平成4年のデモディスク
真田無線にとって、2月は厳しい時期だ。俗に「二八」と呼ばれるように、耐久消費財の需要が落ち込む月である。
それでも何もしないわけにはいかない。
通りに面した売り場の片隅では、派手な値札を貼られた山積みの空ケースに赤い札が貼られていた。
「最終入荷!国産ブルーレイ-R(50枚) 1,680円→980円(在庫限り)」
そのすぐ下に小さく「2025年2月製造終了」の印字があり、どこか物寂しい気配が漂っている。
「時代かねえ……最近じゃPCにも光学ドライブついてないもんな」
秋葉原・真田無線の三階。雑然とした倉庫の奥には、充が「いずれなんとかする箱」と呼ぶ未処理機材の山。
先代の父が買い付けた物もあれば、倒産したショップや会社から引き取った在庫も混じっている。
「もう何年もこのままだな……そろそろ片付けるか」
彼が手を伸ばした先には黒く武骨な金属の筐体が立っていた。縦に並ぶ十段の5インチスロットは、時代の痕跡を帯びながらも確かな存在感を放っている。
「業務用の10連CD-Rデュプリケーター……懐かしいな」
学生時代、これを使って地下アイドルの自主CDを焼いた記憶が蘇る。友人に頼み込まれて同人ゲームのディスクを量産したことも思い出された。
かつては「コピータワー」と呼ばれていたこの機械も、2000年代には「デュプリケーター」と呼ばれるようになり、DVD-RやBlu-ray-R対応の高性能モデルの登場と共に、CD専用の旧型は市場から姿を消していった。
「栄枯盛衰ってやつだな」
処分の対象に入れようとした充の手が止まる。箱の隅に焼いたCD-Rがひっそりと転がっていた。
大学時代、自分で録音したギターのインスト音源を焼いたディスクだ。
そのへんに転がっていたCDラジカセにディスクを挿入すると、ざらついたリバーブが空間に漂い、当時の旋律が音として蘇る。
拙い演奏ながらも、ひたむきだった自分が確かにそこにいた。
「下手くそ……だけどまあ、可愛いもんじゃないの」
鼻歌まじりで階下に戻り、レジ横のコーヒーメーカーで一杯を淹れる。
バックヤードでレトルトのカルボナーラを電子レンジにかけ、壁に立てかけた古いギターをぼんやりと眺めていると、さっきの曲が頭の中でリフレインしていた。
タイムスリップの余波だろうか、最近、やたらと若い頃の記憶が蘇る。
(また、あれが起きたら……今度はいつの時代に飛ばされるんだろう)
カルボナーラを啜りながらあらためてバックヤードを見渡していた充は、棚の奥で金色に輝くCD-Rの生ディスクが100枚ずどんと固まっているスピンドルを見つけた。
昔はこういうバルクディスクがよく売れたと聞くが、今も愛好家はいるのだろうかとぼんやり考えているとまぶたが重くなる。
「いかん。血糖値スパイクか……?」
遠くでCD-Rのスピンドルが、音もなく微かに揺れた。
* * *
真田無線の一階に差し込む光の色が、いつもとは違っていた。
「また来たか。まあいいんだけど、なにかこう……納得がいかねえなぁ……」
戸口を開けると、外は1990年代初頭のくすんだ色合い。通りの看板には“マルチメディア”の文字が並び、若者たちはスカジャンやテーパードジーンズに身を包んで行き交っていた。
大学生と思しき男性達がX68000とPC-9801ではどちらがどうだと論争をしているのが見える。
さっきまでCD-Rを再生していたCDラジカセを持って降り、ラジオに切り替えると、ニュースで年月日を言ってくれたので意外と簡単に年代がわかった。
(1992年の暮れか。前にもこれくらいの時に来たなあ……ん?1992年の暮……?)
充の頬は上を向いてつり上がっていた。
ぴぽぴぽぴんぽーん♬
カルボナーラの残骸を片付けていると来客を告げるチャイムの音。考え事をする暇もない。
「らっしゃい」
「すみません、DATの音源をCDにしたいんですが、何かそういう機材ってありますか?」
革ジャンにジーンズ、ギターケースを背負った若者が息を切らして立っていた。
「なに?CD焼きたいの?」
「……焼く?」
「CD-Rっていう記録用ディスクがあって、それに曲やら何やらを入れることでCDプレイヤーで再生できるようになる。それを『焼く』って言うんだけど……」
若者は我が意を得たりとばかりに元気よく頷く。
「まさに、そういうことをしたいです。機材ありますか?100枚ほど、すぐに作らなくちゃいけないんです」
「いいけど、お金は大丈夫なの?1台50万出しても等速書き込み推奨って世の中なのに」
「50万……?」
「スタジオ用でも1台15万かもうちょっとするよ。これに生ディスクが1枚3000円から5000円てのが相場」
「無理ですよ……知らなかった。そんなにするんですね」
時間と元気はあるが金はないのが若者によくある傾向。
「まあ、それは機材全部を買ったら、の話。ここで焼いていくなら話は別。乗る?この話?」
「え?」
「写真だってそうだろ。現像の道具を揃えりゃ高くつくが、カメラ屋に持っていきゃ1枚50円で焼きまししてくれるじゃないか」
「それって……?」
充が、若者の口から出て行く魂を押し留めるような低い声とニヒルな笑顔で微笑んだ。
「専用の機械でデータを書き込む設備、ウチにあるよ。生ディスクも置いてある。どうする?」
「えっ、本当に? そんなことが店でできるなんて……」
「準備が要るから、やる気があるなら今決めて」
「おっ……お願いしゃす!」
榊原を三階の倉庫へ連れていき、布を外すと、黒く光る金属製の筐体が姿を現す。若者の目が見開かれる。
「……これが?」
「10連CD-Rデュプリケーター。業界トップクラスの速さで焼ける」
「……すごい……これが本当に……」
「音源は今日、持ってきてる?」
「はい、DATでいいですか?」
若者はバッグからポータブルのDAT録音機を取り出した。
「光端子はあるね……じゃあ変換はこっちでやる。……ところで、お名前聞かせてもらえる?」
「榊原です。榊原亮」
「ようし、じゃあ金のない榊原君に特別サービス。やり方を教えるから自分でやって。それならうんとまけてあげられる」
「わかりました。よろしくお願いします!店長!」
「真田充。よろしく」
充は倉庫にあった光入力端子のあるPCを起動させ、音楽データの取り込みソフトをインストール。
まるで昨日まで扱っていたソフトのようにあっという間にDATに入った5曲がデータファイルになっていった。
「曲名が分からん。教えて」
充に言われて榊原が曲名を書いたルーズリーフの切れっ端を差し出す。
卵色の紙には曲名の他に、『CD-R /100copy 音源提出締切:12月26日』の文字が踊っていた。
充の顔が曇る。どうやったって金髪金欠のイカ天小僧には無理な注文だ。
「しかし100枚とは……出せという方も容赦がないね。一体何に使うのこれ?」
「俺達のバンド、レーベルから声がかかってて、試しに年末のフェスに出てみろって話なんですよ。それで、主催者に話を通したり、司会やマーケティングや協賛の関係者みんなに配るとこれくらい必要になるそうなんです」
充は金色のCD-Rの持ち方、ディスクの入れ方を榊原に教え、榊原はそれをなんとかやってのける。
機械が静かに動き出し、10枚分のトレイがドローンのプロペラのような音で大合唱を始めた。
「生ディスクが1枚3000円から5000円てとこだし、ウチじゃなきゃ100枚も焼けば素寒貧になるよ。やっぱ100枚はおかしいんじゃない?先方に確認した?」
「……実は、ウチのバンド、レーベルから本当に来てほしいって言われてるのはボーカルとベースだけなんですよ」
進行状況を示すインジケーターを見つめながら榊原がポツリとこぼす。
「だから今回みたいな無理難題を俺に押し付けて、失敗した、俺のせいでフェスにも出られない、もう俺とはやってられない、という流れを作りたがってるんですよね」
「わかってるならそんなふざけた企みに乗ってやることもないだろうに……」
「いいんです。どのみち解散するとしても、100枚きっちり目の前に揃えて連中の目ん玉白黒させてやることができれば、俺はもうそれで……」
話の途中でデュプリケーターのモーターがフゥンと音を立てて、倉庫は一転、ちょっとした静寂に包まれた。
「あ……あれ、壊れた?止まっちゃいましたよ?」
「まだ書き込みが終わっただけ。今から終了処理、ファイナライズってのをやる。黙って見とけばいい」
それから2分ほど経つと、すべてのディスクトレイが開き、1回目の「CD焼き」は終わりを告げた。
「え……?5曲で20分くらいはかかるはずじゃ……まだ5分も経ってませんよ?」
「16倍速だからね。20分の楽曲なら2分かからんの。それにファイナライズで合わせて4分てところかな。これをあと9回」
「1時間かからないんですか……?」
「これができるのは今はアキバじゃうちだけかな。でも、黙っといて。うちにも事情ってもんがあって」
榊原はこくんとうなずくと、スピンドルから次のCD-Rを10枚セットし、実行ボタンを押した。
「それで、100枚出して、フェスに出て、それでどうする?」
「俺は……バンドにしがみついていたいんじゃなくてちゃんと音楽やりたいんです。だから、レコード会社が俺のことを要らないって言うならそれはしょうがないです。俺は、俺の音楽をずっとやって行く道を探します」
充は少しだけ微笑んだ。
「いいね。じゃあ、あとは自分で焼いていきな。お代は……そうだな、3万円。ただ、俺が今から2時間ほど出かけるから、留守番してくれるなら2万円でいい。ああ、焼けたディスクはそこのパンツを履かせとくの忘れないで」
榊原は笑って頷き2万円を支払うと、エンベロープの束に手を伸ばす。
留守番がいるなら大丈夫と、充は満面の笑みで駅へと駆け出した。
「ッシャア!今年の有馬記念は激アツだぞ!」
* * *
2025年、真田無線。
充が三階の倉庫で不要なVHSデッキの山を崩していると、ドアチャイムがなった。
「すみません、どなたかー?」
急いで降りてきた充の目の前に立っていたのは、見覚えのある面影を残した40代の男――榊原亮。
年に似合わぬ派手なジャケットに身を包んだ彼は、以前とは打って変わって、凄みのある顔で微笑んでいた。
「……どっかで見た顔だね、お客さん」
「ご無沙汰してます。 覚えてますか?俺のこと」
「金のない榊原さん……でしたっけ」
「ははは、それは今も同じですよ。でも、そうです。榊原です。お会いしたかったですよ真田さん」
「……あれからどうなりました? よかったら上でお話聞かせて下さいよ」
榊原は頷き、昔のように三階に上がっていった。
当時と同じ場所にあるデュプリケーターを見つめながら、静かに語り出す。
「あの100枚のCDが間に合って、フェスに出たことまではご報告しましたよね。結局バンドは解散したけど、フェスを見て、いろんなところから声がかかって、今もなんとか音楽で飯食ってます」
「ボーカルとベースは結局どうなりました?」
「どうも、泣かず飛ばずで消えていったみたいです。ここ20年くらい見てませんね」
榊原の顔には少し勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。
「で、金のない榊原さんは業界に残ったわけですか。人生わかんないもんですね」
「御茶ノ水で音楽スタジオをやってます。プロのバックバンドやアレンジ、たまにアーティストへ楽曲提供とかもしてるんですよ」
「よくそんな金がありましたね?」
御茶ノ水は楽器屋や練習スタジオが密集している都内有数のエリアだ。当然競争も激しければ家賃も高い。
「いやあ実は、あの日見せてもらった真田さんの買ったヤツと同じ馬券に有り金突っ込んだんですよ」
「!!……あれ取ったのか!?」
「はい、馬連300倍ゴチっす。あれのお陰でいろいろ助かりました」
業界を泳ぎぬくにはこういうしたたかさもいるのかと、充は少しだけ感心した。
* * *
「あれ、真田さん、このCD-Rはなんですか?」
ひとしきり昔話に浸った後、榊原が手を伸ばした先にあったのはCDラジカセの中にあった1枚のCD-R。
充の若かりし頃の情熱と虚栄心と他の何かが混ざりあった「黒歴史」だ。
本人なら苦笑いしながら聞けても、他人に聞かせて良いものではない。
「あ、それだけは見なかったことにしてくれ」
「あれ、何か秘密の録音ですか?気になりますねえ」
「頼む……武士の情けってことでひとつ!」
三十路四十路の男がラジカセの再生ボタンを押すの押さないのとふざけながら少年のような表情を浮かべる二人の姿は、ただただ微笑ましかった。
* 今はどこに行っても店員さんの接客マナーが世界トップレベルに向上している日本ですが、当時は「何も分からんけどやりたいことだけははっきりしてる客に、1から教えつつ物を売る」時はこのようにちょっと師匠ぽい語り口で接客するのが許されていたと思います。
* デュプリケーターは特にPlayStationやセガサターンなどのゲーム開発現場で役に立ったのを覚えています。数十人のデバッガーたちに一斉にテストプレイ用のCD-Rを配るときとかですね。
* CD-Rのメディアの価格は当時は本当に高かったみたいですが、なにかの拍子にものすごい勢いで下落していきました。マルチメディア需要がCD-ROMの認知度を上げていたところに、PCのOSインストールメディアとして利用され、ドライブのベース数が激増したのも大きかったんでしょうか。
* 1992年の有馬記念については興味のある皆さんで調べてみてください。