昭和47年の温泉旅館(前編)
2025年7月、夏のボーナス商戦に沸く秋葉原。
真田無線の店先には「買取強化中!」の黄色い旗がはためいている。
その店内――充は、眼の前に置かれた水冷ミドルタワーのPCと、その隣に置かれた巨大な段ボールを睨んでいた。
「……これを、うちに引き取れって?」
段ボールには派手なロゴが躍っている。
業務用高機能炊飯器。
持ち込んだのは初老の男性、真田無線の常連の一人だ。
「おやじさん、いくらなんでもその……炊飯器ってのは……」
「これはこっちのPCのおまけさ。いいPCだよ?グラボだってそこそこのが載ってるし」
男性の持ち込んだPCは確かにジャンク品としては綺麗だし、パーツだけ取って売っても元は取れそうだ。
問題はそのおまけを置くのに必要な場所と、多分売りに出しても買い手がいないという事実。
店先になんて置こうもんならSNSで写真が拡散されて謎扱いされるのがオチだ。
「うちは一応無線機や情報機器を専門に扱ってるんですよ?合羽橋に行ってくださいよ」
「長年の常連なんだし、たまにはうちの片付けに協力してくれよ。なに、子どもたちの部活動も終わってね。うちではこんな飯炊き機はもういらんのだ。充君、よかったら使ってくれ」
提示された価格はタダ同然だが、単身者の充にとっては完全にオーバースペックだ。
「結婚して家族をつくりなよ。そしたらこいつの便利さが解るからさ」
「20合炊きが必要になるほど家族を作るアテなんてありませんよ。てか、俺が女だったらセクハラですぜ」
家族という言葉を聞いて、なぜかふと未来の顔を思い出し、ちょっとだけ目をそらす。
「まあまあ、いいじゃないか、たまには助けてくれよ。な?な?」
「ちょ……!」
結局、迫り来る昭和生まれのオヤジの押しに負けた形で充はPCと炊飯器を引き取ることになった。
中身を開けてみると、ずっしりとした金属筐体、フッ素加工の内釜、そして取説には目が滑るほどの機能一覧。
「銘柄炊き分け、食感炊き分け、高火力、圧力、AI制御、真空保温……戦艦かな?」
口では茶化しつつも、目は真剣。その時、スライド式のドアが音を立てて開いた。
ぴぽぴんぽーん♪
「らっしゃい……って、未来か」
やって来たのは小さな紙袋を提げた未来だ。
「浄水器買ってきた。最近うちのマンションの水がまずくてさ。蛇口に取り付けるだけの簡易なやつだけど」
「オーナー変わったりすると、そういうとこ雑になるよな」
「ねー。でも浄水器ってさ、あるだけでちょっと安心する。炊飯も水が命だし」
「こっちも今、業務用炊飯器に命を吹き込まれたとこだ」
未来が興味津々で段ボールの中を覗き込む。
「業務用ってさ、家庭用より安いのが多いのよね。機能がシンプルで大量生産だからかも」
「そうなのか?家庭用は平気で10万とかするよな。てことはこれも、そんないい値段では売れそうにないな」
充は肩を落とし、宵の空を見上げた。
「あ、そういえば七夕が近いんだよな」
「なに?ロマンチックな流れくる?」
「年に一度どころか、週に二回は来てるだろ。織姫さん」
「……言い方ァ!」
そんな他愛のないやり取りの最中、ふと視界が揺らいだ。
空気がざわりと軋み、店内の光が滲んだかと思うと──次の瞬間、蝉時雨と昭和の町並みが二人を包み込む。
「……いつものやつ、だな」
「今度は、いつの時代だろう」
店内に、七月の割に少し涼しい空気が流れている。
いつものように窓際の椅子に腰を下ろしていた充は、何気なく店先に目をやった。
通りの様子が一変している。行き交う人々の服装はどこか古風で、看板の字体も妙に懐かしい筆文字ばかり。
以前、三上にPCを売った時と似たような景色だ。
未来も気づいたようで、レジ台の横から顔を出した。
「……テレビでも点けようか」
「頼む」
未来がリモコンのスイッチをポンと押す。
バックヤードに置いてあるアナログテレビからキィンという音がし、10秒ほどするとニュース番組に切り替わった。
「テレビからなにかキーンって音がするね」
「15kHzの音が聞こえるのか。まだ耳が老化してないんだな。偉いぞ」
「地上波デジタルの前はみんなこんな音に耐えながらテレビ見てたの?コンビニ前のモスキート音みたいじゃないこれ」
未来がたまらず両手で耳を塞ぐ。
「お前だって子供の頃はアナログ放送のテレビ見てたろ。馴れるんだよ。人は」
「信じらんない!」
テレビが海外ニュースを報じ始める。難局化するベトナム戦争のニュース、そして……
「ウォーターゲート事件か……昭和四十七年だな。たぶん」
「どうして現代史にそんなに詳しいのかしら。毎回感心するわ」
「まあ、昭和四十七年は特別な年だからな。いろいろと」
充が伸びをする。いつもより少し長く、深く。
その時、会話の余韻を断ち切るようにチャイムが鳴った。
♬ぴんぽんぴんぽーん
ドアが開き、柔らかな声が響く。
「すみません、こちら真田無線さんですよね。真田充さん……とおっしゃる方はいらっしゃいますか?」
声の主は和服姿の女性。年の頃は四十前後だろうか。どこかの女将という雰囲気をまとっている。
「充は俺ですが……どうして俺の名前をご存知なんで?」
「三上様からお聞きしました。困ったことがあったら、秋葉原の『真田無線』を探せと。真田充という方が番をしているときだけ、話が通じるって……」
「三上さんか、黙っとくって言ってくれてたのにな……まあ、来てしまったものはしょうがないか」
三上は充が初めてタイムスリップした時に、2015年製あたりのノートPCを売った相手だ。
充は苦笑し、未来が興味深そうに一歩前へ出る。
「それで、どんなご用件で?」
「実は……うちの旅館、伊豆でもそこそこの老舗なんですが、ここ最近、評判を落としておりまして……特に、ご飯がひどいと……」
女将は恥ずかしそうに言葉を濁した。
「お酒もお魚も新鮮で、そこはお客様どなたからもお褒めいただいているんです。でも、飯がまずいとどうにもならない。そう何組ものお客様から苦言がありまして……」
「ははあ、それはまた大変な状況とお見受けします。料理は旅の最大の楽しみの一つですからね。その料理の出来にお客様から苦情が来るとはさぞかしお困りでしょう。ですがうちは電気屋でして……料理は専門外なんですが」
「困り果てていたところ、馴染のお客様である三上様がお話を聞いてくださって、一か八かだけれど、とこちらをご紹介いただいたんです」
「ああ……そりゃまた……今日は本当にたまたま店番やってました。お客さん運が良かったですね」
充は納得するようにうなずいた。断ることも、逃げることも出来そうにないと悟りでもしたかのようだ。
「で、具体的には? 飯がまずいって、炊き方の加減か、あるいは米そのものに問題があるのか、そういうことですか?」
「銘柄も米びつの管理も間違っていません。使っているのは昔ながらの飯炊釜なのですが、現場を任されているのは、まだ経験の浅い若者で……難しさがあるように思います。厨房の中でも、風当たりが強くなっていて」
「若い飯炊き当番がイビリ倒されて出ていってしまうのも時間の問題、ってわけですか」
「ええ、このままだと経営も悪化しかねません……」
「先輩たちも、職場が潰れそうな状況でも、誰も飯を炊きたがらないんですね。そこまで嫌がられるには他に何か原因があるかもしれませんが……心当たりは?」
「いえ、先代女将からも何も聞いてはいませんし、今の担当になるまではこんな問題はありませんでした」
女将はがっくりと肩を落とした。
「もう……本当にどうしたらいいのか……」
「まあ、ものの本によるとですが、釜で飯を炊く場合は下の方にお焦げをわざと作って、その香ばしい匂いを『蒸らし』の段階で他の米にまとわせる、そのためにはやはり蟹穴を開かせるような火加減が必要だそうですよ」
充の脳裏では有名なグルメ漫画が再生されていた。
「そうなんですか……ですが、そんな技術があの子に一朝一夕でモノに出来るとも思えません」
「そうですか。では、協会に助を頼めないんですか?」
「そんな都合よく飯炊きを任せられる流れ板はおりませんよ」
「弱ったな。俺の知るところじゃこんなところなんだが……八方塞がりだ」
充が頭を掻く。その様子に、未来がそっと息を吸った。
「いつものパターンね。そうでしょ?」
声の調子は軽く、しかしどこか温かみを帯びている。
「?」
女将が未来の顔を不思議そうに見上げる。
「……さて、どう料理したもんかな」
充は咳払いを一つして、作業台に向かった。
* 一昨年、某高校のラグビー部の夏合宿に仕事で同行したのですが、「補食」といって、とにかく練習の合間や試合終了後などに食べることを推奨されているのを見てびっくりしました。
* 昭和の夏は実は朝や夜は涼しかったんですよ。夏休みの宿題も「朝の涼しい時間にやりましょう」なんてプリントに書かれていました。今は早朝から全力で熱いですね。
* グルメ漫画(?) のタイトルが解る方が居たら(居るでしょうね)心にそっとそのタイトル名をしまい込んでください。お祈り握りとか食べながら。




