逆鱗・虎の尾・地雷
「あははは何?この馬鹿みたいな容量?しかもその中で6割使われてるってあはははは!ウケる!」
充のNASの中身を見ながら常住が笑い転げている。それくらい充のNASは非常識な容量なのだ。
大学院の同期の連中が次々とデータを持ってくるものだからしょうがなく買い増しをしていってたらそんな容量になっただけで、なんら将来的な展望があったわけではない。だが今回の粟竹コレクションのように、かなり真面目なデータが死ぬほど入っているのでこのNASが壊れたら悲鳴を上げる人間は直接間接合わせると30人は下らないだろう。
ちなみに、データの受け入れ当初はそれなりの金額を出してもらっていたりするし、今もごく少数だが金を払ってくれるメンバーには領収書を出したりもしているのだ。
「あー笑った。ははは。あ、そうだ。粟竹さんのデータの一部をSSDでもらっていきますよ。彼から許可は取ってるから大丈夫大丈夫」
常住は嫌も応もなくSSDをumma4サーバーのUSBに繋げてコピーをし始めた。
充は慌てて粟竹に確認を取ったが問題ないとのこと。粟竹は常住が真田無線で迷惑をかけていないかをしきりに気にしていた。
「さて、ログの方も見せてもらってもいいですか?他のところが散々見られてたってことはここもそうなんでしょう?……って、なんじゃあこりゃあ!!」
常住が喚いたのは、umma4サーバーが残していたタイムスリップ時のTV番組の動画と、音声をテキスト化したデータだった。
「なんでアナログ地上波の放送データが2025年10月のタイムスタンプでこれだけ大量に録画されてるの?それを全部テキスト化してる?何してんのこれ?そもそもこの映像データどっから持ってきたん?」
PC画面から目を離し、充の方を振り返る。常住の目に飛び込んできたのは棚の一角に不自然に積まれたビデオデッキの集団だった。
「なるほど……?」
不思議なものを見るような目でビデオデッキの山を見つめる常住。
真田無線でumma4サーバーを操作できる人間はこれまで充に限られていた。限られているからこそ、バックルームは安全で、何も隠さずにいられたのだが今回はまずい。
A6が日本中のサーバーを覗き見しまくっているのはA6の問題だ。A6がumma4と押し問答をしているのもA6に可哀想なumma4がつきあわされているだけだ。
しかし、umma4がとっくに放送が終了したアナログ地上波放送の受信体制を整えていて、受信したであろう内容が40年以上前のTV放送の動画であるという事実は説明できるものではない。
「ああ、いや、これはその……昔のTV番組を撮りためていたお客さんがBlue-rayに焼き直してくれって昔のテープを大量に持ってきたからで……」
充は右拳をぐっと握った。良くもまあこんな完璧な言い訳が出来たものだ。口からでまかせにしても完璧すぎるだろう。
「それは嘘臭いなあ。そのビデオデッキ、全部アンテナ線がブースターに繋がってるじゃないですか」
「え?あれ?そうでしたっけ?」
とぼけては見るものの、充の脇には嫌な汗がじっとりと滲んでいた。
「つまり、ここではどういうわけかアナログ放送を受信してたってことよ。40年以上も前の番組を。そうですよね?」
「いやだなあ常住さん、まるでうちの店がタイムスリップでもしたみたいじゃないですか」
常住の鋭いツッコミに頬の筋肉が引きつる充。作り笑顔もそろそろ限界だ。
そんな充の苦しい言い逃れを聞いていた常住の顔がやおら明るくなる。
「タイムスリップ!そう!それ!タイムスリップ!語るに堕ちたね真田さん!」
「やめてくださいよ。そういう馬鹿な話は」
露骨に嫌そうな顔をして見せる充が首を振り、手の甲を上にして「あっちいけ」と言わんばかりに手首を振る。しかしそんなものにひるまない常住。彼女はさらにヒートアップし、頬が赤らんでさえいた。
「それ以外に考えられないでしょう?どうやってタイムスリップしたんです?いや、むしろ、どうやって帰って来てるんですか?世界線の分岐はなかったんですか?」
「常住さんどうしたんですか!おかしいですよ?」
「いやあさすが二課から振られた仕事だけあるわ!こんな面白いことに出くわすなんて!さあ、真田さん、教えて下さいよ正直なところを!」
まるでアイドルに送る声援のように黄色い声で充に迫る常住の顔。何かに取り憑かれたようで、真っ当な制御を失っているようにさえ見える。
「ふーーーっ」
充の中で、何かがぷつんと音を立てて切れた。それまで柔和な表情を崩さなかった充だが、今の充は夜叉か般若。上ずった常住の声とは逆に、充の声は一段低く響いている。
「もういい、さっさと帰ってくれ常住さん。粟竹からよろしくって言われてたんで調査には協力するつもりだったけど、訳わかんねえオカルト話に付き合わされるのはまっぴらごめんだ。何がタイムスリップだバカバカしい。そんなガキみたいな話に付き合うほど暇じゃないんだ。もうコピーも終わったろ?帰れ!」
「いや、まだ……」
「知らん!これ以上一円の得にもならん話に付き合う気はない!」
常住の答えを待たずに充はSSDをサーバーから引き抜き、常住の鞄めがけてぽいと投げた。
「お帰りはあちらだよ」
「いや、ログを見せてもらうって話じゃ……」
「それは良好な協力関係がある前提での話だ。営業時間中に他人んちに来てサーバーの管理権もらった挙げ句あれこれ詮索、挙げ句に目の色変えてタイムスリップとか言い出して一体あんた何なんだ?今後文化庁さんは出禁だ。二度と来ないでくれ」
充が語気を荒げて店の出口を指差すと、常住は流石に虎の尾を踏んだことが判ったのか取り繕う姿勢を見せた。しかし充は既に交渉の扉を締めた状態。常住が出来ることはもう何もないに等しい。
もちろんこれは充の演技だ。だが多くの秋葉原の店員が身につけている基本的な技能でもある。
この界隈には「むじゅん君」と呼ばれる存在がかなりの数存在・浮遊している。店員を自分が聞きかじった半端な知識を黙って聞いてくれるボランティアとしか思っていない連中だ。こいつに引っかかると時間が湯水の様に溶けていき、まともな客は類焼を恐れて別の店へと逃散してしまう。
カスハラが違法である現在ではあるが、このような客にお引き取り願うための交渉術はまだまだ必要とされているのだ。
常住の興奮した態度はどう見てもむじゅん君のそれと大差なく、であれば出禁にするのもやむなしというのは経営者として当然の判断と言える。
「あの、真田さん、すみませんでした。凄いものをいろいろと見せてもらって、つい舞い上がっちゃって」
「言い訳はいいよ。もう来ないでくれればそれでいいから、早く出てってくれ」
「……はい。お茶、ごちそうさまでした」
その時、店内にズズンという低い音が響き渡った。いつものようにぐにゃりと視界が歪む。
(くっ!このタイミングで来るのかよ!)
充が正常な視界を取り戻した時には周囲の景色ががらりと変わっていた。
外の看板は高級オーディオとウォークマン、そしてカセットテープの宣伝で埋め尽くされ、隣の店の自販機のポカリスウェットに「新発売」と書かれた青い帯がついている。
「昭和55年あたりか……」
気を失って床に転がっている常住を見て充は苦々しい顔をした。
(ああ、もうめんどくせえな……寝ているうちに芳林公園にでも放っぽり出してやりたいところだが……)
充は苦々しい顔をいっそう苦々しくしながら常住を抱きかかえ、貨物用エレベータに乗って4階へと運んだ。
タイムスリップという自分の言説が正しかったということで常住は狂喜乱舞、そして死ぬほどのドヤ顔をするに違いない。で、生活全般はこちらが面倒を見る羽目になるのだ。起こして一から説明しなければならないことも含めて面倒くさいことこの上ない。
(4階に放り込んでおいてエレベータの電源を切って置こう……)
いつもは未来が使っている布団に常住をごろんと寝かせ、そそくさと下へ降りようとする充。エレベータの扉があと数センチで閉まるというところで青白い手がそれを阻んだ。
「すいません……どうやら気を失ったようで……地震があったようですがお店は無事ですか?」
* NAS... ネットワーク越しでも使えるでっかい共有ディスクだと思いねえ
* 今は1つ26テラバイトくらいのHDDが売られてます。それを20発以上積んでいるのが充のNASです。
* SSD… 普段皆さんが使っているストレージデバイスです。OSからは「ディスク」と呼ばれてます。USBにつなげると早いんですよ。
* アナログ放送 / ブースター … アナログ地上波を受信するにはアンテナが必要ですが、ブースターを使うとより綺麗に映ることが多く、TVを買ったご家庭の多くがこれを利用していました。
* umma4(とA6)はTV放送を動画にして、タイムスリップ先の世論を分析しています。




