昭和63年のメディアラボ(中編)
今回は3部構成です。
《前回までのあらすじ》
タイムスリップ先で様々な放送を受信するためにビデオデッキを仕入れた真田充。
自前の AI, umma4 が貪っているのは昔の友人、粟竹が集めていたデータコレクション。充は粟竹の無事を確認するため電話をかけてみたが粟竹にはなんの変化もなかった。安心して電話を置いた充だったが……
「ねえ、話終わったー?」
充の杞憂などどこ吹く風。電話が終わるのを手ぐすね引いて待っていた未来の顔は好奇心に満ちていた。
「これ何?なんかVRに見えてVRじゃないね」
「ああ、これか」
最近買い取ったビデオデッキなどの周辺機器が入った箱の中に、白いゴーグル型のデバイスが紛れ込んでいた。2010年ごろに堰を切ったように発売された非VR型のヘッドマウントディスプレイだ。「20m先に750インチ相当の画面を投影できる」というふざけた売り方をしていたが「それの一体何が嬉しいのか?」をうまく説明できないまま、VRヘッドセットに場所を奪われた悲しい時代の徒花だった。
「こんなもん、誰が使うんだろうな」
充はヘッドセットを手に取り頭に装着してみた。妙に前が重く、ケーブリングも煩雑だ。これをベッドに引き込んでいたという連中は相当な手練れに違いない。何より、有効な使い道、これを使えば何かが快適になるという道筋を何一つ見いだせないのだ。
「まあ、だからジャンク品として流れて来るわけで」
「ちょっと未来感はあるのに、残念ね」
「映像デバイスはなあ……なんかこういきなり『技術者の夢っ!』って感じで出てくるものがちょいちょいあるんだよ。でも結局は時代の波に飲み込まれていくんだよな」
「時代の波ねえ……私らがいつも巻き込まれてるじゃない」
充が諦めてヘッドセットを元の場所に置こうとしたその時、視界がぐにゃりと歪み店内の光が揺らいだ。
耳鳴りのような圧迫感。床が壁が天井がゆっくりとねじれていくような感覚。
「ほら来た!未来やんが変なこと言うから!」
「誰が未来やんや!」
ふざけていた充は軽くバランスをくずし未来によりかかる。
未来は未来で、なんとかバランスを保っているものの楽ではなさそうだ。
ほどなく、充と未来は平衡感覚を取り戻した。
「さて、今回は何年かしら」
「ちょっと待ってて。この景色なら解ると思う」
充は店においてある電波時計を見つめた。1分、2分……デジタル表示の片隅に「RC!」の点滅が現れる。自動受信モードに入った印だ。ピッと一瞬の電子音が鳴る。
画面が変わり、日付が更新された。
"88.10.24 (MON)"
「うわは。バブルど真ん中だな」
充が未来の顔を見て苦笑した。以前未来に「真田無線にバブルは似合わない」と言われたことを覚えているのだ。
未来もそれを思い出し、バツの悪そうな顔をしてみせた。
「前にもこれくらいの年代に来たことあるわよね。IBNの……なんて言ったかしら」
「5100か。そういえばあれくらいの時代だったな」
「あの時みたいに大儲けして、バッグで使ったぶん取り戻せるといいなあ」
雑談をしながらこの時代で見られては困る商品を奥の棚に移動させる二人。
作業が済んでコーヒーを淹れているとチャイムが鳴った。
♬ぴぽぴぽぴんぽーん
「らっしゃい」
入ってきたのは背の高い、大学生くらいの年齢の女性だ。女性はウロウロと店内を回っていたが、やがてあるコーナーの前に吸い寄せられたように移動し、そこで動かなくなった。
「これは……去年出たばかりの、そしてこっちは一昨年に出た最上位機種……どうして中古屋にこんなものが?」
女性は驚愕の眼差しで展示されていたビデオデッキを見つめていた。
本体右側にある黒光りするジョグダイヤルが、そのビデオデッキが何をするために作られた製品であるかを物語っている。
「でも……去年出たばかりなのになんでこんなに保護シートがボロボロなのかしら……?」
言われてみればリモコンも本体の外観も結構くたびれているが、そこは経年劣化なので仕方ない。
「お客さん、それはちょっと理由アリなんですよ」
充がレジの横で端末を叩きながら女性に呼びかけた。
「7月に千葉で水害があったでしょう?あれで駄目になったやつを引き取って再生したんです。外見はご覧のとおりですが問題なく動きますよ。なんでしたらお試しして行って下さい」
「なるほど……中古屋ですからそういうものも扱いますよね。ふうん」
未来が肩を竦める。充の端末には umma4のウィンドウが開いており、「1988年に水害があった地域は?」と入力されていた。
umma4からは「1988年7月の水害で、島根、広島、三重、千葉などで相当数の床上浸水があった」と回答が帰ってきている。
(外見が汚いのを水害のせいにするなんて、よく知恵が回るわね……)
未来は充の機転に感心するしかない。
「あの、このデッキはおいくらくらいするんですか?まだお値段ついていないようですが?」
女性は意を決したような顔をしている。定価が30万円近いことを知っていてこの質問をしているのだ。どうやらそれなりの金をはたいても必要なものらしい。
「そうですね。当店でしばらく使ってみてちゃんと動くようなら値段をつけようかと思ってるんですよ。そっちの黒いのも同じです」
「ああ、まだ売り物ではないんですね……。残念……ついてないなあ」
充の応えに女性は小さく肩を落とす。
これまで何度噛んだのだろう。彼女の下唇の一部は赤黒く爛れていた。
「どうかなさったんですか?お話次第では相談に乗れるかも知れません」
「相談に乗っていただける……とはどういうことですか?」
充がビデオデッキを指す。
「そこの再生機材達をそれなりの時間かけて、しかもこの機種ならではの機能を使いながらテストをするのは当店にとってもかなりの負担だということです。テストをしない場合は保証無しのジャンク品、テストが済めばそれなりの高値で売れるという目論見ですよ。それをやっていただけるのでしたらこれらの機材をお貸しすることも考えます……」
女性の目がカッと見開いた。
「あの!それならば是非、そのテストを私にやらせてもらえませんか?」
「お客さん、私確かに相談に乗るとはいいましたよ?ですが私はまだあなたのお名前も、あなたがこの機材を使えそうなのかも分かりません。あなたがどこのどなたで、本当にこの機材が使えるのかをちゃんと教えていただかないと」
充が丸椅子を女性に勧め、コーヒーを淹れ始める。
未来は充を見てニヤニヤしていた。どうせ貸すのだろうと言わんばかりだ。
熱々のマグカップを受け取った女性は小さく「いただきます」と言うと、目尻を上げて話し始めた。
「私は増井といいます。杉並にある美大のデザイン科の学生で、今4年生。卒業制作のために映像作品を作ることになっていますが、私はビデオ作品を作ることになりました。」
「映像制作ですか。なるほど、それでこの編集機がご要り用に。でも、大学にも立派な機材はあるでしょう?使えないんですか?」
「学科も設備もまだこれからという感じですね。編集室は機材も指導員も少なく、予約してもしなくても常に先客がいて、自分の番はほとんど回ってきません。このままだと卒業できず、せっかくもらった内定も取り消しになってしまいます」
増井の目に涙が滲む。きっとこれまでかなり状況に抗っては来たのだろう。
「いいんじゃないサナっさん、貸してあげれば?借りパクが怖いんならここに通ってもらえばいいのよ」
未来がじれったそうに口を挟む。充の方の用事はこの最高機種では無駄な電力を食うから不向きなのだ。
「いや、映像制作、特に編集作業ってのはやり始めたら夜も昼もないって言うぞ。ダビング編集なんて何日かかるかわからんし、その間ずっと店を開けておくわけにもいかんよ。やってもらうのはいいとして、御自宅でやってもらわないと」
「とすると、私がこれらを持って帰って使う、ということになりますね。うーん……」
「そういうことになりますね。他に何か問題が?」
唸り出す増井。充は既に結構な譲歩と破格の条件を出している。これ以上を望むなら断るのもありかなと思い始めた。
「ええと、私は女性専用の下宿に住んでいるのですが、相部屋なんですよ。自室で編集を始めるとビデオデッキの機械音はともかく、テレビ画面が四六時中点いているのはルームメイトにとってかなりの苦痛になると思うのです。それに、最終的には映写室の大きな画面に映される作品を、今持っている10インチのテレビで編集するのもちょっと……」
「なるほど。しかし、それはなんとかなると思いますよ」
自信たっぷりに返す充。未来は充が何をしようとしてるのか解ったらしく、充に軽く目配せをするとバックヤードに入っていった。
* ちなみに、増井が値段を聞いた2つのビデオデッキは新品価格 29万5000円と28万8000円ですが、メルカリやヤフオクでは残念な値段がついています。時代の流れは恐ろしいですね。そしてあと50年も経てばまた値上がりするんでしょうね……
* HMDもメルカリでみたら6000円しない……。
* 私もまだ手元に NS9000とかあるんですけどねえ……




