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昭和50年の野球部の部室(後編)

また未来みくさんの名前にルビをいれるのを忘れてました(2025/04/21 21:40)

翌日の午後、少年は約束通り、数枚の写真を封筒に入れて真田無線に現れた。


「部室、撮ってきました……なるべく様子が伝わるように、角度とか工夫したんですけど……」


封筒の中から取り出された写真は、光沢のある印画紙にプリントされたカラー写真。

写っていたのは薄暗く汚れた部室の内部だった。半分倒れたロッカーの周辺には虫や干からびたネズミの死骸。猫が食べたであろう魚の骨。床には泥、砂、髪の毛。散乱する漫画雑誌に半裸女性のグラビア。ベンチの上には洗濯を何ヶ月もしていないであろうタオルとシャツ、靴下。そしてあちこちによくわからない染みとカビ。所々にこびりついた食べカス、いつ使われたか分からないティッシュ……

密林でゲリラにさらわれてももう少しまともな場所をあてがわれるだろう。


未来みくが顔をしかめる。


「……見てるだけで匂ってきそう。これはなかなかね。部屋全体が特級呪物だわ」


うなずきながら写真を一枚ずつテーブルに並べていく充。撮影をしたという写真部の連中とやらに同情をせずにはいられない。「俺のカメラはこんなものを撮るために在るんじゃない!」という魂の咆哮ほうこうが聞こえてきそうだ。


「今日はこれを専門家に送って対処法を考えてもらう。明日もう一度来てくれ。そのときに最終的な掃除手順を渡す」


「はい。ありがとうございます……!」


少年が帰ったあと、未来みくは消臭ビーズの容器を弄びながら呟いた。


「にしても凄いわね。あんな部屋でもまだ諦めてないんだ」


「若さってのはそういうもんだよ」


「……保健所呼んだほうが早そうだけど……サナっさんにもああいう時代があったの?」


「あそこまで酷くはないが、君は2階の俺の部屋を見た時、似たような反応をしなかったか?」


「あ……」


ケーブルの腐海に沈んだような充の部屋を思い出す未来みく

しかし、よくよく考えると充の部屋は以前に比べて小綺麗に整理されている。

充なりに、未来みくの反応に傷ついたのか、それとも嫌われたくないのか――それは本人のみぞ知る。


「そうか……サナっさんはもう若くないってことか」


「何をどう考えたらそういう結論に行き着くわけ?」


充は膨れっ面でノートPCを立ち上げ、プロンプト入力画面を起動する。

迷いのない手順でスキャナで写真を取り込み、LLMに掃除計画の提案を要請。

生成AIサーバーの冷却器が低い音を上げて唸り出した。


「AIに聞くの?」


「うん。写真の内容を解析して、汚れの種類と程度、それから使える素材や作業工程を自動で提案してくれる。要は、こっちが何を目指してるか分かってる掃除指南アドバイザーってとこだな」


「へえ、umma4賢いじゃない。競馬の知識だけじゃないのね」


「競馬の記録だけならそこのケースに入ってる、3000円の中古のSSDだけで足りるよ」


未来みくは、後で充の部屋も撮影しておこうと密かに決めた。


やがて、画面に次々と現れるLLMが掃除の手順。面白くもなんともない内容だが、紙にプリントアウトされたそれは妙な説得力を放っていた。


*  *  *


「ほらよ、専門家からの返事が来てたぞ」


「あ……ありがとうございます……って、これ、すごくないですか?こんなものをわざわざ俺達のために?」


翌日、充が岡部に渡したのはAIが提案した掃除手順書だ。

だが、印刷物でしかまともなフォントを見ることがない時代、充がプリントアウトしてみせたイラスト込みで半ペラ2枚の手順書は岡部の目には眩しすぎた。

民生品の日本語ワープロすらない時代なのだ。「大人の専門家が、自分たちのためにわざわざ日本語タイプライターと印刷機を回してくれた」と考えるしかないのである。

そこにイラストが華を添える。イラストもAIが描いたものだが、画像合成AIの存在さえ知らなければ、プロのイラストレーターが描いたものと見分けはつかないだろう。


総じて、岡部の目にはこの2枚の半ペラは、とんでもない手間と費用のかかった何かに映っているのである。


「じゃ、説明していくぞ」


充が差し出した手順書には、だいたい次のような手順が書かれていた。


1. 部室内の全ての物を一旦外に出し、徹底的に風通しを良くする。

2. 壁や床に一旦水を散布。こびりついた汚れを浮かせた後、物理的に除去できるものは除去。

3. 備品などを水拭きして埃や泥を丁寧に取り除く。

4. 中性洗剤を使い、汚れがひどい箇所はブラシ。

5. 窓枠のサッシやロッカーの中、細部は古い歯ブラシで念入りに洗浄する。

6. 部室内を完全に乾燥させるため、24時間以上換気を行う。

7. 乾燥後、再び全体を乾拭きし、清潔な状態を保つ。

8. 持ち主不明なもの、部の備品でないものは捨てる。

9. 最後に消臭剤を設置し、空気をリフレッシュする。



「やり過ぎじゃない?」


未来みくは言ったが、充は肩をすくめた。


「実行するかどうかはあいつら次第だ。でも、ここで中途半端なことをしたら、失敗したときに自分のせいじゃなかったって言い訳ができちまう」


「なるほど、厳しいわね」


「優しいんだよ。俺なりにな」


そしてさらに四日後、三たび店を訪れた岡部は新しい封筒を差し出した。

中には、ビフォーアフターが分かるように撮影された部室の写真。

床は綺麗に洗われ、ロッカーの扉も真っ直ぐに立ち、カビの痕跡はほとんど見当たらない。


「これは……やったな」


充が小さく呟き、未来みくが写真を受け取ってじっくりと眺めた。


「この調子で文化祭もやれたら、部員も戻ってきそうね」


岡部は不安と期待の入り混じった顔で、じっと充の手元を見つめていた。


「これ、ビーズタイプとスプレータイプ、両方あるから。ロッカー周りにはビーズを置いて、部屋の中全体にスプレーを軽く使ってみてくれ」


充は、箱からそれぞれの消臭剤を取り出し、手渡した。


「一応は化学薬品だから、うまそうな匂いがするからと口に入れたりするなよ」


「流石にそこまで子供じゃありませんよ。トイレの芳香剤を食べるようなものでしょう?」


「判ってるならいい。ただし、これで終わりじゃないぞ。まだ文化祭本番がある。掃除したからって油断するな。あと、敵は身内にいると思え。『あの部屋は居心地が良かった』って奴が必ず何かをしでかすから見張っておけよ」


「はい!」


「それから、こんなことはこれっきりだ。もう一度同じことをやれと言われてもできん。大赤字だしな。他人にも絶対に言わないでくれ」


「わかりました。絶対におかわりも他言もしません!ありがとうございました!」


岡部は力強く頭を下げ、店をあとにした。


後ろ姿が見えなくなった後、充はポケットにしまっていたデイリー杯の馬券に軽く触れながらほくそ笑む。


「この時代の9月にG1レースはないはずよね?」


目ざとくそれを見つけた未来みくが驚いたように言うと、充は穏やかに笑いながら馬券をポケットにしまった。


「まあ、若き高校生の悩みを聞いてやったんだ。少しは懐も潤しておかないとな。大してもうけちゃいないよ」


「今回は私の消臭剤がなかったらどうにもならなかったでしょう?7:3でいいわよ?」


「3割も取るのかよ」


「何言ってるの?7が私に決まってるでしょう?」


*  *  *


――2025年の秋葉原。


真田無線の店内にはいつも通りの日常が戻ってきていた。夜、二人が寝ているうちに戻ったらしい。

先に起きた充が店の奥でコーヒーをすすっていると、未来みくが階段を下りてきて、軽く伸びをしながら声をかけてきた。


「戻ってきたのね。やっぱり2025年こっちが一番落ち着くわ」


充は軽く笑いながらマグカップを置いた。


「そうだな。まあ、毎度のことだけど、いろいろと収穫もあったしな」


そう言って茶封筒から取り出したのは競馬で稼いだ札束158万円。そのうち95万円を裸で未来みくに渡す。


「6でいいだろ」


少し呆れ顔の未来みく


「朝っぱらから色気のないこと。サナッさんのあの、お客様に見せるデリカシーはどこに行ったのかしら」


「デリカシーは売り切れだよ。要らないなら俺がもらっとくぞ」


返せと言わんばかりに手を差し出す充に未来みくはあっかんべえと舌を出して応じた。


「ああ、そういえば、明日か明後日あたりは店に来ないでくれ」


「どうしてまた?」


「ちょっとな。2階を片付けるんだ。なんでも屋を呼んで掃除してもらう」


少し気恥ずかしそうな充を見て未来みくはニコリと微笑む。


「あの高校生たち、あれからどうなったかしらね?」


充は少し遠い目をして窓の外を眺め、すこし面倒くさそうに口を開いた。


「まあ、きっと上手くやってるさ。多分」


未来みくと違って、充は過去でのアレコレをあまり2025年で話したがらない。

お客のその後を知ったらだいたいそこまでで、あとを引かないのだ。

うっかり杉原に聞かれては困る、というのが本人の弁だがそれだけだろうか。

頭に浮かんだ疑問を未来みくはふるると振り払い、会話を元に戻す。


「そういえばあの岡部って子、律儀そうだから文化祭終わったらまた店に来たんでしょうね」


「あー……先々代には迷惑かけたかもしれんな」


店内にはふたりの微妙な笑い声が響き、秋葉原の日常は静かに、そしてゆったりと流れていった。


* 1975年のデイリー杯3歳ステークス枠連 15.8倍

* 綺麗な部屋を自分の手で、最初に汚すことが大好きな人はいるものです。高原や山頂で素晴らしい眺めを見ながら、タバコに火をつけて周りの人達の清々しい気分を全て台無しにする人たちがいるのと同様です。


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