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漂流ジャンクショップ  作者: にゃんきち


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12/52

昭和57年の口述筆記(前編)

ぴぽぴんぽーん♬


作業台の脇に置いた段ボールの山を前に、充は工具を置いて顔を上げた。


「らっしゃい」


昼下がりの真田無線。外では梅雨の合間の晴れ間に、軒並みの雑貨屋が段ボールを日干ししていた。

入ってきたのは未来みくだ。オフィスカジュアルな装いのまま、片手にアイスコーヒーのカップをぶら下げている。


「どうも、お疲れ様でーす。……おっ何だ何だ?」


彼女の目が止まったのは、レジ横に積まれた箱。中には、細長いリモコンのような形をした機械がぎっしりと詰まっている。


「ICレコーダーだ。会議や取材でよく使われてたな」


「へー、なつかし。新人の頃、議事録取るのに使ったことあるわ」


未来みくはひとつ手に取り、液晶画面や十字キーをしげしげと眺めた。


「最近うちの会社では、リモート会議ソフトが音声認識で自動的に議事録を生成して、出席者全員に要約送ってくれるのよ。だからもう、新人が議事録取ったりしないの」


「まあ、当時としては結構便利なもんだったんだよ」


充は笑いながら、ラベラーで「処分品 2000円」と値段をつける。


「こいつはこいつで悪くない。再生速度が0.5倍から2倍まで自由に変えられるんだ。音程はそのままってのがミソでな」


「ふーん?」


「ピッチコントローラは高機能モデルから下りてきたんだな。実は最近の録音アプリでも、この機能入ってないやつ多いんだぞ」


興味を引かれた未来みくは、ICレコーダーを手に取り、スイッチをいれた。


「さなっさん、さなっさん、私未来、しゃべってるよー」


ひとしきり録音した後、再生ボタンを押す。速度を0.8倍に落とすと、のっそりとした間延びした声が聞こえるかと思いきや、意外にクリアな音声が機械から流れた。


「……でも、やっぱり変な感じね」


「自分の声ってそう聞こえるもんさ。ちょっと貸せ」


充が速度2倍で再生すると、未来みくの声が


「シャ・シャ・シャ・シャ・しゃべってるよーぉぉぉ?」


と早口で怒涛のように流れ出す。それを何度も早戻ししては再生し、二人は笑った。


「まあ、特に使い道があるわけじゃないけどさ、いいだろこういうのも」


「そうね。今はスマホがあるから出番は少ないと思うけど」


未来みくが何かを言いかけた、そのとき。

ぐらり。

視界が波打った。店内の光景が滲み、音が遠のく。


「……っく」


「サナっさん?」


反射的に作業台に手をつく充。 天井の電球が歪み、店内の奥が一瞬だけ暗くなったかと思えば──

次の瞬間、昭和の街特有の煙と湿気の混ざった冷たい空気が、充の頬をなでた。


「……秋、だな」


「うそ、また……」


店の外を覗くと、焼き栗の屋台の匂い。コートを着た中年のサラリーマンが通り過ぎ、街角には冬のボーナス商戦に向けた新発売のCDプレーヤーの宣伝。新聞の見出しには“ソ連、ア書記長死去”とあった。


「昭和……57年か。1982年の11月だな」


未来みくが目を丸くして言う。


「梅雨時だったじゃない、さっきまで」


「地球だって太陽の周り回ってるし、太陽だって銀河の中ぐるぐるしてる。同じ地球の上に着陸できただけでもありがたいと思えって」


充が肩をすくめると、未来みくは鼻を鳴らした。


「理屈で納得する気はないけど、まあ、いつものパターンだもんね」


そんな言葉の直後だった。


ぴぽぴぽぴんぽーん♬


チャイムの音に、二人の視線が入口に向く。

入ってきたのは、くたびれたコートに身を包んだ女性だった。30代前半、目の下にはくっきりとした隈。ワープロらしき機械を抱えてしきりに棚を覗いている。


「……すみません、こちら……電気屋さん、ですよね?」


「ええ、まあ……。らっしゃい。なにかお探しで?」


女性はうつむいたまま、ワープロをレジの前に置いた。


「この……ワープロの使い勝手を少しでも良くしたいんです。何か、周辺機器とか、拡張できるものとか……」


彼女の表情は疲労の色で固まっていたが、視線は泳ぎ、口元には力がなかった。

未来みくが目を見交わし、充がゆっくりと椅子を勧める。


「申し訳ありませんが、この機種の拡張パーツは当店では取り扱いがございません……が、お見受けしたところ、何かよほどお困りの事がおありなのではありませんか?よろしければお話をお聞かせください」


女性はハッとした顔をし、充の顔を見た。


「当店ではお客様のお悩みを解決することを第一としております。我々にも何かお力添えできる事があるかも知れません。ここで聞いた話はここ限りにしておきますので、いかがでしょうか?」


──そうして語られたのが、彼女の過酷な日々だった。


「……このままじゃ、私自身が壊れそうなんです」


女性の声は掠れていたが、その一言には切実な重みがこもっていた。

充と未来みくは黙って彼女の言葉を聞き、彼女の次の言葉を待つ。が、彼女はなかなか口を開こうとしなかった。


「あの……?」


充の呼びかけに、女性はおずおずと頷いた。


──彼女は、岡崎と名乗った。


岡崎は、今をときめく人気推理作家・藤堂の専属口述筆記者をしているという。

だがその実態は、想像を絶する苛酷なものだった。


「カセットテープに録音はしてます。でも……巻き戻すと怒鳴られる。ちょっとでも聞き逃すと、すぐ『使えない』って、1時間はなじるんです。『辻褄が合わない』と指摘したらへそを曲げる、ストレスが溜まりに溜まったら暴力です」


岡崎の手は、握りしめた膝の上で震えていた。こめかみのあたりに、最近できたであろう傷が見える。


「編集部には『もう少しでウチの原稿が上がるから、それまでは我慢して』って……。でも、このままじゃ本当に……」


「……潰れる、か」


充の口調は淡々としていたが、目は鋭く光っていた。


「録音してるのに間に合わないってことはどういうことかな」


岡崎が頷く。


「口述筆記者は、筆記をしながら最初の読者でもあります。藤堂は私の反応を見て、その話がウケたかどうかを見定めながら次の1行を話すんです」


「書きながら、同時に反応を見せなくちゃいけないわけだ」


「そうですね。そして反応してると書く時間がなくなるでしょう?藤堂は同じことを2度言いません。書くのが追いつかない時は、全部終わった後でテープを聞き直して書き起こすしかないんです。でも、藤堂は興が乗ると早口になりますからテープを何回聞いても巻き戻しの手間ばかりで全然進みません。作業が難航しているとあの男はまた怒鳴り込んできて、私をなぶるんです。聞き取りで殴られ、書き起こしで蹴られ……挙げ句に……」


岡崎は堰を切ったように話し始めた。目には涙が滲んでいる。


「酷い話だな……」


未来みくは、じっと岡崎の様子を見ていたが、ふと何かを思いついたように充の耳元で囁いた。


(それって、音声認識で文字起こしできれば解決できそうなんだけど……)


充が小さく首を横に振る。


(ダメだ。それをネットのないこの時代でやるには、それなりのパワーを持ったPCが必要だ)


(じゃあ、せめてPCにワープロ載せて、予測変換だけでも)


(それも難しい。あのワープロの画面見ろ。カラー液晶つきのPCなんか見せたら大騒ぎになっちまう)


未来みくは悔しそうに唇を噛んだ。

岡崎は困惑して二人のやりとりを見つめていたが、やがてまた、力なく俯いた。


「編集部も酷いんです。『君さえ黙って殴られていてくれたら、丸く収まるんだ。もし辞めたらどうなるかわかってるだろうな』って言われました。私が作家志望ってこと知ってて……」


その言葉に、未来みくが思わず息を呑んだ。


「……耐えるのも、逃げるのも、もう分からなくて」


充は椅子に背を預け、腕を組む。

沈黙。

重苦しい時間が流れる中、未来みくがそっと囁いた。


「サナっさん……何か、ないの?」


充はしばらく考え込んでいたが、やがて、ゆっくりと前傾姿勢を取り直した。


「……あるには、ある」


そして机の下に目をやり、指先で何かを探りながら、口元に小さな苦笑を浮かべた。


「でも……今回は慎重にやらないとな。人前で使える機器となると制限はデカい」


場の空気が、ほんの少しだけ、変わった。


──次の手が、ぼんやり見えかけていた。


* 私も昔、口述筆記をやらされたことがありますが、結構病みます。 文章を正確に書くだけでなく、話す本人と同等の知識が前もって要求されるなど、非常に過酷でした。あれを他人に要求する側にはならないでおきたいものです。

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