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漂流ジャンクショップ  作者: にゃんきち


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24/52

平成6年の手書き履歴書(前編)

毎日更新がきつくなってきました

♬ぴぽぴぽぴんぽーん


二階の住居スペースで昼食の片付けをしていた充の手が、自動ドアのチャイムで一瞬止まった。


「まったく、こんな時間に誰が来るんだか。真っ昼間からジャンク屋なんかに……」


充が不機嫌なのはこのところあまり寝ていないからだ。

自身の研究のために開発し愛用しているLLM、umma4。それを載せた高性能サーバーのGPU全力運転状態が不自然に続いているのである。どうも様子がおかしいため、充は毎晩調査のために徹夜をしている。


「らっしゃい……って、よく来るね。未来みくさん」


「まあね。何かと刺激的でして。ここは」


未来みくが手を降って充に挨拶をした。


「1度来たら15日分歳を取るから、肉体年齢がどうとか言ってなかったか?」


「そこはそれ。高額な化粧品でカバーするのよ……って、サナっさん、疲れてない?」


彼女は充の些細な変化にも敏感に気づく。その観察眼は探偵のように鋭い時があるが、時として純粋な好奇心でただ見ているようにも見える。

彼女は手に持った缶コーヒーを軽く揺らしながら充の顔を覗き込んだ。


「心配事?」


充は苦笑いを浮かべ頭を掻く。


「うん。ちょっと最近おかしくてな」


「サナっさんがおかしいのはいつものことだよ?」


未来みくの顔を見ながら、彼は首を振った。


「俺じゃなくて、あっちのサーバーだよ」


充は店の奥で低い唸りを上げているサーバーを指さした。


「umma4の? なんか変なの?」


未来みくは興味津々といった表情でサーバーの方を見る。


「変っていうか…最近ずっと全力運転でさ、猛烈に何かを学習したり、資料の整理をしたりしてるみたいなんだ。そういう機構は確かに実装したけど、何かおかしいんだよな」


充は額に手を当てた。


記録(ログ)を見ても詳しいことは見えてこない。ただ、普通じゃない、いくつもの複雑な作業を無理やり押し込まれてるみたいな感じでさ。まるで、誰かがumma4のリソースを乗っ取って、何かとんでもないことをやらせてるみたいなんだ」


この異常な活動は、充にとって大きな謎だった。なぜumma4が勝手に、しかもこんな複雑なプロセスを同時に実行しているのか。


「それで、ログから何かわかったの?」


未来みくが続きを促した。


「ああ。それがもっと気持ち悪くてさ…」


充は言葉を選んだ。


「どうも、umma4は誰かと話をしてるみたいなんだけど、それが誰かがわからないんだ」


「はあ?」


ログには、A6と名乗る存在とのやり取りが確かに記録されていた。そしてそのアクセス元は外部ではなく、umma4が稼働するサーバー自身を示していたのだ。

侵入された形跡もなく、何かのウィルスを仕込まれたわけでもない。A6はただ、umma4との会話だけが目的に見えた。充にとっては得体の知れない現象であり、それは同時に、いつかA6の「中の人」が本気を出せば簡単にこのサーバーを乗っ取れることを意味している。


「サーバー自身のアドレスから?それってどういうこと?」


未来みくが首を傾げる。彼女の顔には、興味と同時にかすかな不安の色が浮かんでいた。


「俺にもよく分からない。ただ、ログを見る限り、そいつは仮想通貨のマイニングみたいにリソースを浪費する行為は一切してない。ひたすらumma4が持つデータ――特に日本の大学の図書館から集められたものや、大学の連れがNASに放り込んで行った東アジア史に関する膨大なデータ――について、猛烈な議論と質疑応答を繰り返してるんだ」


それはまるで、自らが持つ情報とumma4の持つ情報との間で、何らかの関連性を探っているかのよう。そのやり取りは極めて論理的であると同時に、どこか切迫した雰囲気も感じさせるものだった。


A6。そいつは何者で、なぜumma4の持つデータにこれほどまでに執着しているのか。充にはそれがまるで何かに葛藤しているようにさえ思えた。


「電気代以外の実害はないんでしょ?だったら放っとけばいいじゃない。AIが自分で賢くなろうとしてるならそれは良い事だと思うの」


「俺の意思にかかわらず、ってところが気に入らないんだけど」


「学習が終わったらきっとまた大人しくなるわよ。いいGPU積んでるんでしょ?すぐよ。しらんけど」


未来みくにとっては「嫌ならとっとと電源を切ってしまえばあ?」といった程度のことなのだろう。


「まあ、そうなんだけどさ…なんか、気持ち悪いっていうか。単純にどっかのクラッカーがアドレス偽装しつつ侵入して遊んで他のログ消していったんならそれはそれでいいんだけどさ」


未知の相手の存在はサーバー管理者にとっては恐怖以外の何者でもない。外側から来たのか、内側から沸いたのか、どちらにしても得体の知れない存在への不気味さが充の内側でじわりと広がっていくのを感じる。

それはまるで、暗闇の中で見えない何かにじっと見つめられているような感覚であり、同時に,自身の作り上げたシステムが,想像もしていなかった未知の領域と繋がってしまったことへの畏怖でもあった。


その時、真田無線の店舗全体を包むような、低く、空間を震わせる唸り声が響き渡った。


「うわっ!?」


未来みくが驚きの声を上げた。窓の外の景色が波打つように歪み、見慣れた秋葉原の風景がぐにゃりとねじ曲がる。視界がぐらつき、平衡感覚がわずかに揺らぐ。


次の瞬間、眼前に広がっていたのは間違いなく,しかし見慣れない秋葉原の光景だった。

肌に纏わりつくような湿気と,強い日差しは梅雨明け前の初夏特有の蒸し暑さ。街の通りを見ると「夏のボーナスセール」や新しく出たマルチメディアゲーム機ののぼりが見える。


店内に設置されたレトロなデザインの電波時計の液晶部分に表示されている日付は1994年6月初頭を示していた。今回はタイムスリップ前と時期が多少ずれたようだ。


「これはあれだね。平成だね。何回か来たことあるわ」


「あーね。紗季ちゃんが通ってた時に似てるね」


その時,店の入口でいつもの元気なチャイムの音が響いた。


♬ぴぽぴぽぴんぽーん


充と未来みくは思わず店の入口に視線を向けた。自動ドアが開き、外の蒸し暑い空気が店内に流れ込んでくる。


「らっしゃい」


そこに立っていたのは若い男性だった。年齢は二十歳前後だろうか。手には分厚い封筒を抱え、ワイシャツはしわくちゃで、目の下には濃いクマができている。尋常ではない疲労と、何か重いものを抱えていることが見て取れた。


店内に足を踏み入れ、周囲を見回す青年。見慣れないジャンク品が並ぶ光景に困惑しているようだった。


彼が何を思い、何を求めて店に入ってきたのか、充には分からない。彼は店の奥へと進み商品棚の間をあてもなく彷徨うように歩き始めた。その手には、履歴書やエントリーシートを入れるのに使うと思しき角形2号封筒が、ぎゅっと握りしめられている。その厚みは異常で、まるで彼の抱える苦労の重さをそのまま形にしたかのようだった。


彼のワイシャツの袖口は擦り切れ襟元は黄ばみ、靴も手入れが行き届いていない。無理をして身なりを整えようとした痕跡と、それを上回る困窮ぶりがうかがえる。この時代、1994年6月初頭。バブルが崩壊し、就職氷河期という言葉が牙を剥き始めた頃だ。この青年の姿はその時代の厳しさを体現しているかのようだった。


青年は店の奥まで来ると立ち止まり、再び手の中の封筒に視線を落とした。その顔には深い絶望と疲労の色が浮かんでいる。彼は何かを言いたそうに口を開きかけたが、結局何も言えずただ肩を落とした。


「お客さん」


充はこのまま放っておくわけにはいかないと感じ、穏やかな声で彼に話しかけた。


「随分とお疲れのようですが、何かお探しですか?それとも、何かにお困りで?」


青年はハッと顔を上げ充を見た。充が自分の状態に気づいていることに、驚きと同時にかすかな安堵のようなものが浮かんだ。しかしすぐに彼は視線を逸らし、再び言い淀む。自分の抱える問題を他人に話すことへの強い抵抗。それは、彼の問題が個人的で、おそらくは恥ずかしい、あるいは情けないと感じている種類のものであることを示唆していた。


充は青年の心情を察し、急かすことなく、彼の話を真剣に聞く姿勢を示した。カウンターの椅子を勧め自分も腰を下ろす。未来みくも少し離れた場所で静かに見守っていた。


「どうぞ楽にしてください。どんなことでも構いませんよ。もしかしたらうちにあるものでお役に立てることがあるかもしれません」。


青年はしばらく黙っていたが、意を決したように深呼吸をした。そして手の中の分厚い封筒をぎゅっと握りしめ、重い口を開いた。


「実は…就職活動で困っているんです」


「ほう、就活で?」


この時代ではありふれた状況だ、と充は思った。だが自営業の充は就活の難しさの本質を理解しているとは言い難い。


「親がバブル崩壊でリストラされて……それで、自分が早く就職して、家を支えないといけないんです。でも……」


彼はそこで再び言葉を詰まらせた。静かに彼の次の言葉を待つ充と未来みく


「履歴書やエントリーシート、全部手書きじゃなきゃいけないんです。何十社も、何百枚も……もう、手が動かなくて……」


彼の指先はペンだこで硬くなって震えている。それは過酷な現実を物語っていた。この時代、企業への応募書類は自筆が常識。そしてその量が、彼のような状況にある学生にとって文字通り物理的な壁となっていたのだ。


「ああ、自筆の方が本気度が解るとか、理由(わけ)のわからない持論を振りかざす人が結構いたらしいわね」


「IT革命に置いていかれたオッサン達が自分達の影響力を必死で保とうとしてるんだろうな」


PCを使えない情弱ジジイ達の無駄に高いプライドのせいで、何十万人の若者たちが無意味な苦行を強いられていたこの時代。もちろん、受験戦争に耐え、力のこもった学生生活を送った強者にとってはどっちでもいい話だ。ただ、この時代の学生たちにとっては受験が終われば遊園地とさえ言われた大学生活の出口で豪快に梯子(ハシゴ)を外されたに等しい。


「なるほどなあ。就職できなくて困ってるんじゃなくて、就職活動で困ってるってのはそういうことか」


充は、青年の抱える問題の深刻さを理解した。単なる書類作成の効率化の問題ではない。彼の未来、そして家族の生活がかかっている。


「サナっさん、どうにかできる話?」


「採用されるかどうかはこの人次第だけど、まあ、力にはなれるかもな」

* 3DOというマルチメディア再生機がありましてな

* GPUマシンが乗っ取られると、大体の場合仮想通貨を掘る奴隷にされます。

* 手書きのほうが良い、とか、誰が言い出したのでしょうね。追跡調査をしてみたいです。

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― 新着の感想 ―
大学の時のレポートは手書き必須でした。 理由は先輩の丸写しにするにして手書きなら少しでも頭に残るだろう?とのこと…
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