持っておきたいとか言ってたくせに、どっかに流す気満々だったからな。これでもちょっとふっかけてみたんだが」


「ふーん……って、あれ?」


未来はスマホを取り出し、SNSの画面を覗き込んだまま、目を見開いた。


「アラブの王族がIBN5100をオークションで落札! 完動品で250万だって! ……誰よこんな掘り出し物手放したやつ!……って知ってるけどね!?」


スマホの画面には間違いなく、充が売った5100の写真が添えられていた。


「250万か……倉庫の不良在庫がここまで化けるとは、わからないもんだな」


未来は肩をすくめて言う。


「過去に行ったら金になるモノ、現代に戻ったら値がつくモノ。ジャンクって奥深いね」


「俺はジャンクの神様とでも呼ばれる日を夢見てるよ」


未来が吹き出す。


「はいはい、せいぜい頑張ってくださいな、マスター」


「だからそれやめて。お願い」


そんな何気ない会話が、真田無線の店内に穏やかに響いた。

そして今日もまた、不思議な一日が、静かに暮れていく。



* 「やっぱガチで嬉しい!「菊の季節に、サクラが満開」こういう違和感のあるセリフにはなにか仕込みがあるものです。

* ちなみに、作者がタイムスリップするなら1992年の4月から12月までいたいです。

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― 新着の感想 ―
130万の物を100万で売ったら、吹っ掛けるどころか、損しているような・・・。 150くらい取っても良かったのでは?
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