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重ね塗りの記憶(後編)

未来は唇を噛みしめ、数十メートル先の母の姿を電信柱の影から見つめたまま微動だにしなかった。

過去への干渉に対する自重――そんなものは既に彼女の意識から消え失せている。

あるのはただ一目母に触れ、その生存を願う、抗いようのない何かだった。


「お、お母さ…」


意を決して母に向け歩を進めようとしたその瞬間、強い力が未来と充の肩を引き戻した。


「なっ…?」


肩越しに振り返る未来と充。トレンチコートを着た男が4人、充と未来の退路を塞いでいる。夕方の弱い太陽と、点いたばかりの街灯の光が彼らの顔の陰影を少しだけ深くしていた。


「手ぇ離し。手荒な事はすんな」


ドスの効いた関西弁が低い声で響く。同時に、充と未来の肩は自由を取り戻した。

こうなっては母のもとに駆け寄るどころではない。

向き直ると、リーダーらしき男が二人に軽く会釈をした。


「突然どうもすいませんな。ええと、こちらが沢村未来さん、で、こちらが真田充さん……?」


「――っ!?」


この時代では異邦人である自分たちの正体を正確に把握している―― それがどれだけ異質なことか。

背筋が凍りそうな状況に、充はそれでも冷静を装って男の目を黙って睨みつけた。


「失礼ですが、どちら様で?」


男は充の鋭い眼光と敵意を乾いた笑顔で軽くいなす。


「怪しい者ではございません。ただ、ちょっとご協力をお願いしたいんですわ」


彼の笑顔は微動だにしなかった。


「二課……か?」


「この時代の二課やとおもてもろうて、問題ありません」


「ちょっとだけ待ってもらえない?それでこっちの用事は終わるから」


震える声で男に問いかける未来。しかし男は軽く首を左右に振った。

ただならぬ雰囲気に、未来の母や隣人たちが訝しげにこちらを見つつも避けるように足早に通り過ぎていく。


「ああ……」


「すいません。今日私らが来たのは、その、お二人の御用についてなんですわ」


未来の絶望とは真逆に、淡々と感情の薄い声が返ってくる。


「ここでの立ち話は近隣の方々のご迷惑になります。場所を変えましょう」


充と未来は、彼らの丁寧だが動かしがたい圧力に抗うことを諦めた。

二課がどれくらい実力行使を認められているのかは未知数だが、これまでの付き合いから官僚機構の中でも屈指の調査能力と実働性能を持っていることは分かっている。下手に逆らうと、ポートピアで魚のエサに成りかねないのだ。


◇ ◇ ◇


夕日が沈む頃、充と未来は男たちに連行され、大きな神社に到着した。


充たちは一般参拝客の来ない社務所へと連れて行かれ、長い廊下を歩き出す。

中庭に面した吹きさらしの廊下は歩く者の足の体温を急激に奪う。

ほんの数分歩いただけで充も未来も体が芯まで冷え、吐く息は白く凍っていた。


「どうぞ、こちらへ」


なんということもない洋風の応接間のような部屋だ。暖房が効いていたため、逆説的に充は今までどれだけ寒い廊下を歩いていたのかを再認識した。


「お二人とも、お座りください」


勧められるまま大きめのソファに腰を沈めた充は、それまで慎重を期して閉じていた口を開いた。


「神社に連れてこられるとは、さすが二課関連ですかね。最初に肩を掴まれた時は公安か何かかと思いましたよ」


男は薄く笑いながらトレンチコートをハンガーラックにかけた。

年季の入った深いグレーのスーツが顔を出す。


「まあ、この国を長年守っているという点では似たようなところは無きにしも、ですけど、公安アレと一緒にされるのは正直あまり愉快な気持ちにはなれませんな」


「そんなものですか……で、私達に協力を、というのは?」


「ああ、ほな早速本題に入りましょうか。おい、誰ぞお茶淹れてくれへんか」


男は来客用のテーブルを挟んで、未来と充の対面に座り、顔をしかめながら話し始めた。


「お二人がこちらの時代に来たことは熱田の部署から連絡が来てまして……」


「なるほど。確かにバイクを引き取ってもらう時に名前や目的地を話したかもしれません」


このあたりの連携の高さも二課ならではだ。時代漂流者からの聞き取り情報を世代を超えて共有しているところなど、驚異的ですらある。


「来月、この街に大きな地震が来るという事は、あなた方のような時間漂流者からいただいた情報で把握してます。おそらく真田さん、沢村さん、おたくら二人は何かしらの御縁が神戸(このまち)にあって、誰ぞに『この街から逃げろ』とでも言うつもりでしたんやろ?」


「大筋でそのとおりです。でも、大地震が起きると知っているのなら、どうしてあなたたちはその情報を各方面に展開せず、対策もしてないんです?」


「対策をせえへんのと(ちご)て、出来へんのですよ。真田さん、1994年(いま)の政権のことご存知ですか?」


「いや、知りませんが……」


「野党と旧与党が野合した、ただ権力にしがみつくためだけのあかんたれ政権ですわ。こんな、目先の利益ばっかり考えてる連中に『地震が来る』言うたかて、オロオロするだけで何もできませんよ?」


「だからって、国の一大事なのに……犠牲者だって減っていたかもしれないのに……」


「私ら二課……とその協力組織は内閣には報告義務を負いません。これは部署の設立時からの密約(ルール)でしてな。一応、前の政権の時には耳打ちはしましたけど、今の内閣は聞きにも()ぉへん。せいぜい、グダグダな醜態を晒してさっさと辞めたらよろしいんですわ」


薄笑いを浮かべる男の表情の中に、充は恐ろしい思惑を感じ取った。


「東日本大震災の時も情報はあったはずだ。ないはずがない……確か当時も野党が政権を取って……」


男がタバコに火を点け、ふぅと煙をくゆらせる。

未来が顔をしかめて男を睨みつけるが、男は気にもとめないで充の顔を覗き込んだ。


「……震災前に野党に政権をわざと移し、大災害でろくに指揮も取れずグダグダになった野党に変わって旧与党が颯爽と現れ政権を奪還、しばらくは単独政権でやりたい放題になるというわけか……」


「だいぶ頭が回るみたいですな。そううたら、前総理に大地震のことを耳打ちした時に、いち早く決まった方針がそんなんやったかもしれません……ああ、どやったかいな」


「そんなことをするために、時間漂流者わたしたちみたいなひとに情報を提供させてるの……?」


師走の喧騒とはかけ離れた、冷たい静寂と張り詰めた空気が場を支配していた。

(*)……この時代はまだ、締め切った屋内でも平気で喫煙が行われていました。

(*)……この物語はフィクションです

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― 新着の感想 ―
更新ありがとうございます。なんかキナ臭くなってきた。 震災の時だけ野党に政権を押し付けてる陰謀論ありますな。 二課が連立政権に災害情報を渡さないのは、どうせ迷信扱いされて信じてもらえないというのもあり…
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