平成7年の家庭教師(前編)
2025年7月のある日、未来は充のPCを触っていて、ブラウザに思わぬタブが開かれているのを発見してしまった。
「サナっさん、これ……」
「なんだ」
「なんか、umma4?ってウインドウ見ると、サナっさんと誰かが競馬関係チャットしてるみたいに見えるんだけど、これ誰?」
「げ……!」
未来が画面をのぞき込んだまま、眉をひそめる。
「これ、AI……だよね? っていうか、umma4って初めて聞いたんだけど、どこのサービス?」
「どっかの会社のWebサービスじゃない。自前。うちのサーバーで動いてる。umma4は俺がつけたモデルの重みの名前」
「……え、自宅でAI動かしてるってこと? それって、あの唸ってるやかましいやつ?」
「そうそう。店の裏でシュィィィンって言ってるサーバー。あれの中身がこいつ」
「なにそれ、聞いてないんだけど」
「いや、話すタイミングがなかっただけで……。190Bベースの汎用モデルにRAGで死ぬほど日本語コーパス突っ込んでる。Wikiも競馬の情報もニュースも法律も官報も小説も全部」
「……てことは、サナっさんが競馬に勝ちまくる理由ってこれがあったからなんだ。杉原さんから教え込まれたっていうの、あれ、嘘よね?」
「ああ。1987年の有馬記念の勝ち馬とオッズ教えて、って打てば一発。何でも出てくるよ。チート以外の何物でもないな」
未来は呆れ顔でため息をついた。
「それ、最初に言ってくれたら変な妄想せずに済んだのに。どんな天才かと思ったわよ」
「どんな妄想してたんだよ……ってか言えるかよ。AIで馬券当ててるとか、ただでさえ後ろめたいのに」
充は、いたずらがバレて開き直ったような顔をしている。
「まあ、正直すぎるのも問題だけど……でも、LLMってやっぱり便利なんだね」
「便利っていうか、もはや相棒みたいなもんだな。今じゃ店の在庫管理から売れ筋分析までこいつが見てる」
「このAIがあれば特許だろうがノーベル賞だろうが何でも取れるってことでしょ?発明や論文をパクって提出すればいいんだもの」
充は鼻で笑って首を振る。
「そこまで卑劣なことをするほど人間落ちぶれちゃいないよ。それに、論文を出しても俺、真田充本人が2,3歳の赤ん坊だったり、下手したら生まれてなかったりしたらどうすんだよ。ちょっとしたホラーじゃないか」
「はは……一応考えはしたのね」
未来が感心したように苦笑いをしたその時、足元で店の床がどん!と鳴った。棚がわずかに軋み、店内の照明が一瞬だけ明滅する。
「……え? 今のって」
「来たな」
充がゆっくりと椅子から立ち上がり、カーテンをめくって店のシャッターの隙間から外をのぞく。
通りには古い型の車が並ぶが、街頭のデザインはもう2025年とそこまで変わりはない。
街の通りからはゴミ箱が消えており、新型家庭用ゲーム機の宣伝ポスターが所狭しと貼られている。
「ちょっと見覚えのある景色だ。細かいことは分からんが……平成前期ってとこだな」
「ふーん?今度はいくら稼げるのかしらね……」
未来も苦笑しながら隣に立ち、ぼそっと呟いた。
♬ぴんぽんぴんぽーん
いつものチャイムで、自動ドアが静かに開く。
入ってきたのは、制服姿の少女だった。半袖の夏服に肩までの髪。まだ幼さを残す顔立ちに、不釣り合いなほど硬い表情が浮かんでいる。
「らっしゃい」
「……あの、ここって真田無線さん、ですよね?電器屋の……」
店内にいた二人は思わず顔を見合わせる。
「らっしゃい。まあ、電器屋ってよりはジャンク屋だけどね。どうかした?」
充がいつもの調子で声をかけると、少女は深々と頭を下げた。
「私、相田っていいます。困ってることがあって……誰にも相談できなくて……。でも、ここなら、なんとかしてくれるって、聞いて」
「誰に?」
「神田明神の近くの……優しそうな花屋のおばさんです」
「花屋……ねえ?」
充は未来に目をやると、彼女もまたわずかに眉をひそめていた。。
考えられるとすれば、今後何度目かのタイムスリップで、充と未来が神田明神近くの花屋を助けるかもしれないということだけだ。
「で、困りごとって?」
少女は鞄から紙束を取り出した。800字詰め原稿用紙。何度も書いては消した鉛筆の跡が痛々しい。
「これ、作文なんです。新聞社がやってる中学生向けのコンクールに出すつもりで書いてます。学校でも先生に相談して……でも、何度書き直しても、これじゃダメだって言われて」
「ふむ……」
「私、成績も運動もそこそこで、志望校への推薦入学の話があるんです。だけど部活は大会があるような派手な部活じゃなくて、ボランティアとかもやってなくて……それで……成績以外の推薦事由がないって言われてしまって……」
「だから、学外活動で賞でも取れれば、ってところか……」
「おっしゃるとおりです。私も、付け焼き刃の作文で賞を取って推薦を決めるなんて虫のいい話だとは思ってるんですけど……それでも……」
「一般入試じゃダメなのかい?」
「もちろん推薦に落ちたら一般入試を受けるつもりです。でも、私の志望校って私立中学の受験失敗組がリベンジ狙って狂ったように勉強して受験するようなところで、合格点も試験の難易度もガンガン上がりっぱなしで、まだ推薦で足掻くほうがマシかなって……」
「なるほどねえ……俺ならそんなところはゴメンだけどね……」
「何か、特別な理由でもあるの?」
「父がその高校、大学の出身なんです。絶対その高校じゃないと許さないって。私、中学も失敗して、この推薦話が流れたらもう本当に家に身の置きどころがなくなってしまうんです」
声を震わせながら言葉をつないだ少女は、堪えきれず――わっと泣き出した。
聞けば、弟は中学入試に成功し、父の望む人生を順調に歩んでいるのだという。
父は弟を溺愛していて、母は父に逆らえない。今現在でも少女は家の隅で肩身の狭い思いをしているのだそうだ。
「あの……真田さんは東大出てるって聞きました。若い頃は近所の中学生や高校生の面倒見てやって、その人達もみんな良い高校大学に受かったって、花屋のおばさんにそう聞いて……」
(誰の話よ?あんた東大出てんの?)
未来が肘で充の脇腹をつつきながら声をひそめて話しかける。
(オヤジのことだよ!若い頃にモテたくていろんな女の子に教えてたことがあるって聞いたことある!この娘、俺とオヤジを間違えてるんだよ!)
「んん……とりあえず事情は判った。その紙、見せてみな」
「先生には全然ダメって言われました。でも、どこがダメなのか自分じゃわからなくて……」
充は無言で紙を受け取り、数行を目で追う。
文章は、率直で素直。しかし、構成にばらつきがあり、山場もない。スポーツ推薦のおまけの作文なら上々の出来だが、親が執着するほどのブランド進学校の入試では確かに通用しそうにない。
「提出締切は?」
「来週の水曜日……あと六日です」
「なるほど、六日か……」
充にとって六日は微妙な線だ。
これまでのタイムスリップでは、発生から帰還までにだいたい10日ほどかかっている、
最短は5日ほど。今回がその最短でないという保証はない。
しかし、ここまで頼りにされている以上無碍には出来ない。
断る理由がない上に、自分の親の評判までかかっているのだ。
「ちょっと試してみよう。ただし、やり方に納得してもらえたらだけど。夏休みの作文コンテストなら、複数受賞も狙える」
「どうやって?」
「電神様にお願いするのさ」
未来はにっこり笑って少女の背中に手をあてた。
「安心して。サナっさんは、人助けをこっそりやるプロだから。電神様ってのもあながち嘘じゃないかもよ?」
「プロって……?」
少女は笑うでもなく、うっすらと目を潤ませながら、重い頭を上げる。
「準備があるんで今日はもう帰っていいよ。明日またここに来てくれ」
充の口角が自信ありげに上がっている。
少女はそれをどう取れば良いのか分からず、困惑しながら帰途についた。
「募集要項見たか? 1995年だってさ」
それを聞いた未来の眼が大きく見開かれた。自身の記憶はないに等しいが、未来の一家を襲った大災害のあった年だ。
充は心配そうに未来の顔を覗き込む。
「気なんか使わなくていいわよ。で、どのレースを買うの?」
「おいおい……一応心配してるんだぞこっちは」
「私に出来ることはないしね。それより、準備とか言っちゃって、ホントは馬券買いに行くんでしょ?私も行くから、何買えばいいのか教えてね」
「おう……今から調べるよ」
* umma4... Meta社の llama4みたいなもんだとお考えください。GPT-3.5が135Bなので、それよりちょっと詰め込んだ感じ。賢いかどうかは謎。
* 電人ザボーガー劇場版のキャッチコピーは「あきらめるな!立ち上がれ!」。
* グラボに搭載しているメモリより、最近は Unified memory ですよね。DGX Spark や Strix Halo, M3 Ultra など、最近はちょっとパラメータ数多めの重みファイル使える環境が……でも高い。
* この年の高松宮杯はまだGIIなんですが、えい!えい!むん!です。
* LLM: 大規模言語モデルのこと。ChatGPTやGemini, Anthropic Claude, DeepSeek、Grok3などなど業界でしのぎを削っています。
* umma4サーバーはこんな感じです




