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昭和49年の嫁姑問題

真田充は、ここ最近で三度目のタイムスリップを経験していた。

いずれも短期滞在ではあったが、行く先々で確かに自分は過去に存在し、その時代の人達と関わっている。それは間違いない。だが疑問も残る。


「この店、過去に飛んでるとき、電気はどこから来てるんだ? ネットは? その時代の真田無線の人間はどこに行ったんだ?」


店の奥に座り込み、そろそろちゃんと考えようとしていた充のもとへ、段ボールがドサリと届いた。


「LED電球、80個だ」


持ち込んだのは、荒川区にある商店街の世話役だった。福引用に用意したが、時代の流れか予想以上に余ったらしい。


「そっちで引き取ってくれんか。使えるだろ。1個80円でいいよ」


「はあ……」


2025年現在、LED電球は1個200円で買える時代だ。もうジャンク屋で売れるような代物じゃない。


「せっかく倉庫が空いたのに、また埋まる……」


充が段ボールにため息を落とした瞬間、視界がぐにゃりと揺れた。


*  *  *


――次に目を開けると、また違う時代だった。


「またか……今度はいつ頃だ?」


いつもながらの静かなタイムスリップ。夜の9時。街は暗く、ネオンも少なく、コンビニもない。前に三上という男にノートPCを売った時代に似ている。


「とりあえず、細かいことは明日でいいか。今日はもう閉店だ」


店を閉めようと外に出たその時、小柄で疲れた様子の主婦が小走りでやってきた。


「すみません……まだ、お店、開いてますか?」


「……はい。どうぞ」


彼女は小石川から歩いてきたという。義母から切れたシャンデリアの代わりの電球を買ってこいと命じられ、開いている店を探して夜道を歩き続けた末、真田無線に辿り着いたらしい。


「暗い中ずっと歩いて来てお疲れでしょう。ちょっと待っててください」


充は湯を沸かし、お気に入りのスティックタイプのドリップコーヒーを淹れた。砂糖もスティックシュガーで添えて出す。

その香りに包まれながら、女性はぽろぽろと泣き始めた。


「すみません……こんな……」


「何か事情がお有りのようですね。私で良ければお話を聞きますが?」


少し黙ったあと、彼女は語り始めた。

普通の家庭に育ち、大恋愛の末に良家の長男と結婚。夫の実家で義父母と同居してからは地獄の忍従の毎日。よくあるといえばよくある話だ。


「お義母かあ様が……すごく厳しい方で。掃除も、洗濯も、電球の交換まで、何か気に入らないことがあると『これだから育ちの悪い嫁は』って言ってくるんです……」


良家で多少は蓄えも不労所得もあるとはいえ、夫の月給だけではとても維持できない大きな屋敷。

没落しつつある家の現状を認められず他責に走る義両親。

広すぎて掃除は大変。そしてたたみかけるような義母のイビリ。


「うわあ、よく耐えられましたね……」


「これではまるで三食つきの住み込み家政婦じゃありませんか……最近は夫もとんと私の味方をしてくれなくなりましたし……石油ショックとかで、モノの値段も上がってやりくりだって……」


夫の収入が頼みの綱、だけど家計は火の車。やりくりできない嫁だとまたイビられる毎日にほとほと疲れているとのこと。今晩の夜道の電球探しもイビリの一環らしい。

充は静かにうなずきながら、ふとLED電球のことを思い出した。


「そういえば奥さん、今日は電球をお求めでしたよね?」


「はい……?」


「ちょっと変わった電球があるんです。熱くならず、少し長持ちするタイプなんですが、扱いに困ってましてね」


「普通の電球でいいんです。変な電球を持って帰ったら、またお義母様のお小言が……」


「ああ、いや。実験用に引き取った試作品です。見た目はそんなに突飛でもありませんよ。性能を確かめる意味で使わせていただけませんか? お代はいただきません」


女性は不思議そうに充の顔を見た。


「あら、無料って、そんなことってありますの?」


「大丈夫です。こちらにもそれなりに利があることですから」


本当は利益なぞ出ないが、女の涙の前に1個80円の電球で目くじらを立てるほど今の充の懐は寂しい訳では無い。


「ただ、1個だけ変えると明るさのバランスが崩れるでしょう? 明日まとめて交換に伺います」


*  *  *


翌日、小石川の大邸宅を訪れた充は門の重厚さに舌を巻いた。手に持つ工具と電球の入った箱が急に心許なく思える。


玄関で出迎えたのは、あの女性と、そして刺すような目つきの義母。

これだけの邸宅なら家政婦の一人や二人いそうなものだ。

家計が苦しいというのは本当らしい。


「あらあら、まあ。随分とご親切なことでございますね。まさか、当家の嫁に何か含みがおありで?」


「うちの嫁ときたら、まったく、軽率な振る舞いが多いのには困ったものですわ。このようなむさ苦しい男を軽々しく家に招き入れるなど、一体何を考えているのでしょうね。」


早速の舌鋒が充と昨日の女性に降り注ぐ。

充はニッと笑い、目を細めた。


「奥様が軽率かどうかは存じませんが、お義母様のおつむの方はたいそう軽そうですな。ご立派な家なのに、勿体ない」


「な、なにを……私を誰だと思ってるの!」


「近所でも有名な、嫁いびりが大好きな婆さんでしょう?こんなシャンデリアで見栄を張る前に、そろそろ自分の行いを気にした方が良いでしょうな。噂話が神田の明神様のあたりまで届いてますよ」


姑が真っ赤になって黙るのを見届け、充は天井に吊るされたシャンデリアを見上げた。


「では、作業に入ります」


邸内4基のシャンデリア、すべて40Wの白熱球が10個ずつ。合計400W×4で1600W。


「1日5時間で8kWh……1ヶ月150kWhくらいか。電気代はたしか1kWhあたり15円台……月の電気代だけで2300円超えてるな」


と、充は計算する。


「ご主人の月収が9万円だとしたら、約2.5%がこのシャンデリアの電気代か……そりゃ火の車になるわけだ」


月収27万円のサラリーマンの電気代1ヶ月1万2000円のうち、7000円がシャンデリアに使われていると考えるとアンバランスさを感じずにはいられない。


「お疲れ様。タバコにしてください(*)」


電球の交換を進めると、女性がこっそりお茶と茶菓子を持ってきた。中でも、おはぎが美味い。


「ん……なんだこれ。関西風か? アオサの香りがする……不思議にうまい」


もち米の粒感がしっかり残っていて、甘さは控えめ。だが、ほのかに塩気を帯びたあんこの奥から、磯のような風味がじんわりと立ち上がる。


「クセになるな、これ……」


作業を終え、光の質が落ちることなく、むしろ落ち着いた明るさになった部屋を見て、女性は深々と頭を下げた。


「ありがとうございました……本当に……」


自分が義母をやり込めたせいで、この後彼女にはまたきついイビリが待っているのかも知れない。


「すみません。もしかしたら余計なことをしたかもしれません」


充もまた、深々と一礼をして店に帰る。例の義母は流石に見送りには来ない。


*  *  *


12日後、そろそろ戻る頃合いだと予感した日の夕方、女性が風呂敷を抱えて店に現れた。


「電気代が……本当に、馬鹿みたいに安くなったんです」


検針係から「旅行にでも行っていたのか」と聞かれた(*)という。


「それが新型電球の特徴です。1年、2年じゃ切れない電球なので、当分は安心ですよ」


「助かります……これ、ささやかですけど……」


そう言って、彼女は包みを差し出す。

風呂敷の中には例のおはぎ。充が喜んだのは言うまでもない。


*  *  *




やがて充は2025年に戻る。


おはぎを包んでいた風呂敷を眺めていると、上野の和菓子屋の社長がやってきた。


「らっしゃい」


「あれ? それ、うちの母が昔使ってたやつにそっくりだな……」


社長は風呂敷を指さしてニコリと微笑む。


「へ?」


「ああ、いや、母はその柄が好きでね。いつも大事な人への贈り物はその柄の風呂敷に包んで持って歩いてたんだよ」


充が困ったような顔でいると、社長がぽつりと語り出した。


「母は昔、小石川の良家に嫁いでたらしいんだけどさ、いびられて、別れて。それから親父と再婚してウチの和菓子屋を継いだんだ。今でも言うよ、あの家でいい思い出はひとつもないけど、シャンデリアだけは綺麗だったって」


「……そうなんですね」


「別れて正解だったって言ってるよ。なんか、虫も寄り付かないような不気味な館になったってんで随分近所でも噂になったらしい」


「ははは!LEDでも使ってたんじゃないすか?(*)」


あの女性はその後、アオサのおはぎで一山当てたらしい。幸福な人生を今も送っているようだ。




空いた倉庫のスペースと、わずかに残るアオサの香りだけが、今回の旅の痕跡だった。

(*1) 「タバコにする」=「休憩する」の意味。小学生でも休憩の意味で「タバコにする」という地方もあるが、さすがにドキッとする。

(*2) 当時の電力使用量の計測は、検針係が全戸を一軒一軒回って、手書きの検針結果をその家のポストに投げ込んでいた。

(*3) LEDの光には蛾などを引き寄せる紫外線の成分が少ない

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LEDを持ち込んだ世話役とおはぎの世話役は別人ですよね?
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