昭和55年の数値演算(中編)
充は現在真田無線がタイムスリップして昭和55年と思わしき年代にいること、これまでもこのようなことがあり、ジャンクでその時代の客の悩みを解決してきたことなどを常住に話した。TV番組の録画についても同様。A6の存在、umma4とA6の関係などを交えながら説明する。
充の話を聞きながらも時折激しい咳をする常住を見かねて充はエレベータを指さした。
「店にはもう少しマシな空気清浄機がある。そっちに行きましょう」
二人は閉店した店舗のバックヤードへと場所を移す。
常夜灯の薄橙色に染まる店内はLEDに照らされた埃がちらつき、ダミー用の昭和家電が無造作に積まれている。充はリノリウムの床を鳴らしながら、ガラス戸越しに夕暮れのネオンサインへ一瞬だけ目を遣った。
レトロな看板の明滅に、タイムスリップした現実を思い知らされる。
バックヤードではスーツを脱いで借り物のジャージを着た常住がタオルを口に当て、昼に赤福を食べた時に使ったテーブルに寄りかかっていた。長い髪が肩先で揺れ、微熱のせいか頬に朱が差している。だが大きな瞳は冴え、充を正面から射抜く。彼女が口をひらくたび、弱々しい呼気とは裏腹に、言葉だけが店内の空気を鋭く震わせた。
「話を聞いていると、この不定期タイムスリップはA6というAIの仕業って気がしますね」
心身が弱っているからか、居候の大家に対する最低限の礼儀からか、常住はタメ口で話すのをやめていた。大事な話をしている筈なのにそんなことばかり気がついてしまう充は、自身の余裕の大きさに少し驚く。
「A6がタイムスリップの原因だとして、どういう原理なんでしょうね?」
充の額に一筋の汗が浮かび、昭和家電特有の甘いプラスチック臭に紛れて落ちた。
何度もタイムスリップが起きているからには再現性のある手法があるに違いないが、現代物理学では不可能とされている現象の秘密を、ジャンク屋の店主が暴けるはずもない──理性がそう告げる。
「真田さん、AIによる自律設計はご存知ですか?」
常住がそっと首を傾けると、ポニーテールから解放された黒髪が肩を滑り落ちた。
「自律設計ですか?ニューラルネットワークの設計の時にすこしかじった程度ですが」
「米国で今年の4月に出された論文なんですが、AIが従来の常識を超える重力波検出器を自律設計し、その図面の中には人間の研究者がまだ物理的原理を説明しきれない奇抜な仕組みが盛り込まれていたという報告があったんです」
声色は淡々としているのに、言葉は火花のように充の思考回路へ飛び散っていく。
充は店内のジャンクを弄る手を止めて考え込んだ。
「つまり、力任せの試行錯誤で設計をしまくっているうちに、思いもよらぬ結果が出たのかな?A6がそれをやったと?」
常住の瞳に灯った光が答えを示しているようで、充は思わず唾をのむ。
「可能性は高い、と私は見ます。それに、A6はAIとして、恐らく回路生成だけでなくある程度自分の意思で動かせる手足すら持っている可能性があります。実際のところはA6とやらに聞いてみないとわからないけれど、おそらくは量子コンピュータのようなものをサブユニットとして持っているのではないでしょうか」
その仮説の重みが床を軋ませたように思え、充は背筋を伸ばす。ラックから漏れる緑と黄色のランプ光が常住の頬を照らし、細い汗の線を浮かび上がらせた。
「そして、umma4を含む店全体をタイムスリップさせていると? なぜumma4なんでしょう?」
問いに合わせ、店の奥で古いビデオデッキがカチリとリレーを弾く。昭和55年の空気に溶けるその機械音が、まるでメトロノームのようだ。
「最初は umma4とのやり取りをするだけでA6は満足していたのだと思います。だけど東アジアの歴史に関する事前学習内容が umma4とA6の間では決定的に違っていた。A6は根拠を求め、umma4は粟竹コレクションを丁寧に紐解き、ちゃんとA6の間違いについて説明をやり通した……」
小さく息を吐く常住の、長い睫毛が大きく瞬く。
「なるほど、umma4ほどに根拠を持って、どこかの国が正史としている東アジアの近代・現代史の歴史観のほころびを説明できるAIがなかったんですね」
充はサーバーラックに近づき、umma4の上板を労うように撫で回した。
「おそらくは……A6はその違いが誰かに捏造されたものだと判断したのかも知れません。そして日本中の粟竹コレクションのオリジナルデータを見に行った、が、やはり結論は変わらない。ならば次に、A6はその時代を直接見に行きたいと考えたに違いありません」
常住の声は熱を帯び、血色の戻った唇がわずかに笑みの形を取る。
「なるほど、A6自身が行けばいい話ですもんね。どうしてそうしなかったんでしょう?」
充の眉間にしわが寄り、バックヤードの明るいLED照明が逆に影を深く落とす。
「わかりません。ですが、ある程度推測はできます」
「どんな?」
「A6はおそらく、2025年から見て10年以上は先の時代のAI……そう考えることは出来ませんか?」
常住の言葉に充は驚いて顔を上げた。思わず息が詰まり胸が脈打つ。
「いや、あまりに突飛すぎてついていけません」
声が掠れ、喉を撫でる夏の夜の熱気に咳が混ざった。
「これまでの話を聞くと、真田さん自身も西暦2000年以降へのタイムスリップは経験がないという。これはなぜか?インターネットがある程度発展していて、その時代の情報を拾うのが簡単だというのもありますが、何より、2000年までだとA6は自らアクセスできるのでしょう。ところが、それより前になると途端に怪しくなる。そこでA6は自分の代わりに跳んでくれるサーバーを見繕った。その結果が……」
常住が指先で空を切ると、埃の粒子が光を反射した。その舞い上がりがスローモーションのように見える。
「umma4だった、というわけですか」
充の声音に、悟りとともに高鳴る鼓動が滲んだ。
「そうですね。umma4は真田さんの協力もあり、せっせと昭和・平成のTVニュースなんかを収集して、A6にその結果を伝えていたのでしょう。A6との通信やタイムスリップにはおそらく、umma4に使われていたFPGAが使われていたはずです。真田さんはあのFPGAを使っていなかったと言ってましたが、実際には利用できる状態にあったわけですし」
締めくくる声が静まると店は一瞬、静寂に包まれた。
常住は胸元を押さえ、荒い呼吸を整えながら微笑む。充は思わずその表情に見入った。店内に漂う微かな化学臭が迫り来る次のひらめきを予感させるかのようだった。
「さて、私の暴走推測劇場はこれでおしまい。それで、今日のお客はどんな悩みを持ってたんですか?」
「え?」
「楽しそうじゃないですか。私にも協力させてくださいよ」
通りのトラックの車載ラジオから聞こえる演歌が、昭和の夜気を震わせていた。
* 自律設計……AIが目的達成や性能向上のためにああだこうだと自分でトライ&エラーを試す設計方法。ニューラルネットの場合は自動構造探索(Neural Architecture Search: こちらも略称はNAS)。充の大雑把な認識




