昭和51年の楽器の故障(前編)
少しお時間をいただきました。本業が少し多忙だったので……
2025年10月――
真田無線には、朝の陽が容赦なく差し込んでいた。10月と言えど令和の日差しは厳しい。
なのにカウンターに突っ伏した充はピクリとも動かない。
生命反応があるのか疑わしいほどだ。
♬ぴぽぴぽぴんぽーん。
「もしもーし、生きてますかー?サナッさーん?」
未来がドアチャイムと共に現れた。
相変わらず彼女の声はチャイムの音色のように軽やかだ。
手に提げたコンビニ袋が揺れる。
♬ぴぽぴぽぴんぽーん。♬ぴぽぴぽぴんぽーん。♬ぴぽぴぽぴんぽーん。
充が出てこないのをいいことに、未来は面白がってドアチャイムのセンサーの前を何度も通り過ぎた。
「……うるさい……」
屍のふりも限界だった充が低い声で唸る。
「もう少しで涅槃に入れたんだが……」
「涅槃て……」
未来はカウンターに近づき、充の顔を覗き込む。目の下のクマは最早メイクの域だ。
「うわ、ひっどい顔!寝てないでしょ、また。umma4のログ調べてたの?」
「ひでえなあ……umma4とA6の会話ログを解析してたらこんな朝になってただけだよ」
充は力なく起き上がり、頭をかきむしる。
「いろいろ分かった。あのA6ってやつは、恐らくだけど国によって解釈や記述が食い違う部分を異常な粘着質で調べ上げてる。umma4を相手に、自分の学習データとの違いを1個ずつ調べてるんだ。本当に1個1個飽きもせずに」
未来はサンドイッチを口に運びながら、目を丸くした。
「へえ、AI同士でも意見の食い違いがあるんだ?」
その視線は、カウンター奥のサーバーラックに向けられている。
「食い違いは、何を見て学習したかによるからな。umma4の方が答え合わせにつきあわされてたのがこの間までの全力運転の理由だと思う。時々変なエラーを吐くのはまあ、ここまで重い作業を経験したことがなかったからだろう。オープンソース組み合わせて作ったグラフRAGだけど、想定以上の情報量やら何やらでぶっ飛んだんだ」
充は苛立ちを募らせる。
「AI同士が何を学んだかを答え合わせしてるってことでしょ?それでなんでumma4が全力運転になるの?」
「あのな、片方が一方的に『俺の知ってる事実と違う。証拠を出せ』って言ってきて、もう片方がしょうがないなと頑張って資料の中から証拠を見つけてるってわけだ」
「ああ……Xとかで良くあるやつだ。言いたい方は言いっぱなしで、エビデンスは反論側が出さなきゃいけないやつ……」
「まさにそれをうちのumma4はずっとやらされてるんだよ。高い電気代を負担してな。そして、一番ヤバいのは……A6が歴史認識の違いを洗い出す活動と、これまでのタイムスリップが明らかに同期してるってことだ。A6とumma4の認識のズレが大きくなった時に店が揺れてる。記録と見比べたけど間違いない。A6が意図的にタイムスリップを引き起こしてるんだ」
流石におかしいと気づいた未来が顔をしかめる。
「……アホなの?たとえスーパーコンピュータでもタイムスリップ出来るわけ無いじゃん」
「手元の記録とログから少なくともタイムスリップ発生とA6-umma4情報照会には相関関係があることは確かだ。A6が発動したのでなくても、A6がタイムスリップを起こせる何かに発動を命じたかもしれない」
充の推測は荒唐無稽であるが、全ての超常現象を説明する唯一の糸口だ。 充が自分の研究分野のことについては冗談は言っても嘘はつかないことを未来は知っている。そして充が今話したことはどうやら冗談ではない。
「分かったわ。で、その情報照会にはある程度の周期や兆候なんかはあるのかしら?」
「あるとしたらそろそろだ。今朝までA6とumma4はやり合ってたからな」
その時、真田無線全体が低い音を立てて震え始めた。しかしその震え方は今までより大人しく、スムーズにも思える。
「うわっ、ホントに来た!」
未来が慌てて立ち上がりサンドイッチは宙を舞う。 充はカウンターを掴み歯を食いしばる。二人の視界がぐにゃりと歪み、外の景色が色を失っていく。umma4の電源の悲鳴にも似た稼働音と、低く唸る店の震えが次のタイムスリップが間近であることを告げる。
「コツでも掴んだのか妙にスムーズだな。畜生、こっちはまだ眠いってのに」
充はぼやいた。 時間の奔流が二人と店を容赦なく時間の渦へと引きずり込んでいく。
A6の真意も、 umma4の疲弊も、充の眠気も、何も解決しないまま――
真田無線を包み込んでいた音と揺れが収まった時、充と未来は互いに顔を見合わせた。いつもより「タイムスリップ酔い」が軽い。充は立ち上がり、店の窓の外を見た。
「……また飛んだな。しかも上手に」
「あーね。確かに揺れも音もあまりなかったね」
街の電飾のセンスが古く、車のエンジン音が安っぽい。ビルが低く看板のデザインもコピーも調子外れだ。行き交う人々の服装もどこか違う。未来も窓に駆け寄り目を凝らす。
「今度はいつだろ?昭和っぽいけど、なんか見たことあるような……」
充は店の奥にある、年代物のラジオのスイッチを入れた。AM放送特有のノイズ混じりの音声が流れ出す。耳を澄ますと、ニュースらしきものが聞こえて来た。
「……最高指導者の死が報じられています。中国の動向は今後も予断を許しませんが……」
充と未来は顔を見合わせた。最高指導者の死亡、それは確か……。
「1976年……昭和51年の9月だな」
「げ、あの臭い野球部の時と似たような年じゃん」
「あれは去年……ってことになるのかな」
「私にとってはつい先日の出来事だが……野球部員にとっては多分来年の出来事ね」
「大丈夫だ。問題ない……」
未来がスマホを取り出そうとしてハッと手を止める。当然だが、ここでは使えない。
「そっか。昭和51年かあ。私、生まれてないや」
「俺だってまだ影も形もないぞ」
充はラジオのスイッチを切り、店の空気を吸い込んだ。おそらくこの店内だけが21世紀の空気の匂いに満ちている。充はなんとなくだが、窓を開けたくないなと思っていた。自分たちがこの時代の異物であるからこそ、外と混じりたくはないとでも考えたのだろうか。
その時、店のドアが控えめに開いた。
♬ぴぽぴぽぴんぽーん。
「すみません……」
そこに立っていたのは若い男性だった。髪はボサボサでワイシャツはヨレヨレ。目の下には深いクマがあり、顔色は土気色だ。まるで何日も眠っていないかのように見える。
手には使い古されたショルダーバッグ。
彼は店内を見回し、見たこともないジャンク品の山に目を丸くしている。
充はカウンターの中から声をかけた。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
男性は充を見て少し戸惑った様子だった。
こんな店に求めているものがあるだろうか、といった表情だ。
「あ、いや……あの、ちょっと変わったものを扱ってるって聞いて……」
声も掠れている。充は彼の様子から、何か深刻な悩みを抱えていることを察した。
「変わったものですか……。まあうちはジャンクショップですから色々なものがありますよ。ラジオの部品とか、古い家電とか……どんなものをお探しで?」
充の口調はあくまで自然だ。
この手の客は元気に接したりすると何も言わずに消え入るように逃げてしまう。
男性は躊躇いがちに口を開いた。
「あの……電子楽器の修理に詳しい方はいませんか?シンセサイザーなんですけど……」
「シンセサイザー、ですか?」
シンセサイザー。この時代にはまだ珍しい電子楽器だ。充は身を乗り出した。
大学時代に多少ギターをかじっていたせいもあるが、この手の話には実は目がない。
「……珍しいですね。修理が必要ってことは壊れたんですか。どういった症状で?」
男性はホッとしたような、しかし諦めがまだ勝っているような顔をした。
「実は、アメリカから来たバンドの楽器なんです。MiniMoogle Dっていう、すごく大事なシンセサイザーで……それが、空輸の時に多分扱いが雑だったかエアポケットに落ちたかでやられちゃって、音が出なくなっちゃったんです」
「MiniMoogle D!?そりゃまた!」
充はピンときた。伝説的なあのシンセサイザーだろう。それが故障。しかもアメリカから来るバンド。
「大物バンドなんですか?」
未来が思わず口を挟んだ。
男性は未来を見て少し驚いた様子だったが、すぐに力なく頷いた。
「ええ、向こうじゃかなり有名で……今回、ある映画のキャンペーンで来日したんです。主題歌を歌ってて、そのプロモーションツアーで。夕方にはうちの局で収録があるのに、このままだと……」
男性はそこで言葉を切った。顔には絶望の色が浮かんでいる。
「TV局の方?」
「はい、ええと、ヤンテレの音楽番組のADやってます。山田と申します……」
未来は山田の顔色を見て、半分気の毒そう、半分は蛇蝎を見るような顔をしている。21世紀の地上波放送局がどれだけ多くの社会問題を引き起こしたかを考えれば無理もない。
「山田さん。そのシンセサイザーの修理、他のところには当たってみたんですか?楽器店で店頭品を借りることだって出来るでしょうに」
充が続ける。山田は俯きながら首を振った。
「御茶ノ水の楽器店とか、いくつか回ってみたんですけど……どこもダメで。TV局って、一度貸すと返ってこないとか、ボロボロにされて返されるとか、悪評が酷くて……貸してもらえないんです。しょうがなく秋葉原に来て、修理できる人がいないかって探したんですけど、ラジオとか冷蔵庫ならともかく、回路図もない電子楽器を修理できる人なんて、どこにもいないって……」
山田の声が震え始めた。
「もうどうしたらいいか分からなくて……このままじゃ、バンドにも映画会社にも、局にも迷惑がかかる……もう全部放り出して山形の田舎に逃げ帰りたいです……」
山田は今にも泣き出しそうな顔だ。その絶望的な言葉に、真田無線には重い空気が流れる。
充は男性の話を聞きながら、奥の作業台に置かれた古いオシロスコープやテスター、そして部品棚に積まれた現代の電子部品の山に目をやった時、umma4のサーバーがチカチカとLEDを点滅させているのが目に入った。
このタイムスリップも、この客も、A6とumma4が仕組んだことなのか。それとも単なる偶然で、目の前の男性の絶望をどうにかするべきか。
充の頭の中で様々な思考が駆け巡る。山田の持ち込んだ問題を夕方までにどうにかするというのはどう考えたって無理だ。それは普通の店では、の話だが……。
充は男性の顔をじっと見つめた。そのすがるような目を、彼は見放さなかった。
「……MiniMoogle D、用意するカネか、壊れた現物、どっちかはあるのかい?」
* 「私にとってはつい先日の出来事だが……野球部員にとっては多分来年の出来事ね」「大丈夫だ。問題ない……」は、14年くらい前に流行ったゲームの中の有名な一節をもじったものです。
* この話のモデルとなったシンセサイザーは発売当初のお値段は1$=360円だと150万円前後というお話