昭和52年の移動販売(前編)
サブタイトルでのネタバレが過ぎると思ったので少しだけ工夫しました。少しだけ。
――2025年8月。
充は店の横に乗りつけたバンから、買い取ってきた機材を下ろしては店の中に運び込んでいた。
「暑すぎて、セミも泣かない 秋葉原……お、俺って才能あるんじゃないか?」
ぴぽぴぽぴんぽーん♬
「らっしゃい……って、お前さんか。ちょっと待っててくれ」
バンを車庫に入れ、汗を拭いながら店で未来を迎える。
未来は充が出てくるまで入り口で立ち止まり、軽く眉をひそめたまま店内を見渡した。
「サナっさん、紗季ちゃんに感化されて文学青年にでもなったのかしら?」
「あ、いや、アキバのクソ暑い風景を見事に切り取った良い句じゃないか。ハハハ」
「紗季ちゃんといえばこの間は黙ってたけど、あの奥のサーバー、どうしてあんなのがここにあるの?」
視線の先には、棚の奥に鎮座する漆黒の1Uサーバー。細いパイプが謎の冷却ユニットへと伸びており、天板には手書きの注意書きが貼られている。
「あれか。生成AI用の推論サーバーだよ。最先端のGPUを2基と、メモリがぎっちり載せてある。1Uで水冷にしてあるからうるさくはないし……電力もまあ、ハイエンドゲームPCくらい? 全力出したらもうちょっと行くけど」
「そういうのを普通に置いてるこの店が、やっぱりどう考えてもおかしいって話なんだけど」
未来はため息をつきつつ、サーバーの方へと歩み寄った。
「サナっさんはアキバのジャンク屋じゃないの?」
「ジャンク屋だけど、エンジニアでもあり研究者でもある。どれも似たようなスキルを使うけど、アウトプットの形態が全く違う」
「そういえば博士課程中退したって言ってたよね」
「そう。途中でね。中退というよりドロップかな。親父が倒れて、この店を継ぐ方を選んだんだ。葬式から帰ったその足で教授に挨拶、教務課に退学願い出して、そのままこの店だよ」
未来の足が止まった。あっけらかんとした充の物言いに少し気圧された感じだ。
「……え、そんな急に……」
「もともとそうなる気はしてた。親父も長い間腎臓患っててさ、店やりながらの治療は結構見ていても辛いものがあったんだ」
「そうなの……」
「そんな親父を横目に俺は学部のときからずっと自然言語処理。生成AIの基礎研究。Transformerが出てからは毎日が戦場だった。朝も昼も夜もなく、インターン先でさえモデル回して、ログ見て、また改良して……。論文出しても、海外の巨大企業のやつらには敵わない。そんななかで日本の研究費は減る一方でさ。あの頃から、正直、限界を感じてた」
「……でも、辞めなかったんでしょう?」
「うん。俺がやらなきゃ誰がやる、って意地だったな。モデルの構造もデータの整備もすごく面白かった。AIが人間の書いたものを超える日が来るって本気で思えてた。怖さもあったけど、それ以上にあの最前線に立ってる実感が好きだったんだ」
未来は黙ってサーバーを見つめた。
「でも、店を継いだんだね」
「親父の店は俺の帰る場所だったし、愛着もあるしさ。どうせ誰も継がないなら俺がやるしかないと思って。で、まあ……時間もあったしな。過去でちょっと稼いできた金で、好きな機材を買っただけだよ」
気にするな、と言わんばかりの充のむやみに明るい振る舞いに、未来も乗らないわけにはいかない。
「なるほど、納得したわ。あれだけお金稼いでたらサーバーの1台や2台はすぐ買えるでしょうしね」
「いやー、これがなかなか……金はあってもGPUサーバーは代理店が回してくれなくて……」
「そこを何とかしたんでしょう?アキバのアレやコレやで」
「まあな……だからなんというか結局、ここは俺の未練が詰まった墓場みたいなもんなんだよ」
充はそう言って、店の奥にある事務用PCの電源を入れる。モニターに立ち上がるのは、カスタムしたLLMのシェル画面。
「生成AIのアカデミックな話ならまだ現役だぞ。もう論文は出さないけどシステム組むくらいは楽勝だ。もっとも、これを過去で全力運転すると世の中変わってしまうだろうから、そこは慎重にしないとだが」
その瞬間、店内の空気がふわりと揺れた。毎度のごとく、店内の照明が揺らぐ。
「……あ」
未来が気配に気づいて、カウンターの横に立った。
「これ、来るね」
「ああ。たぶん」
ガタリ、と棚のネジが鳴った。
「また、過去か……。次は、どんな客が来るんだろうな」
店がわずかに震え、光が、ゆっくりと滲んでいく。
風が止み、空気が変わった。
ぐわらわらららら……
外から聴こえるディーゼル車のエンジン音が、どこか非力で安っぽく聞こえる。
看板の色が少しくすんで見えるし、通りを行き交う人々の装いがやけにトンチキだ。
未来が顔をしかめて振り返る。
「この街並みは昭和よねえ。ちょっと残念かも」
「競馬の儲けが少ないからか?令和と違って過ごしやすいぞ。昭和は」
充が、店の商品のうち明らかにこの時代にそぐわないものを急いでバックヤードに運び始める。液晶モニタやPCなどだ。
「光化学スモッグがどうこうって時代だからね……過ごしやすさって、気温だけの問題じゃないんじゃない?」
「確かにな。まだこっちにきて数分なのに、もう喉が痛い」
ピークを過ぎたとは言え光化学スモッグの発生日数はまだ年間200日を越えようかという時代。平成生まれにはきつい時代でもある。
「昭和五十二年だな。タータンチェックにパンクファッションか」
「それだけで判断するの?」
「他の時代だとなかなか見られない特徴があるよ。ベルボトムのジーンズとか。テレビつけて確認してみな」
充が店の入り口を開けると、風に混じって線香の匂いが漂って来る。
未来がレジ横の棚からリモコンを取り出し、アナログテレビに向けて押したその時、店の前でふと足を止める影があった。
「あの……すみません。ここ、電器屋さん?」
声をかけてきたのは、五十代半ばほどの女性。手には紙包みを抱えており、首元には白い手拭い。日傘を閉じながら、こちらを見ていた。
「ええ、まあ電器屋と言えばそう言えなくもないですね。どうぞ」
充が応じると、女性は少し首を傾げて笑った。テレビでは高校野球の応援団の大合唱が中継されている。
「なんだか懐かしくて……昔はこのあたり、もっと雑多でしたよね」
「まあ、確かにご近所さんは目まぐるしく変わってますね。今日はお買い物ですか?」
「夫の新盆なので、お盆飾りを買いに来たんです」
言葉を濁したまま、視線を落とす。
「それは……大変でしたでしょう。心静かにお過ごしください」
未来がそっと声を添えると、女性はうなずいた。
「お気遣いなく。でもお盆って大変で……。あ、ここ、クーラー気持ちいいわね。ちょっとだけ、休ませてもらっても?」
「どうぞごゆっくり。でもどうしてまたこんな小路に?お盆飾りなら駅前の大きなお店のほうがいろいろ揃ってますよ」
「それはもう買っちゃったの。私、若い頃は神田、御茶ノ水あたりで働いてたもんだからこの辺がつい懐かしくてね。それで歩いてたら、テレビが勝手に点いてるのが見えてびっくりしちゃったのよ」
彼女の驚きも無理はない。この時代のテレビに赤外線リモコンで操作できる機種などまず存在しないのだ。
充が微妙に「しまった」という顔をしながら折りたたみ椅子を差し出すと、女性は静かに腰を下ろした。
未来はそんな充を見ながらそっと佇む。
「前は、夫とふたりで野菜の移動販売をしてたのよ。軽トラックで、坂道の多いニュータウンをぐるぐる回ってね。顔なじみも多くて、いいお客さんばかりだったわ」
女性の目が細くなり、心ここにあらずといった表情を見せた。
「でも去年、その夫が急に亡くなって。免許は夫だけが持っていたから車は動かせなくなっちゃってね。私はどんくさくて、エンジン付きなんて原付きすら怖くて乗れないのよ。試しに自転車でリヤカーを引いて見たけど、とてもじゃないけど無理だったわ」
「それで、移動販売をやめたんですか?」
充の問いに、女性は静かにうなずく。
「ええ。でも……やっぱり悔しくて。団地の人たちが、まだ待ってるかもしれないと思うと、余計に……」
「勿体ないなあ。移動販売の野菜はちゃんと熟したものを売るから美味いって聞きますよ」
「そうね。そこの青果市場で売ってるものより形は悪いけど、味は負けてなかったと思うわ」
2025年に大きなビルがいくつも立っている駅前近くのエリアには、昔は大きな青果市場があった。
充も未来も、何度となくそこには足を運んでいる。
「ご主人の供養のためにも、せっかく育てた野菜のためにも、移動販売復活させたいですね」
「なんとかならないかしらねえ。あの坂道さえなんとかなればいいんだけれど」
未来がそう言うと、女性は小さく微笑んだ。
「……うちはこの手のご相談よく頂くんで、何か出来ないかちょっと考えさせてください」
そういうと、充は少しだけ間を置いてから、無言で店の裏手へと向かった。
* 東京のお盆は7月半ばですが、地方出身者が家で祖先を祀る時はその限りではありません。
* GPT-3.5の登場以来、GPUサーバーは本当に取り合いになっています。
* 真田無線ビルにはそれなりの大きさの車庫があり、自家用車と業務用車が置いてあります。
* ズバコンの動作しているのを見たらあれはあれで迫力があります。
* ニュータウンはだいたい、発売直後はスーパーが近くになかったりしますからねえ……魚や青果の移動販売車はありがたいんですよ。
* 流通過程で追熟した野菜と、その日の朝まで実っていた野菜では私は後者のほうが好きです。(筍を除く)




