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昭和62年の遺産 (前編)

全年齢設定にしてありますが、もしかして本作が面白いのはすごく狭い年齢層なのではないかと。

2025年4月、東京・秋葉原。 薄曇りの空の下、真田無線のシャッターがぎいと音を立てて開く。まだ人通りの少ない表に比べて、店内はそれなりに賑やかだ。謎の光学ドライブ、サーマルプリンタ、見たことのない端子のキーボード、そしてアナログチューナーのついたモニタが並ぶ。


充は、レジ奥の古びた革張りの椅子に沈み込み、いつものコーヒーを啜っていた。くしゃみをひとつしてから、眼鏡を指で押し上げる。

そのとき、入り口のベルが鳴った。いつもの音が店内に響く。


♬ぴんぽんぴんぽーん


「らっしゃい」


「おはよう。なんか、変な顔してたよ」


現れたのは沢村未来だ。ダークグレーのパンツスーツにカーディガンを羽織り、片手には小ぶりな紙袋、もう一方の手には薄型のマスクを持っている。


「その顔、また徹夜でしょ。ちゃんと寝てんの?」


「ああ、ちょっとゲームをな」


未来は呆れたようにため息をつくと、紙袋を掲げた。


「そこでたいやき買ってきた。甘いの好きでしょ? ついでに、かりんと饅頭もあるわよ」


「気が利くな。いつも助かる」


充はたい焼きの入った包みを受け取ると、嬉しそうに笑う。

そのとき、再び入り口のベルが鳴った。


「すいません、あの……IBN 5100ってお取り扱いありますか?」


入ってきたのは、20代後半とおぼしき男性。

チェックのシャツにヨレたジーンズ、リュックを背負い、手にはタブレット。

額には汗を浮かべていて、界隈を駆けずり回っていたのがよく分かる。


「IBN 5100……ああ、タイムループものに出てくるアレか」


充は立ち上がって、棚を一瞥した。


「探してる人は多いけど、現物はめったに出回らないやつだね。そもそも日本国内にはあまり流通してなかったし、捨てるときも法人単位だからね。個人が持ってることはまずない」


「やっぱりそうですよね……でも、どうしても欲しくて。動かなくてもいいんです。ハードウェアの転売をやってるんですけど、あれだけは自分のコレクションにしておきたいんですよ」


割と真面目な目。どこか執念めいたものを感じる顔。


「……気持ちはわかるよ。あれは、時代の狭間に生まれた奇跡みたいなマシンだ。内部にAPLを搭載した専用インタプリタを仕込んであって、後のマシンとはまるで違う設計思想だった」


「ですよね!」


男は嬉しそうにうなずく。


「でもまあ、ご覧の通り店頭には置いてないな。バックヤードにもあるかどうか……」


「それでも!確認してもらえるだけでありがたいです!」


名刺を渡すと、男は頭を下げて去っていった。



「わかんないわね。50年前のPCで、一体何をすればそんなに楽しいのかしら?」


未来が去っていった男を目で追いながら呟いた。


「IBN 5100ねえ。今いくらくらいするんだ?」


充はコーヒーカップを机の上に置いて店のPCで中古相場を検索する。


「ひゃ……130万もすんのか。すげえ……」


「え?ひゃくまん?」


その瞬間、店内の空気が明らかに変わった。まるで見えない何かが空間を撫でたように、視界がわずかに歪む。


「おっと……来たか」


目を閉じると、耳鳴りがして、床の感触が微かに変わる。ゆっくりと瞼を開く。

街の音が変わっていた。


ざらついたサウンドロゴの店内放送、ロータリーエンジンのかすれた排気音、そして遠くから聞こえるラジオの声。

外を覗くと、見慣れた秋葉原の街並みに、どこか懐かしいざわめきが混ざっていた。


*  *  *


「これは……昭和か。朝っぱらからたまらんな」


充は看板のひとつに目をやった。 『夢を越えた』と書かれている。


「夢を越えた……なら1987年だな。昭和62年か」


「何をワケ解んないこと言ってるの?どーすんのよまた飛ばされちゃったじゃない」


肩をすくめて笑う。


「まさか、こんなタイミングで飛ばされるとは」


「何がきっかけで飛ばされるのかしら。心当たりはないの?」


未来が口を尖らせて詰め寄ってくる。充はすっと視線を外して煙を吐くように息をついた。


「まあ、たいていは眠いときか、ちょっとクセのある客が来たあとだな」


「へえ、それってあたしのこと?」


「普通の客とは言えないだろうよ……ところでな、型番までは覚えてないけど、確か古いIBN機、あったぞ。倉庫に。」


二人は同時に顔を見合わせた。


「じゃあ、あるの? 今ここに?130万?」


「探してみる価値はあるな。ただし……」


充は扉の向こうに目をやる。


「動くかどうかはわからんし、そもそもどう動けば問題がないのかも分からん。そこは勘弁してくれ。電源入れて、画面になにか出たらそれでいいだろ、もう」


「それでいいわ。何かやってないと、気が滅入りそうだから」


二人は裏手の倉庫へと足を踏み入れた。

ヘビの巣のようにケーブルが入った段ボール、ブラウン管CRT、黄ばんだキーボードたちの中を掻き分けていく。


「こっちは……違うな。この時代のPCはどうしてどれもこれも似た色してるんだ。くそっ」


充がラックの下から大きめのケースを引きずり出す。


「お、これは……!」


銀灰色の筐体。正面にはIBNのロゴが走り、キー配置も無骨でシンプルだが一種独特のオーラを放っていた。


「間違いない。5100だ」


未来が息を呑んだ。


「ほんとに、あった……」


充は埃を払い、慎重にケースを開く。


「状態は悪くないな。電源ユニットが生きてれば通電できるかもしれない」


彼はコンセントを探し、延長コードを手繰ってPCに差し込む。恐る恐るスイッチを入れると、重々しいファンの音とともに中央のLEDがひとつ、ゆっくりと点灯した。


「うそ……動いた」


「奇跡だな」


そのとき、来客を告げるチャイムが鳴った。


「らっしゃい」


「すみません、こちらで古いコンピュータを扱っていると聞いたんですが」


現れたのは20代半ばくらいの女性だった。ボブカットの髪を整え、細身のジャケット姿。手には革製のビジネスバッグ。


「どうぞ、何かお探しで?」


「実は、探しているパソコンがあるんです。少し古いものなのですが、IBNの……5100という機種なんです」


充と未来は一瞬、視線を交わした。


「どうしてまた5100を?」


「……実は……そこに、相続の関係で必要なデータが入っているらしくて」


未来の表情が動く。充は黙って彼女を見つめた。


「父が突然亡くなって、貸金庫にあった資料に『資産情報は5100で動くプログラムに託した』って書いてあったんです。でも、そのパソコン自体はとうに廃棄されてまして……明日にも税務署の調査が入ると言われ、それまでになんとかしたいんです」


「それって、わりと……やばくない?」


「はい。今のところ八方塞がりなんです。こちらでなんとかなるかもと聞いて……なんとかなりませんでしょうか?」


「もし5100が見つかったとして、プログラムの入った磁気テープカートリッジはお待ちですか?」


「?」


女が首をかしげた。充は両手で15cmくらいの四角形を作って見せる。


「こーんな、カセットテープの親玉みたいなやつです。それがないと、5100はタダの箱です」


「わかりません……」


本当に、何を言っているのか分からないらしい。

充は肩を落とし、女にわからないようにため息を吐いた。


「じゃ、どうしようもありませんや。5100があってもプログラムがないんじゃ」


「プログラム……はよくわかりませんが、資料の中に、なにか打ち出された紙がありました」


女性は紙袋から新聞紙ほどの厚みのある紙束を取り出した。


「なにこれ?」


「プログラムリストだ。おそらく5100で動くAPLのコード……かな?だったら、手はある」


「打ち込むの? 今からこの分量を?5100に?」


「それはそれで面白そうだが今はやらん。何日もかけてやるほど俺たちにも、このお客さんにも時間はないからな」


充は紙束を抱えて2階の自室へと駆け上がる。


「どうするの?」


「自室に籠もって作業するからお客さんにはそう言っておいてくれ。入ってくるなよ!絶対!」


「頼まれたって入らないわよ!」


鼻をつまみながら逃げていく未来。それを確認した充は夜叉の微笑み。

そう、アキバモンはいつだって、全力でオタク知識を執行する理由を探しているのだ。


*『夢を越えた』は1987年3月発売の、とある伝説的なPCの初代機のキャッチコピーです

* 充に「これより、オペレーション・ハーキュリーを開始する!」とか言わせたかった……


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