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漂流ジャンクショップ  作者: にゃんきち


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20/52

昭和59年の駄菓子屋の危機(前編)

――2025年8月の終わりごろ


中高生が絶望的な顔を隠しもせずに足を引きずって歩き、夏の間に浮いた話の一つもなかった大学生が野良犬のようにキョロキョロと街をさまよう、そんな時期。


盆を越えた秋葉原は、熱気の質が違っていた。焼けたアスファルトの上を撫でる風も、どこか焦げくさい。盛夏がむりやり押し込んだ余熱のような日差しに、どこからか聞こえる風鈴が鳴りやまない。客寄せのために通りに向けて並べられた扇風機やクーラーの風が、休む暇を与えていないのだろう。


「で、サナっさん。この間から気になってたんだけど」


未来みくが店の片隅に置かれたサーバーラックを覗き込みながら、わざとらしく言葉を切った。


「この生成サーバーってすごい熱出すのね。近寄るだけで生暖かいわ」


「その分エアコンの設定温度は低くしてあるんだ。わざわざサーバーの近くに行かなければ大丈夫だよ」


充はスティックコーヒーをマグに落としながら、肩をすくめた。


「新しめのGPU……まあ、グラボみたいなもんだけど、それを2つも搭載しててな。マルチモーダルLLMって言って、画像も音声も全部自前で処理できるようにしてある」


「グラボってことは、ゲームもできるってこと?」


「できないな。普通のグラボならできるが、うちのは違う」


未来みくがきょとんと目を瞬く。


「なんで? いつもそこの角でグラボ祭りって言ってゲーム大会やってんじゃん。緑のロゴで、革ジャンのおじさんが演説してる動画流してる会社」


「ゲームとグラボの理解は正しい。うちのはAI向け行列演算用のやつ。計算能力に全振りで、グラフィック出力はほぼ捨ててある。画面にポリゴン描くには向いてないんだ」


「……そっか。暇つぶしになるかなと思ったんだけどなあ」


「けどその分、ほかでいろいろ便利なんだよ」


未来みくはラックの前でしゃがみ込み、配線の束をぼんやり眺めた。


「でも、ゲームはいいよね。私が小さい時も、近所の雑貨屋にくじ引きとかゲーム機とか置いてあって。男子がいつも群がってた」


充は少しだけ視線を落とし、記憶を引き寄せるように呟いた。


「オレンジ筐体か……俺もゲームは昔よくやったよ。地元がここだからさ。昔からゲーセンの密集地でな。Hell Yardとか ジーコとか、有名どころがゴロゴロあって、当然のようにハマってた」


「へえー。いつ頃?」


「10代はずっとゲーム漬け。まあ、勉強も頑張ったけど。クレーンゲームやシール撮影が主流になってからはあんまり……かな」


窓の外で風鈴がひとつ、かすれた音を鳴らした。


——その瞬間


空気がねじれたような感覚が走り、店の照明が一瞬だけ脈打った。

未来みくが何か言いかけたが、言葉の途中で店の奥が急に静寂に包まれる。


秋葉原の風景が、音もなく、別の時間へとすり替わっていた。


風が止んだ。


日陰のアスファルトに映る影が濃くなる。ほんの数秒前まで聞こえていた街頭スピーカーの音が、まるで水中に沈んだように遠のいていった。


見慣れた真田無線のガラス窓。だがそこから見える景色は2025年の秋葉原とはまるで違っていた。少しだけ雨が降ったらしい。道の端々のアスファルトがまだ乾ききらずに、焼けた匂いを漂わせている。




「……ほんっとに、何がきっかけでこれが起きるのかわかんないわねー」


「これ昭和だな。もう、なんかこう、見慣れた景色になってきた」


充も未来みくもこの状況には流石に慣れたということか。驚く素振りすらない。


「一度来たら二週間は居続けることになるものね。以前ICレコーダーを売った岡崎さんが来た時と似てるわ。あのへんの自販機とかが同じだもの」


「みっちゃん、テレビつけてみて」


「あいよ……って、誰がみっちゃんやねん」


手の甲を外側に押し出し、眼前の空間にツッコミを入れながら未来みくがテレビを点ける。


「はは……すまんすまん。お、スペースシャトル特集やってるぞ……ディスカバリーか。てことは昭和五十九年だな」


(……そろそろ『みっちゃん』呼び許されると思ったんだがなあ……)


充がそっと呟く。


未来みくはTVのリモコンを片手にレジ横に立ったまま、ゆっくりとあたりを見回していた。

そこに鳴り響く下駄を軽快に鳴らすような足音。そしていつもの――


♬ぴんぽんぴんぽーん


「やってるかい?」


声の主は小柄で日焼けした肌の初老の女性だった。短めの髪に深い茶色のサングラス。つばの広い帽子、少し派手だが涼しそうな水玉のワンピース。


片手に傘を持っているところを見ると、ここ数時間ほどこのあたりを歩いていたのだろうか。


「らっしゃい。何をお探しでしょう?」


「基板置いてるって聞いて来たんだ。あるかい?」


「基板……?」


「ゲームの基板だよ!」


充が声をかけると、女性は元気よく、まるで怒っているように答える。


(サナっさん、大丈夫この人?外国人観光客ってわけでもなさそうだけど……)


(ああ、未来みくは知らないか。江戸っ子の年配の女性ってのはこんなものなんだよ)


「はい。ゲーム基板いくつか置いてますよ。どんなのがいいですかね」


「そこの都立高の裏で、駄菓子屋やってんだけどね、ゲーム機も置いててさ。……オレンジ色のやつ」


「ああ、ありますね。10円設定とかで高回転すぎてボタン壊すタイプ」


「そう、それ。最近、近くにコンビニできちゃってさ。みんなほとんどそっちに行っちゃって。ジュースは冷えてるし、お菓子もいっぱいあるし、お陰でこっちはガラガラだよ」


未来みくがそっと視線を送る。


「でも、土曜の昼だけはまだうちのほうが強いんだよ?昼のカップラーメン、あっちはお湯がぬるいんだね。それに、いっぱい客が来るからすぐお湯がなくなっちまう。うちはお湯だけは頑張って用意してるからラーメンが熱いうちに食べられるんだよ。でもねえ……」


相当勝ち気な性格らしく、充に対しても「決して負けたわけじゃない」と虚勢を張っている。

未来みくはその意を汲んでか、充にしきりに頷いてみせた。


「そうですね。コンビニもそのうち対策してきますよね……なるほど。それでゲームでテコ入れを?」


「そう。せめて、ちょっとでもお客さん来るように新しいゲームでも……って思って。そろそろ2学期始まるだろ?その前にと思ったんだけど」


充は店の奥から段ボール箱を引っ張り出し、中を確認する。綺麗にエアキャップで包装されたアーケードゲームの基板に、無造作にタイトルと値段が書かれたラベルが貼り付けられていた。


「うちにあるのはこれくらいかな。何枚かは新しめだけど……」


女性は目を細めて基板をのぞきこんだ。だが、すぐに眉を寄せる。


「見たことないコネクタだね。うちの筐体でほんとに使えるかい?」


「あー……規格が違うのか」


「使えないんじゃ何枚あっても意味ないね」


言葉にがっかりした様子はなかったが、バッグを抱き直す手に、ほんのわずかな力が入るのが見えた。


「変換用のハーネスがあるんで、どのタイプのコネクタか分かれば……説明書でも持ってきてもらえたら良かったんですけどね」


「わかった。明日にでも持ってくるよ」


充がふと何かを思い出したように、手を止める。


「……じゃあ、それは明日にでも。で、ゲームじゃなくて、カップラーメンのほうでも何かテコ入れできたらいいと思いませんか?」


「え?」


「いや、ちょっと思いついたことがあるんで。もしよかったら、少し時間ください」


女性は首をかしげながらも、柔らかく笑った。


「なんだろうね。こっち年食ったババアだと思って変なもの売りつけるんじゃないだろうね?」



* 1992年、全国の国公立の学校(大学を除く)で9月より毎月第二土曜日が休みになり、1995年4月より月2回、2002年4月より土曜日が休みになりました。それまでは土曜日は昼まで授業があり、帰宅して昼食を取らない学生の中には学校付近のよろず屋で菓子パンやカップラーメンで腹を満たす人が多かったのです。

* グラボ……グラフィックボードのこと。これがあるとゲームがカクカクせずに動きます。

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― 新着の感想 ―
それなりに技術に詳しそうな駄菓子屋のおばあさまだ!
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