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漂流ジャンクショップ  作者: にゃんきち


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昭和48年の料理勝負(後編)

本業多忙につき、長い中断期間を頂きました。(2025/07/04)

「しかし、スペシャリテなんて言葉を知ってるとは驚きだね。兄さん、コックの経験でもあるのかい?」


男は芝山と名乗った。充もその名前には聞き覚えがある。

死んだ充の父が「いつか充が一人前になったら二人でキッチン芝山のビフテキを食いに行こう」と度々言っていたからだ。

ということはつまるところ、よほどの祝い事でもない限り行くこともないような高級店ということなのだろう。


結局、充の父は充と「キッチン芝山」に行くこともなく他界してしまったのだが。


「あの芝山さんでしたか……」


「知ってるのかい?嬉しいね」


「いやあ、僕みたいな若造が行ける店ではないということくらいは知っていますが……」


「オーナーの方針とはいえ、結構なお足をいただいてるからなあ……」


一番安いオムレツが2500円、ビーフステーキは数万円という値段設定らしい。

好景気の日本ではこんな値段でも客が来たのか、と充は妙なところに感心した。

値段が高いから来る客もいる、ということか。


「言われたもの、上から持ってきたわよ」


ガチャガチャという音とともに、未来が二階のキッチンから鍋に皿、まな板に穴あき包丁を両腕いっぱいに抱えて降りてきた。


「冷蔵庫の中見てみたけど、レトルトとビールばっかりで肉や魚はなかったわ」


「しょうがない。万世橋まで行ってくるか」


「それには及ばないよ。ちょうど手持ちがある。牛肉でいいかい?」


芝山は上着を羽織ろうとした充を片手で制止し、クーラーボックスから見事な牛肉の塊を取り出す。

素人目にも見事な肉質に目を輝かせる充と未来を見て芝山は頬を緩ませた。


「で、これをどうするんだい?」


「ええと、まずはこの袋に入るように切ってもらえますか」


「よし、包丁とまな板借りるよ」


芝山はジャンパーを脱ぐとまな板をさっと洗い、返す刀で肉の繊維を軽く切り始めた。

脂身を上手に取り除き、出来上がったのは油揚げ半分くらいの塊が2つ。


「……変な包丁だね。穴が空いてら」


「ああ、野菜をスライスした時にくっつきにくいんで重宝してます……はは」


どうやら穴開き包丁はこの時代には売っていないらしい。

焦って未来を見る充。未来は自分が何かやらかしたのかと思いつつも、分からずきょとんとしている。


「なるほどねえ。トコロ変われば品変わるってなもんだな……で、次はどうする?」


「あ、そうですね。ちょっと貸してください」


充は努めて冷静に、芝山が切り出した肉のブロックを厚めのチャック付きビニール袋に入れ、チャックを締めずに鍋に入れた。チャックの部分だけが水面からでている状態だ。

こうしていると水の圧力でビニール袋の中の空気が全部抜けていく。ほぼほぼ抜けきったところでチャックを閉めると真空パックの出来上がりだ。


「便利な袋だな。チャックも面白い造りだ」


「アメリカ製ですよ。チャックはフランスの会社の特許だそうです」


未来がその辺にあった本で携帯電話を隠し、umma4から引き出した情報を披露する。

芝山にしてみたらこの袋の入手方法は気になるところなのだろう。

手を回せば自分にも買えないことはないと解ってホッとした様子だ。


ほっとしたのは充も同じだ。家中にある台所用チャック付きビニール袋をかき集めたとしてもキッチン芝山の需要は満たせるわけがないのだから。


「で、こんなふうに真空パックを作った後に、鍋にこいつをドボンと入れます」


持ってきたのは当然、低温調理器だ。


「こいつは鍋のお湯を沸かさず冷めさせず、同じ温度に保つんです。ローストビーフなら……」


充は低温調理器のマニュアルをパラパラとめくり、狙う温度を56℃に設定してみせた。


「これで、鍋のお湯は何があっても56℃を保ちます。実際は肉の表面には焼き目をつけるんでしょうけど今日は勘弁してください。そろそろかな……」


ほどほどに湯が熱くなってきたところで密封された肉を鍋に投入。


「おい、理屈は解るよ。解るけどよ、なんだこりゃあ?」


「おそらく、両国のホテルが使ってる調理器具と原理は同じです。湯の温度をセンサーで監視して、冷めそうなら温める、温まり過ぎたら火を止める、それを何時間でもやり続ける機械です。低温調理器と言いましてね」


「つまり、これを使えば商売敵と少しは良い勝負が出来るってわけか」


芝山の目に光が戻った。少なくとも店に入ってきた時の冴えない顔色は吹き飛んでいる。


「これでローストビーフなら2時間から4時間てところですかね……そのへんは柴山さんの方が詳しいでしょ?」


2時間後、芝山が店内で歓喜の声を上げたのは言うまでもない。


*  *  *


「さて、未来さん」


芝山が帰ってしばらく、umma4のコンソールを覗いていた充は不意に未来の方を向いた。


「はい、なんでしょう?」


「今年、1973年は日本中央競馬史上大きな転換点となる年でして、その伝説のレースが明日なんですよ」


「へえ、そうなんだ。私も賭けていいのかしら?」


ここ数回のタイムスリップではなかなか競馬での稼ぎがない二人。

ジャンク屋では地味な稼ぎしか出来ない分、勝ち確定の競馬に未来の心が踊る。

なにせ知り合いが一人もいない世界なのだ。買い物やギャンブルくらいは大目に見てくれというのが充と未来の偽らざる心境である。


「大きなレースだから10万かそこらなら問題ないと思うけど、圧倒的な人気で単勝なら2倍にしかならないよ?枠連なら8.6倍まで行きそうだけど」


「じゃ、それで行くわ……それにしてもすごい人気の馬なのね」


「うん、地方で連勝を重ねた後に中央に殴り込んできて、『怪物』って言われてるんだ」


「あ、知ってる。春にアニメで見た。芦毛の怪物ってやつでしょ?」


「……たぶん違うと思うよ。その馬が中央に来るにはあと15年かかるね」


その後、二人は枠連8.6倍を当然のように当て、その払戻金で「キッチン芝山」の料理を堪能した。

数万円するというビーフステーキの横に添えられたサラダには見事なローストビーフが何枚か乗っており、充と芝山はキッチンの内と外で互いにニヤリと口元を緩めたのだった。


*  *  *


それから過去時間で2週間弱、充達は霞が関に連絡をいれることもなく、平和に過ごした後に2025年に帰還した。


「秋も終わりだっていうのに1973年(むこう)の春よりクッソ暑いってのはどうなんだろうな?」


「温暖化が実感できるのは怖いわねえ……今度政治家か科学者を過去に連れていけば?」


「はは。政治家や科学者がうちの店に来たら考えるよ」


二人はもうすっかり同棲しているカップルのような気安さだ。

実際に階は違えど同じ屋根の下に合計で何ヶ月も過ごしているのだから当然と言えば当然。

ただ、充は自分の恋愛偏差値の低さに物怖じしなくなったし、未来にも充を見守る度量のようなものが育っていた。


「ところで気づいてた? umma4サーバーの稼働率が結構低かったんだ。今回」


「そうなの?」


「うん。もしかしたら、そろそろ俺達のタイムスリップも終わりに近づいてるのかもしれない。A6が取りたい情報を取り終えたらもうumma4に用は無いはずだもんな」


「そう……行けなくなるの……」


ふと見せた未来の横顔に寂しさのようなものを感じ取った充。

それが何を意味するのかが何となく分かる。


何度タイムスリップしても、充はこれまで一度も自分の肉親を見ていない。

可能であれば、生きていた頃の父の顔をもう一度見たいと思っているのに、それは何故か叶わないのだ。

充自身、「キッチン芝山」でビフテキを食べている間何度そのことを思い出したかしれない。


おそらく、未来も震災で亡くなったという母と会うことをこれまで何度も考えただろう。

充は、そこに踏み込むだけの自信が持てないのでその話題をずっと避けていたのである。


(機会そのものが無くなる前に一度は話をしておかないとな……)


充がぼんやり見つめるバックヤードの隅で、umma4はいつもと変わらずLEDを静かに、しかし忙しそうに光らせていた。

* 作者はシンデレラグレイは漫画全巻買っていますが、ハイセイコーとタケホープの熱い歴史も好きです。


* 1976年4月の平均気温は14.6℃、10月の平均気温は15.9℃でした。これに比べて2024年10月の東京の平均気温は観測史上最高の20.6℃だったそうです。


* 価格設定のバグった(私的感想です) 洋食屋とかロシア料理屋とか、昔はよく見かけましたけど今はあまり見ないですね。作者の行動範囲が狭くなったのが一番の原因だと思いますが……メニューに「ステーキ2万5000円から」とか書かれているのを見て昔はよくビビったものです。

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