平成11年の懐メロ
やっぱり会話の前には改行ですかねえ……
あれからどういうわけか、真田充は元の2025年に戻っていた。
あの不思議な体験を夢だったのかと疑うほど平凡な日常が続いている。
その穏やかな午後はやかましい知り合いの来訪により遮られてしまった。
「おっす。いるかい?」
突然やって来たのは大学時代の友人、杉原だ。
「杉原か……久しぶりだな」
「おう、充、元気そうじゃないか」
杉原は昔からどこか憎めない調子のいい男で、大学院時代はよく充の部屋に入り浸っていた。
競馬にドハマりしてしまっていつもピーピー言っていたが、不思議と教授のウケはよく、今は学位を取って都内の大学の助手に収まっている。
「お前のNAS(*1)に 預けてある俺のデータさ、まだ置いておいてくれてる?」
充のNASは研究課題である生成AIのプリトレーニング素材を大量に溜め込む目的で、個人で所有するには馬鹿げているほどの大容量のものだ。管理画面やサムネイル機能が充実しているのを研究仲間に知られてしまったためか、NASは未だに彼らに良いように使われている。
インターネット経由で利用できるようにしてあるせいか、大手クラウドのストレージよりもこちら、ということらしい。
杉原が言う『データ』とは、研究用という名目で世界中から収集した大量の楽曲と歌詞のデータで、やはり充のNASに格納されているものだ。著作権法的にも怪しいものが多く、充も内心落ち着かないのだが杉原に懇願されてやむを得ず預かり続けている。
「まだ引き取るつもりないのか?いい加減ストレージを買えよ」
「うーん……預けてあるだけでもHDD何台いるのかって話だからな。ボチボチ引き上げたいとは思うんだけど、先立つものがさあ」
「先立つものがあっても全部競馬で使ってしまうからだろ」
充が呆れて言うと、杉原は苦笑いしながら頭を掻いた。
「いや、そんなわけだからさ。もうちょい頼むよ。まだ100テラバイト以上余ってんだろ?預かってもらってる分、いつでも聞いてもらって構わないからさ、俺のコレクション。あ、これ、追加で頼むわ」
杉原からUSBメモリを渡された充は、諦めたように肩をすくめて了承した。
* * *
杉原が去ったあと、充は少し杉原の「コレクション」が気になってしまった。
「いつでも聞いて良いのかよ……」
一応他人様のデータなので覗き込むのはどうかと思い、特に関心を寄せなかった杉原の音楽データだったが、そんなことを言われたら多少は気持ちもざわつくというものだ。
店の片隅に置かれた段ボールの中で『ヌシ』のようになっていた古いMP3プレイヤーを取り出し、埃を払ってPCに繋ぐ。NASから知らないアルバムをいくつか取り出してMP3プレイヤーに転送。
しばらくすると心地よい音楽が流れ、充は再び浅い眠りに落ちてしまった。
* * *
「またかよ……」
目が覚めると、そこは明らかに2025年ではなかった。
外を覗くと、街中の広告や店頭の商品はMDプレイヤーやiMacばかり。懐かしい空気が街を包んでいる。
無料配布している情報誌に2000年問題の対策特集記事があり、その雑誌の発行年月日から充は自分が今、西暦何年にいるのかが理解できた。
「今度は1999年の10月か。前よりは時代が近いな」
深い溜息が充の口から出る。前回は知らぬ間、というか眠っている間に帰ってこれたが今度もそうであるという保証はない。
「まいったな。今後はいろんな年代の通貨を集めておかないとダメか……」
外の光景は幼い頃の記憶に微かに残っているものに近い。音楽をそのまま流していると、店の前を歩いていた一組の親子がその曲に足を止めた。父親に手を引かれた幼い少女が、何か懐かしそうに店内を覗き込んでいる。
充が気になって声を掛けると、少女は少し戸惑ったように言った。
「あんな、この歌、ママが歌てたやつや」
父親が驚いたように口を開いた。
「なんやて未来……ほんまか?」
少女が頷く。父親が充に頭を下げ、事情を話し始めた。
「妻は先の神戸の震災で亡くなりまして。震災後に東京へ移りましたが、娘は母親との記憶をほとんど持っていないんです。歌だけが唯一の記憶で……」
震災と聞いて充も少し動揺した。
東日本大震災の時19歳だった彼は、まさにこの店の中で在庫のPCが左右の棚から降ってきて、怪我こそしなかったものの、死を覚悟するような目にはあっていたのだ。
充は胸を突かれる思いで少女に尋ねた。
「未来ちゃん……だっけ。お母さんの歌、覚えてるの?」
「ママ、いっぱい歌、歌てたよ。さっきのだけちゃうで」
「聞かせてくれる?」
「ええよ!」
少女が頷き、小さな声で途切れ途切れにその歌を口ずさんだ。
いくつか特徴的な単語が出てきたので、歌詞の検索機能を使えばその曲を見つけ出すのは容易い。
「これかな?」
PCの音楽プレイヤーから曲が再生されると少女の顔が明るくなった。
「それや!それママの歌やわ!」
充は先程のMP3プレイヤーを取り出し、母の想い出の曲でありそうなものをいくつかコピーして少女に手渡した(*2)。
「お代はそうだな……3000円でいいよ」
「あの、いいんです?こんな最新式のものを……」
「いやあ、大丈夫ですよ。これは箱をあけちまったやつなんで」
実際、この手のプレイヤーは2000年代半ばに粗製乱造が進み、イヤフォンと合わせても仕入れは1000円しないものさえあった。
つまりしっかり利益は出ている。ついでに充の当面の生活費も。
少女はプレイヤーを抱きしめ、父親は涙ぐみながら深く頭を下げ、二人は店を後にした。
「そういえば、NASにWikipediaのデータを全部突っ込んでたな……1999年10月か……」
充はひとしきりNASのデータを漁ったあと、先程の親娘から受け取った金を持って場外馬券売り場へと消えていった。
* * *
充が再び元の時代に戻った数日後、店に一人の女性が訪れた。
「あの、こちら真田無線ですよね?」
「はい、そうですが……?」
店にやって来たのは30歳かそこらの、ちょっと元気でまだまだ20代で通用しそうな感じの知的美人といったところか。すこし関西訛りがある。
充は驚いた。そもそもこんな街はずれのジャンク屋に女性が一人で来ることは滅多にない。
通りすがりに興味本位で商品棚を覗いていくのは男ばかり。常連客は頼みもしないのに懐かしのPCやワークステーションの想い出を延々と語る連中ばかり。ここはそういう店なのだ。
「あの……?」
困惑している様子の充に、女性はいたずらっぽい表情を浮かべた。
「私のこと、覚えてませんか?」
「ええと?ヒントを下さい。銀行からの借り入れはもう無いはずですよね……」
「私、銀行員に見えます?」
「いえ、最近はうちは信金としか付き合ってませんし」
「まあ、20年以上前の飛び込みの一見さんを覚えてろって方が無理ですよねえ……私、こちらのお店で以前、MP3プレイヤーを買った沢村未来と申します」
「ええ?あんときの!覚えてるよ!いやあ立派になっちゃって!おじさんびっくりしちゃったよ」
「私こそびっくりですよ。お兄さんまるで歳を取ってないじゃないですか!?」
二人は再会を喜び合った。沢村嬢は震災後しばらく東京で暮らしたあと神戸に戻り、大阪で就職したが、最近東京本社勤務となって再び上京したという。
「ずっとお礼が言いたかったんです。あの歌があったおかげで、母との思い出を失わずに済みました」
充は優しく微笑んだ。
「いやいや、足を運んでもらってありがとう。あの経験(といただいたお金)が僕にとっても大切なものになりました(*3)」
再会した二人の間には、自然と穏やかで温かな空気が流れていた。
(*1) NAS: Network Attached Strorage(ネットワーク接続型ストレージ)。ネットワークに接続できるHDDやSSDなどのストレージのこと
(*2) 違法行為です。当時のデジタル著作権に関する意識の低さを物語るフィクションとお考えください。違法行為を助長する意図は作者にはありません。
ちなみに……当時は著作権者側もMP3プレイヤーの存在をどうしようか揉めており、SDMIなんて団体を立ち上げ対抗しようとして結局失敗していました。
(*3) 暇な人は1999年10月24日に開催された中央競馬「秋華賞」の馬連の配当を調べ、その日充が持っていたであろう3000円で何があったかを想像してください