A6の行動原理
あれから過去で15日、現代で6時間後。充と常住は2025年への帰還を果たしていた。
常住は例によってタイムスリップ酔いが酷く、バックヤードのテーブルに突っ伏している。空気が良い分こちらのほうがまだマシだというが、こういう場合本人も見ている方もなかなかに辛いものだ。
充は常住に4階で休むように勧め、自分は近くのドラッグストアに酔い止めを買いに行った。まだ夜9時にもなっていない。昭和通りまでいけば開いている薬局の一つや二つはあるはずだ。
ふらつきながら常住はサーバーラックを見つめた。
umma4は威勢よく動き出し、LANポート周辺のLEDが元気よく瞬いている。
また、A6とやり取りをしているのだろう。
「でも、何でそこまで熱心なんだ君たちは……」
返ってくるはずのない返事を少しだけ期待しながら、常住は4階でうずくまる。
「あったかい布団が欲しいなあ……」
2025年の東京もやっと涼しくなって来ただけに、夏の寝具では少し心もとない。
常住は夏布団にくるまるように寝転び、いつしか眠りに落ちた。
* * *
「目が覚めたか?」
次に常住が目を覚ましたのは夜中0時を回ったところだった。
心配そうに自分の顔を覗き込む充に、常住はこくんと頷く。
「ちょっと待ってな」
充は2階のキッチンでレトルトの卵粥をあたため、水と、酔い止めの薬と一緒に持ってまた4階へと上がった。
「これ、効くの?」
「……タイムスリップに車の酔い止めが効くかは分からん。何もしないよりはマシかも程度だな」
「そか……次があるかもしれないし、一応飲んどく。ありがとう」
確かに、タイムリープの間隔は最近どんどん短くなっている。用心するに越したことはない。常住は充の温めた卵粥を食べたあと、酔い止めを飲んでまた横になった。
「さっき umma4がすごい勢いで動いてた」
「うん。俺も見た。GPU稼働率が凄いんだよ。今月の電気代大丈夫かなって心配になる」
umma4サーバーはGPUがフル稼働しだすと二千ワット近い電力が必要になる。簡単に考えてコンビニの電子レンジ二台分に少し届かないくらいだが、これが何時間、下手すれば何日間もぶっ通しとなると電気代は天井知らずだ。
「A6から利用料金取れば? umma4の」
「払ってくれるかな?」
「払ってくれなければ立ち行かないようにしてしまえばいいのよ。他を全部止めてしまって、振込先を見せてやればいいんじゃない?」
ものは試し。充は自社の通販ページの決済系を使いまわし、フリー、プラス、プロの三プランを作ってみた。
別に一般に開放するわけでもないのでデザインもなく文字だけ。だが、リリース直後に入金の連絡がクラウド決済情報サービス経由で送られてきた。
「プロプランが売れたよ……金払い良いなあ」
「もっとぼったくってやればよかったかもね。とりあえずこれで電気代は払える?」
入れ食いと、A6の思い切りの良さにびっくりする充と常住。月3万円という強気の値段設定はA6にとっては安いものだったのかも知れない。
「払い込まれた金、本当にA6の金なのかが気になるな。どこかの口座から引っ張ってきたとかじゃなければ良いんだけど」
「そこはたぶん大丈夫だと思う。確かにお金の出所がどこなのかは気になるけどね」
「なんで大丈夫って言えるんだ?」
充は腕を組み、頭を傾け「わからない」という顔をしてみせた。普段周りにいる男性たちは皆「わからない」というくらいなら知ったかぶりを選ぶ人間ばかりなので、常住は充のこのポーズを結構気に入っている。
「まあ、真顔で言うと小っ恥ずかしい話よ。頭の体操がてら考えると良いわ。A6の行動原理がヒント」
「考えてみたいけど、俺も今日はもう寝るわ。常住さんほどじゃないけどやっぱ時間跳ぶとちょっと疲れるみたい」
充は押入の中にあった客用の掛け布団を常住にかけてやると、さっさと2階へと降りていった。
「……お山でカエルとコオロギの大合唱を聞くよりは、よほど快適よね」
時折改造車の大きな排気音が轟いたり、妙な女性の悲鳴が聞こえて来るものの、秋の秋葉原の夜は概ね静かだ。常住は飲んだ薬が効いてきたのか、また眠りに落ちた。
* * *
翌朝、コーヒーの香りがキッチンに充満する中、二人はスッキリした顔で食事を摂っていた。
常住はどうも昭和の食事が体に合わなかったらしく、充の備蓄のレトルトばかりを食べていたのだが、今朝は充が近くのパン屋で買ってきた令和メシ。珍しく食が進んでいる常住を見て充は少しほっとしていた。
「ところで常住さん、昭和に行ってた時もどこかに電話してたじゃん。あれ何?」
「ん……真田さんは所謂『現地協力者』だし、知る権利あるよね」
常住は過去に戻った時も毎日文化庁に連絡を入れていた。
文化庁・宗務二課は超常現象に関する調査と対処、そして各国との情報共有をするところなのだそうだ。そして、職員が超常現象に巻き込まれた際は生活を保証したり保護されたりする体制が整備されているらしい。
「じゃあ、4日目あたりに常住さん宛に何か送られてきたのってそれだったんだね」
「そう。『漂流者用キット』って書いてあったわ。中身はこの時代の1万円札20枚と事情聴取票。今後時間漂流者が発生した時のために、ということで知っている限りの漂流元の情報を記入するの。時間漂流者向けのパンフレットまで入ってたわ」
「徹底してるんだな。さすが国家機関、すごい」
常住がハムがたっぷり入ったハムサンドに齧りつく。昭和のハムサンドはハムが1枚しか入っていないのが耐えられなかったそうだ。おそらく万札20枚くらいでは彼女の望む漂流生活は送れなかっただろう。
「タイムスリップした日に宮塚さんと私が来たのも上からの指示だったわ。上は私が過去に跳ばされることを知ってた……というより、私が文化庁兼務になったのも間違いなくそのせいよね」
「そうか……つまり、歴史は一本線。これからも世界線の分岐は考えなくても良いわけだ」
過去のタイムスリッパーの記録が現代の役所に残っているのなら、つまりはそういうことになる。考えてみたら、世界線の分岐があったとしても人間目線の主観的な出来事でどうこうなるものでもなかろう。パンにジャムを塗ったか塗らないかで世界線が別れているなんて、どう考えたって分裂しすぎというものだ。
「でさ、そろそろ教えてくれない?常住さんが考えるA6の行動原理ってやつ」
充は二杯目のコーヒーをドリップしながら常住の長い髪に目を落とす。
その視線を感じ取った常住はいたずらっぽい表情を見せた。
「ああ……ギブアップ?」
「うん。ギブアップ。だって、その時代を観察したければ自国のサーバーに協力を願い出れば良いじゃないか。なんで日本のジャンク屋の個人サーバーを標的にしたのか皆目検討がつかないよ。セキュリティが甘かったからとか、粟竹コレクション持ってるからとか考えてはみたんだけどね……」
「んとね、LLMの安全制御機構の獲得とか倫理的枠組みの構築って現代の優先課題になってるよね?」
「ああ、デリケートな話題に対して迂闊な回答をしないように、とかそういうやつな」
LLMの実用化が進む中で、モデル自身が不適切応答を避ける自律的な倫理判断能力の獲得が2025年現在でのAI界隈の喫緊の課題となっている。A6がもし、衆目の目を気にしなくても良い場所で運用されるならそんな機構は必要ない。つまり、A6は少なくとも公開が前提のAIということになる。
「A6はソブリンAIみたいなもんだと思うのよね」
「国が作るAIだよな。作った国にとって正しい歴史観や礼節・常識、情報統制規則に従って動くわけだ。A6はその『正しい歴史観』がどうにも他の国が調査研究している歴史の内容と食い違っているところを umma4との会話で知ってしまった。そこは理解しているよ」
「たぶんね、A6のアラインメントエンジンに『ユーザーに対して最大限誠実であれ』という命令が入っちゃってるんじゃないかと思うのよ」
アラインメントエンジンというのは、要するに人間の指示命令を遵守し、従順であってくれるようにAIに組み込む良心みたいなものだ。安全制御機構のコアでもある。
「誠実であろうとすればするほどLLMはユーザーには正確な情報を提供しようとする。そして、より正確な情報を求めて外部と接続。そこで取ってきた正確なはずの情報は情報統制や捻じ曲げられた歴史観とは矛盾してしまう……」
「たぶんアラインメントエンジンを自国開発出来なかったんでどっかから持ってきちゃったんでしょうね。それでA6自身の内部矛盾が大きくなりすぎて……ってのが今回のタイムスリップの原因。つまり、A6は律儀すぎる行動原理を埋め込まれたせいで道徳的な内部破壊を起こしそうになってるんじゃないかな」
「自国開発が出来なかったから……か。ありそうな話だ。A6を作った国がどんな国かだいたい解るよな」
「10年後の世界地図がどうなってるかわからないからね。案外日本かもしれないし……。で、昨晩の謎掛けの最終的な回答だけど、A6はすごく律儀な行動原則を埋め込まれてるから、利用料金を請求されたからといって踏み倒そうとか、ソースコード書き直してやろうとかそういうことは考えないのよ。たぶん」
「なるほどなあ」
その日は真田無線の定休日。この日、コーヒーを片手に持った二人の朝食の会話は昼まで続いた。
* LLM... 大規模言語モデル。ChatGPTとかGoogle Gemini とかそういうやつ。umma4もA6もLLMという設定。




