表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
51/52

重ね塗りの記憶(前編)

挿絵(By みてみん)


文化庁宗務二課が間借りする霞が関の庁舎の一室。壁一面を占拠している大型モニターには日本の地図が表示され、その上に重ねられた無数のグラフや数値がリアルタイムで明滅していた。


少し違うのは明滅している場所が交通の要所や大都市ではなく、日本人なら知らぬ者はいないほどの有名な神社仏閣から、信者数が一ケタほどの新興宗教の拠点までをカバーしていそうなところだ。


「……来ましたね」


「ん……」


宮塚が低い声で呟き、手元のタブレットに表示された自作のGrafanaダッシュボードを指さした。画面上では3箇所を示すグラフが、まるで心電図のように同期して激しく跳ね上がっている。


「神田明神、湯島天神、それと秋葉原駅前の不動明王祭祀殿……やはり、この3箇所にセンサー置いておいて良かったですね。磁場に強い乱れ―― 間違いありません、真田さん達、過去(あっち)に行きましたよ」


その隣で常住は腕を組み、モニターを冷静に見つめていた。


「旦那には『もう行くな』って釘を刺されてたけど、これはちょっと……真田無線に行ってみたくなるわね」


そう言った常住の瞳は未知への好奇心と探求心が燃え盛っている。彼女は迷うことなく上着を手に取り、出かける準備を始めた。


「えーと……旦那さんには黙ってましょうか?」


「恩に着るわ。これだけの現象、目の前で見られるチャンスを逃す手はないもんね。宮塚さんも来るでしょ?」


宮塚は照れくさそうに、しかしはっきりと頷き、デスクの傍らに置いてあった重厚なジュラルミンケースを持ち上げた。


「それは?」


常住が不思議そうにケースを指差す。


「こんなこともあろうかと、相模原メタルさんに特注しておいたんですよ。まあ、現地に着いてからのお楽しみです。それよりあれ、あそこ、気になりませんか?」


「どれ?」


宮塚が指さしたのは壁の巨大モニターに描かれている、中部地方から近畿地方にかけてのエリアの地図だ。琵琶湖の南岸にある赤い点が大きく描かれており、意味ありげにグラフが拡大描画されている。


「熱田神宮と建部神社あたりのセンサーが妙なことになってるんですよ」


「何かしら?今度はあのあたりでタイムスリップでも起きるとか?」


「何ていうか……磁気の飛び跳ね方が、真田無線付近のものと似てるんですよねえ」


宮塚は意味が分からないなりに悪戯っぽく笑った。その顔には、これから始まる非日常への期待が満ちあふれている。


「ま、行きましょう。ここからなら琵琶湖より秋葉原が断然近い」


◇ ◇ ◇


タイムスリップから一夜明け、名神高速道路を西へ向かう充たちの車の中には緊張と静かな覚悟が入り混じった空気が漂っていた。まだ2日目の朝が来たばかり。A6が止めに来る気配は今のところ無い。


「くそっ、GPSの精度が悪すぎる……というか、やっぱ地図が全然合わないな」


カーナビの画面では、自車を示すアイコンが時折、地図上の川の中を泳いでいた。1994年ではGPSの精度は軍事的な理由から低く抑えられている上に、上空を飛んでいる衛星の数もまるで違う。この時代のナビの精度は、まさに異世界を旅している感覚を二人に突きつけていた。


「それで、どうする? 本当に物陰から見るだけでいいのか?」


ハンドルを握る充の問いに、未来は流れる景色を見つめるのを止めて口を開く。


「そうね……通行人を装って一度話しかけてみようかしら。『このあたりに美味しいパン屋さんありませんか』とか、そんな感じで」


「いいね。だけど、お母さんの近くには小さい頃の君がいるかもしれない。できれば会わないほうがいいんだけど……何が起こるか全く予想できないから」


「うん……でも、私あまり母と買い物に出かけた記憶がないのよ。大丈夫じゃないかな」


記憶を絞り出すような未来の声が、充には妙に頼もしく思えた。彼女はただ感情任せに飛び出したわけではない。何かを確かめ、そして、何かを成すためにこの旅を選んだのだ。


草津のサービスエリアで一度休憩を取る。自販機で買った気の抜けたような甘さの缶コーヒーを啜りながら、未来がぽつりと呟いた。


「父が言うには、一家で琵琶湖このへんに遊びに来たこともあったんだって。悔しいなあ……覚えてないわ」


「……そうか」


充はかける言葉が見つからず、ただ未来の横顔を見つめた。

彼女の記憶の中の母親は、彼女のこれからの長い生活の中で色褪せて行くだろう。

そこに確かな色を今一度重ねて塗る事が彼女にとって如何程の意味を持つのか。


「大丈夫。ちゃんと、覚悟はできてるから」


未来はそう言って、充に力なく微笑んだ。


◇ ◇ ◇


冬の日の影がそろそろ長くなりつつある頃、二人はついに神戸市内に到着した。未来が記憶を頼りに車を走らせ、かつて実家があった住宅街へと入っていく。


「ここらへんのはずなんだけど……」


おぼろげな記憶の中にしか無い街並が、新鮮な景色となって眼の前に現れる。


未来は唇を噛みしめ、一点を見つめていた。


「……あそこ」


彼女が指さした先には、古い木造アパートと、その隣に洒落た造りの一軒家があった。決して大きくも華美でもないが、神戸という洒落た街に妙にしっくりくる家だ。


近くの有料駐車場に車を停め、二人は歩き出した。

未来の実家まであと数ブロック。心臓の音がやけに大きく聞こえる。


商店街へ続く道を曲がった、その時だった。

未来の足が、ぴたりと止まった。


数十メートル先、スーパーの袋を両手に提げた女性が楽しそうに隣人と立ち話をしている。小柄な背中、柔らかなウェーブのかかった髪、目鼻立ちは未来にそっくりだ。


「……母さん」


掠れた声が未来の口から漏れた。

紛れもなく彼女の母親だった。当たり前の日常の中で、普通に笑っている彼女の姿が未来の胸を締め付け、溢れ出る涙が視界を滲ませる。

今すぐに駆け寄ってその背中に抱きつきたい衝動。しかし、未来はそれをぐっと堪えた。


何も言わず、ただ未来の肩をそっと支える充。


母親が、ふとこちらを振り返る気配がした。

未来は息を呑み、咄嗟に電信柱の影に身を隠す。


鼓動が、世界中のどんな音よりも大きく、激しく、未来の全身を打ち鳴らしていた。


(後編へ続く)




*) 日本沈没(2006)のD計画のオペレーションルームをシンプルにしたようなものだと思いねえ。Stable Diffusionで描いてみたけど、日本の地図出ない……

*) Grafana.... いろんなデータをオシャレに見せる可視化プラットフォーム

*) 1994年に日本上空を飛んでいたGPS衛星は米国のもののみ、全世界で24機でした。2025年は「みちびき」を筆頭に当時を遥かに上回る数の衛星が飛んでいます。

*) GPSの利用精度は2000年5月にそれまで100m程度に抑えられていたのが解禁されています。

*) 神戸の人間に美味しいパン屋の場所を聞いてはいけない。神戸には美味しいパン屋しかないのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ