真田無線、西へ
突如車庫にあったスポーツカーに乗り、凄まじい勢いで出ていく未来。
あっけに取られた充だが、数秒後にはリブートした。
( あんな情緒不安定な未来を一人行かせるわけにはいかない。)
大馬力のスポーツカーのアクセルをベタ踏みして運転しているのだ。事故を起こす可能性は十分にある。それだけではない。自分たちの立場上、事故はおろか、速度違反で捕まっただけでも面倒くさいことになるに決まっている。
何より、自分や未来がここで死んだりしたらどうなるのか? 見当もつかない。
「あああもう世話が焼ける!」
すぐにでも後を追いたいところだが、店主という立場上、そんなに簡単にはいかない。店のシャッターを下ろし、臨時休業のお知らせを書いた紙を貼り付ける。
念の為に宗務二課に連絡を入れ、現状と、自分も未来を追いかける旨を報告。
これでようやく外出が叶うのだ。
「電話したって、迎えに来てはくれないよな」
そもそもこの時代で使える携帯電話を、未来も自分も持っていない。
彼女から合流要請があれば話は別だが、制止を振り切って出て行った以上それも望み薄だ。
未来が市街地に入り込んだ時点で追跡も合流も不可能になる。
「てことは、バンで追いかけても無駄か……」
充は意を決して車庫に置いてあったバイクのカバーを外した。
地名の後ろの数字が2桁のナンバープレートを取り付けると、2階に駆け上がり金庫を開ける。
「諭吉」と書かれた結構な厚みの封筒を鷲掴みに取り出すと何枚かを財布に。
残りを封筒ごとリュックサックの中に無造作に入れ、防寒着を着込んで再び車庫へ。
「効いてくれよ、グリップヒーター……」
寒空の下バイクを車庫から出し、エンジンに火を入れる。並列4気筒 1000cc のスーパースポーツバイクのエンジンが低く不機嫌な唸り声を上げると充はタンクをポン!と叩いて発進した。
( 満タンにしてなかったから、どこかのサービスエリアで追いつけるかな……こっちのほうが航続距離が短いんだっけか)
冬の日の入りは早い。すでに周囲は薄暗くなっていた。
首都高も、東名高速も、黒く湿った路面をヘッドライトの光が滑っていくだけの単調な世界だ。
( どうして一緒に行こうって言ってくれなかったんだ…… )
迫る闇を縦目2灯のハイビームで切り裂いて、充はひたすら西を目指してバイクを走らせる。未来の向かう先は分かっていた。
神戸―― 彼女の母親が、数週間後に最期を迎える場所。
◇ ◇ ◇
とっぷりと日が暮れた午後7時を過ぎたあたりで、充は浜名湖サービスエリアの駐車場に見慣れたスポーツカーが停まっているのを見つけた。充はバイクを停めると、運転席でじっとハンドルを握って項垂れている未来の元へ走る。
スポーツカーは完全ノーマルではあるが、2025年の最新モデルなのでタイヤの太さから外装までいろいろとこの時代のものとは異なっている。車好きの若者たちが遠目にこちらをチラチラ見ているのを気にしながら、充は車の窓をトントンと叩いた。
「未来!」
未来はゆっくりと顔を上げた。その眼に涙はなく、ただ疲労と焦燥が浮き出ている。
充がかける言葉を選ぶのに手間取っていると、未来が先に口を開いた。
「ごめん。止まんなかった……」
「まあ、気持ちはわからんでもないが、冬にこの車で飛び出すのは危ないぞ。400馬力近くあるんだ。氷の上にでも乗ったらひとたまりもない。それに……」
「分かってる。分かってるわよ、サナっさんが言いたいこと」
未来の声は、冬の夜気のように静かで、澄んでいた。
「歴史は変えられない。世界線は一本で、人間の都合で分岐なんてしない。....そんなこと、言われなくても分かってるわ」
「……いや、そこはいいよ。そもそも何かしらアクションを起こそうと思ってこの時代に絞り込んだわけだし。心配なのは君の心と体だ。君がお母さんと会って何をするつもりだったのか知らないが、せめて相談して欲しかったよ」
店を飛び出した勢いを思い返せば、未来は神戸で自分の母を正月早々拉致して真田無線の4階に監禁でもしかねなかったのだ。
「一目、会いたいの」
未来の瞳からついに一筋の涙がこぼれ落ちた。
「お母さんに会いたい。それだけじゃ、ダメ....?」
ハロゲンランプで照らされた駐車場の物陰に嗚咽が溶ける。
「顔が見たいの。声が聞きたいの。ただ、それだけ。助けようなんて思ってない。ただ、もう一度だけ....」
その悲痛な願いに、充は言葉を失った。彼女を止めるための言葉は、もう何一つ思い浮かばない。彼女の覚悟は、充の理屈や懸念を遥かに超えていた。
「.....分かった」
長い沈黙の後、充は絞り出すように言った。
「一緒に行く」
「え.....?」
「一人で行かせるわけないだろ。それに.....」
充は未来の潤んだ瞳をまっすぐに見つめた。
「君のお母さんに俺も会ってみたい」
未来は一瞬驚いた顔をしたが、やがて、泣き笑いのような表情で小さく頷いた。
「....ありがとう。でも、勢いで飛び出してきちゃったから、お金、ほとんど持ってないの」
「だろうな。そろそろガス欠ランプがつく頃だろ?追いかけるからには準備もしてきたよ」
充は背負ってきたリュックを外し、パン!と叩いてみせた。
「さて、となると乗ってきたバイクをどうにかしなきゃな」
一度東京に戻る手もあるが、ここまで来たならそのまま西に行ってしまっても同じ。充と未来の結論は同じだった。神戸市内のホテルに連泊してチャンスを伺い、可能なら接触する。
充は公衆電話から二課に電話をかけ、状況を報告し、バイクの回収を依頼した。手元に用意した10円玉がみるみる無くなっていき、100円玉さえ1分ほどしかもたない。
横で見ていた未来の顔面がコミカルに青くなった。
「上郷まで走れば二ノ二商会の熱田神宮支部が回収してくれるそうだ」
電話を切ると、充と未来はバイクと車にガソリンを注入。周りに群がるマニア達の質問攻めを平謝りで躱しながら打ち合わせを続ける。
「さあ、行こう。とりあえず今日は名古屋までかな」
未来はこくりと頷き、静かにエンジンをかけた。二人は再び西へ向けて冬の闇の中を滑り出す。その先に待つのがどんな結末であるうと、もう二人で受け止める覚悟はできていた。
*) 未来の母は1995年1月の阪神淡路大震災で亡くなっている設定です(→2話)
*) 車種についてのお問い合わせは脳内にてお願いします




