昭和43年のチューニングパーツ(前編)
ドスン!ガタン!
充が店のバックヤードでコーヒーを淹れていると、ガレージから段ボール箱が崩れるような音が聞こえた。普通に崩れた音というよりは、無理して狭い道を通ろうとしてやらかしたような、そんな音だ。
充は慌てて車庫に向かった。少々熱めのお湯をドリップパックに注いだところだったが、それどころではない。
「痛あ!サナっさん! これはいったい何?」
「未来さん、なんでそんなとこから入ってきてるんだ?」
車庫の入り口でにっちもさっちも行かなくなっていた未来は、あきれ果てたというよりは、怒りを通り越したような顔で自分の周囲の段ボール箱の山を凝視していた。
「またタイムスリップした時のために、私物を運び込もうとスーツケース持ってきたら通れやしないのよ」
ガレージの床には崩れた段ボールからこぼれ落ちた補助部品やウエス、それに充が引き取って来たばかりの機械群が散らばっていた。
家庭用金属3Dプリンターに個人向けCNCフライス盤、家庭用旋盤、DIYレーザー加工機、卓上CNCレーザーカッターにプラズマカッター、それにダイキャストキットと卓上真空成形機――どれもLLMの自作には関係ない、金属加工職人のツール群だ。
「これ、どう見ても自動車とかバイクのパーツを自作するためのもんでしょう?」
未来の声は鋭く、少しばかり呆れが混じっていた。充はばつが悪そうに頭を掻きながら答える。
「いや……江戸川の好事家の方が亡くなったんで、その遺品整理というか……奥さんが全部持って行ってくれって言うから」
「ふーん、それで安く買えたからって?」
未来は腕組みをし、充の言葉を遮る。
「サナっさん、最近タイムスリップしても夏ばっかりで競馬の儲けもないんでしょう? 大丈夫? こんなにお金使っちゃって……」
充はぐっと言葉を飲み込む。確かに最近は大儲けどころか、タイムスリップ先でもぎりぎり赤字回避程度の売上しか出ていない。強く反論できる状況ではないのだ。
「でもこれ、ジャンク屋的には一応仕入れだしさ。それに、将来的には役立つかもだし……」
「そこはジャンク屋の嗅覚ってやつだから否定はできないんだけど……」
いつも穏やかで好奇心旺盛な未来だが、こういう時の眼差しは妙に鋭い。
その視線が奥の方へと流れる。充は不意に嫌な予感がした。
「あのバイクは何? あれも仕入れなの?」
ガレージの隅にひっそりと、それでも存在感抜群に佇むスーパースポーツタイプのバイク。充は軽く舌打ちしたくなったが、ぐっと堪える。
「これは、まあ……その、ほら、値上がりするかもしれないし……」
「こないだこっちのスポーツカー買ったばっかりでしょう?」
未来の顔に不安が滲む。充がいくら恋愛偏差値30のG判定でも、未来が自分との経済観念に大きな差を感じており、それが二人を次の段階に進むのを阻んでいることは解る。
ただ、ジャンク屋というのは様々なことを「面白がれる」人間でないとやっていけない商売なのだ。様々な機材の産地、性能、用途、来歴、いろんなことを面白がれてこそ、充は秋葉でジャンク屋をやれているのである。
「だからそれはさあ……」
充が弱々しい説明に入ろうとした時、ふわりと二人の身体が揺れ、空気が微妙に歪んだような感覚が襲ってきた。
「え、今?」
「また?」
二人の声が重なり合い、視界がゆっくりと別の時間へと溶け出す。
あたりの空気が変わっていた。ガレージのシャッターから吹き込む風がさっきまでの東京の秋のそれとは明らかに違う。少し湿り気があり、土の匂いが混じっていた。
「これはだいぶ遡ったわね。案の定、電波は死んでるわ」
未来は携帯の画面を一瞥。顔をしかめ、シャッターの外を覗く。
シャッターの外に広がっていたのは、舗装がまだらな路地、古びた木造のアパート、路肩の公衆電話。平成どころか昭和後期ですらない。
「……昭和四十年代前半ってところかしら。以前来たことあるわね」
未来が口を尖らせてそう言うと、充も小さく頷いた。
「そんな気がする。後で駅まで新聞買いに行ってくるよ」
「一旦休戦ね。急いで店の陳列変えなきゃ」
「うわっ!なんだこりゃあ!?」
二人が店の陳列を変えるために店内に戻ろうとしたところ、男の大きな声が裏路地性に響いた。
(うわ。ヤバい)
充の目に写ったのは黒縁メガネに作業着姿の五十手前くらいの男だった。正確な年齢は量りかねるが、目の奥に妙な鋭さがある。口元には煙草の匂いが漂い、人生のアレコレに通じていそうな風貌だ。
「あー……こんにちは。お店に御用なら表に回っていただけますか?」
「いや、ただの通りすがりだけどヨ、凄えもんがあるな。なんだこれは?」
男の指差す方向には2020年発売のスーパースポーツタイプのバイク。さらに並ぶ工作機械に視線を移すと、その表情が一変する。
「……なんだこりゃ。ずいぶんとコンパクトな……旋盤か? こっちはフライス? どれも見たことねえ形だ。何より小せえ。机の上で何でも作れそうだぞ?」
「お詳しいんですね」
必死で平静を保とうとする充の問いに、男は鼻を鳴らして笑った。
「まあな。昔は上野でバイク屋やっててヨ。レース用パーツの販売なんかやってたもんでちょっとは解るんだ」
「へえ、上野ですか」
令和の時代にはすっかり見なくなったが、平成初期くらいまでは上野はバイク街と言われるほどバイク屋、用品屋で溢れていたのだ。いい加減な店も結構多く、上野で買い物をするにはよほどの目利きでないと騙されると言われるほど生き馬の目を抜くような場所でもあった。
「メーカーと一緒にやってたこともあったんだが、途中で話が変わっちまってな……いろいろあって仕事も細っちまってヨ、結局は工房の機械全部手放したんだ。今は他人様の工場で旋盤回して食いつないでんだが最近、昔の仲間や若いモンから『またやってくれ』って声があってヨ。なんとかもう一回、火を点けられねぇかって思ってたんだがいかんせん、先立つものがねえ。工房の機械全部売っ払っちまったんでヨ」
未来と充は顔を見合わせる。
「お名前、伺っても?」
「大塚ってんだ。ノガミじゃ昔はちょいとした顔だったんだぜ」
男の視線がバイクに戻る。
「……それにしても、こいつは……すげえな。セパハンにダブルディスク。フォークはテレスコピックだが……逆についてんのかこれ?四気筒だがキャブが見当たらねえ。これは水冷か?フレームは鉄じゃねえし、タイヤが信じられねえほど太い。こんな車体、雑誌でも見たことねえ」
「ちょっと変わったルートで手に入れたもんで」
充が曖昧に笑うと、大塚は目を細めた。
「なるほど。まあ、詮索はしねえよ。世の中には知らねえほうがいい話もある」
少しの沈黙。
「……で、モノは相談なんだが……いや、別に口止め料とかじゃなくってヨ」
「はい?」
「……そこでしっちゃかめっちゃかになってる機械、俺に譲っちゃくれねえか? 変わった形だが、使えねえってことはなさそうだ。旋盤、鋳造、成形……手が覚えてるうちにもう一度やってみてえ。幸い、機械は売っちまったが場所だけはまだ残してある。こいつらならそんなに場所も取らねえだろう。どうだ?」
充は少し考え込んでから、頷いた。実際これらの機械は昭和40年代なら数百万円は下らない上に場所も取る大掛かりなものになるが、令和の時代には個人が卓上で扱える程にコンパクトで、値段も趣味で揃えられる程度に落ちているのだ。
「電源が確保できるのでしたらいくつかはお渡し出来ます。後はええと、ウチはジャンク屋ですから……その……」
「サポートも保証もない。そういうことだな?」
「はい、それで御納得していただけるなら」
「上等だ」
大塚の口元に、ようやく本物の笑みが浮かんだ。その笑みは充、そして未来の顔にも浮かぶ。
「ほら、仕入れといて良かったろ?」
「こんなご都合主義な展開、あって良いの?」
充と未来、二人の苦笑いの前に、少し前に出来たばかりのわだかまりは溶けていくのだった。
* ノガミ……野上、上野のこと。
* 私もRF400R買ったことありますけど……うーん
* PCが必要なツールは売ってません




