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漂流ジャンクショップ  作者: にゃんきち


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11/52

昭和40年の受験生 (後編)

ぴぽぴぽーん♬


真田無線の静かな午後。チャイムが鳴ると、作業台の奥から充が顔を上げた。


「らっしゃい」


店の入口には、昨日の青年――宮本宏が立っていた。小さな鞄を抱え、緊張した面持ちで一礼する。


「こんにちは……昨日はどうも」


「ようこそ。まあ、こっちへどうぞ」


作業台の上には、昨日の夜に準備していた道具がいくつか並べられていた。黒い薄板に、取っ手付きの重たい箱、小さな扇風機に、角度の変えられる電灯。


「これ、全部……?」


「必要な分だけ。多くはないけど、君の助けにはなると思うよ」


充は、まずソーラーパネルを手に取った。


「これは太陽電池。太陽光を電気に変える板だ。表面に細工がしてあって、陽に当てておけばじわじわ電気が溜まっていく。午前中、窓際に吊るしておくとちょうどいい」


「へぇ……自分の部屋で、電気が作れるんですね」


「そう。誰にも迷惑はかからない」


続いて取り出したのは、取っ手付きの蓄電箱。


「太陽電池で作った電気はこいつに貯めるんだ。車のバッテリーみたいなもんだと思ってくれていい。うまく使えば一晩分くらいの電気はしっかり入る。持ちやすくしてあるけど、それでもちょっと重いな。気をつけて持ち運んでくれ」


側面の端子を示して、説明を続ける。


「この端子はちょっとした統一規格があってね。プラグの形が同じ機器なら、これで電気が供給できる」


宮本は黙ってうなずいた。昨夜の迷いは少しだけ、薄くなっているように見える。


「これが低電力型の電灯。熱くならないし、目にも優しい。蛾も寄ってこないぞ。夜に集中するにはちょうどいい」


白く静かな光が、小さなスタンドから漏れた。宮本の表情が一瞬、やわらいだ。


「それから、これは卓上扇風機。音も静かで、風は穏やか。これなら隣に気付かれずに済むだろう」


最後のひとつを手渡す前に、充は少し言葉を切った。薄いけれど座布団くらいの大きさがあるクッションを持ってウホンと咳払いをする。


「これは……まあ、暖房器具だ。冬用だな」


「え?」


「抵抗値高めの導線に弱い電流を流して、じんわり温まる仕組みの道具だ。カイロやあんかと同じくらいは温まる」


「……なるほど」


充は両手を広げて宮川を鼓舞する。


「次に怒鳴り込まれたら、そのバッテリーと太陽電池がコンセントに繋がっていないところを見せてやるといい。『僕は皆さんのご迷惑になるような電気の使い方はしてませんよ?』ってな」


「なるほど……なるほど!」


「実際は、たまにバッテリーをコンセントに繋いでも問題はないと思う。雨だの曇りだので太陽電池の働きが悪いこともあるからな。それよりも問題は他にあるんだ」


「問題?」


「どれも作りが簡素チャチでな。もってせいぜい二年。それ以上は正直分からん。だから、こいつらが壊れる前に合格した方がいいぞ。保証はできないけど、応援はしてる」


「それで……あの、これ全部でおいくらですか?」


「1000円……といいたいところだけど、黙っていてくれたら 300円でいいよ。とりあえずこれで、次の受験まではアパートを追い出されずに済むだろ?」


「こんないいものを、黙ってるんですか?」


「入荷数が少なくて、お客さんがたくさん来ても困るんだよ。がっかりさせたくない」


宮本は唇を引き結び、がま口財布から300円を取り出した。


「そういうことでしたら黙っています。本当に、ありがとうございました」


「そういうのは合格してからゆっくりやろう。その時に俺がいるかどうかは分からんが……まぁ、こいつらを上手に使ってくれ」


道具一式を布の袋にまとめると、彼はそれを大切そうに胸に抱え、店を後にした。

何度も何度も礼を言いながら――


宮本の背中が雑踏に見えなくなると、充は無言で腕を組み、椅子に背を任せた。

背後から、未来みくが呼びかける。


「……言わないのね」


「何を?」


「『頑張れ』とか、『君ならやれる』とか」


「うちの商品に、そういう保証はつけてない」


「冷たいなあ。……でも、そういうのが効く時もあるんだよ?」


「それでも、口にした途端に軽くなる言葉ってのはある。道具みたいにな」


未来みくは笑ってうなずいた。けれどその横顔は、どこか柔らかだった。

 

──夜。


古びたアパートの一室に、静かに光が灯った。


白い光が机を照らし、その上に広げられたノートと参考書が、まるで水面のように揺れている。

回る羽音はかすかで、部屋の壁を通り抜けて誰かの耳を煩わせることもない。

コンセントに繋がっていないその明かりは、けれど確かに、そこに在った。


宮本は静かに鉛筆を走らせていた。

誰にも邪魔されず、誰にも謝らず、夜のなかに浮かぶ光の下で。

 

その灯りが、やがて彼を照らす朝へと繋がっていることを、彼はまだ知らない。


*  *  *


充は作業台の前で目が醒めた。

深く息を吐くと、鼻腔に染みるのは静かな電気の匂い。

窓の外にはいつもの令和の景色。ネオンと、コスプレした飲み屋の客引きが目に刺さる。


「……戻ったな」


見慣れた秋葉原の2025年の風景。だが充には10日ぶりのネオンの光だ。

未来みくが、バックヤードの椅子に腰かけ、静かにこちらを見ていた。


「おはよ、サナっさん」


「……おう、大丈夫だったか?」


充は首をコキンと鳴らし、同じく未来が指を組んだ両手を前に伸ばして伸びをする。


「まだちょっと、気持ち悪い感じが残ってる」


「馴れないよな。あれ。ああ、店閉めといてくれたのか。助かる」


「今回も戻ってこれてよかったね」


未来みくは、レジ下の箱から取り出したコードをくるくる巻きながら、ふと目を細めた。


「USBって、だいぶ昔からあるよね」


「……そうだな」


「私が小さい頃に使ってたMP3プレイヤーにも、これ付いてたなあ。差し込むとき、絶対一回反対に挿して……イラっとして……」


「誰もが通る道だな、だからUSB-Cができたんだろ。2.0 やら 3.1 やら規格のバージョンを上げて、形は変えても長く残ってるのはいいことだ。いっぱい規格があると混乱する。」


「まあ、いろんな人達の都合ってわけね」


なんでもない話のように笑う未来みく。どこか、ほっとしたようにも見える。


「今回は、競馬に行かなかったのね?」


「時期的にはオークスだったんだがな。行かなかった」


「どうして?」


充は後頭部をボリボリ掻いて、左右の眉を上下に動かす。

器用なものだ――と未来みくは少し感心した。


「1965年の大卒初任給って、二万五千円くらいだったんだよ」


「……ってことは、十万円賭けたら?」


「少なくともどよめきは起きるだろうな。そして、何かあると勘づいた奴らが次々と便乗したりして、配当の倍率が崩れるかもしれない。結果としていろんなことに影響が出る、かもしれん…」


「えっ、そんな小さなことで?」


充は両手の手のひらを向かい合わせてVの字を作り、それぞれの中指の方向に手を移動させた。


「遠い過去に行けば行くほど、そこで起きた小さな事件が後々大きな影響になる可能性は大きい。それに金の価値も、情報の重さも、こっちとは桁が違う」


未来みくは、モニターに映る自分の顔を指でなぞりながら、ぼそっと言った。


「バタフライ・エフェクト、ってやつね。どうして他の時代なら馬券買ってもいいの?」


「そうだな。1990年過ぎたら中央競馬なんか1レースの売上が何十億、下手したら800億越えるから俺の賭けた金額程度では何も変わらん」


「なるほどねー……」


未来みくは天井を見ながら納得した風を見せた。


「それにしても、昭和の受験生って、よく頑張ってたんだね。“単語帳を食べる”とか、“四当五落”とか……」


「スポーツの世界でもあったらしいからな。水飲むなとかウサギ跳びしろとか。」


充は、手を後ろで組んで体を上下に揺すってみせた。ウサギ跳びのつもりらしい。


「怖いよ。科学的じゃないし」


「そもそも受験の制度も学習環境も大学進学率も今とは全然違う。今は6割くらいは大学行くんだろ?あの時代は8人に1人。選ばれたやつしか受験しない。競争してる集団の質が違うんだ」


「母集団の質が高いほうが、偏差値は厳しく出るものね」


「そういうこと。今と比べるのは意味がない。今は今で別の苦労があるしな」


派手に動いていた空気清浄機が急に回転を落とし、店内が一瞬だけ静寂に包まれた。未来みくは立ち上がり、入口脇の電源スイッチに手を伸ばす。


「カチッ」


LEDの照明がふわりと灯り、棚の商品が白く整った輪郭を取り戻す。

未来みくは静かに言った。


「……あの灯、まだ点いてるかな」


「さあな。でもまあ、電球の方は4,5年は大丈夫だろ」


二人の言葉が、店内の明るさに溶けていく。

点いたばかりのLEDが、まるで遠いどこかの夜明けを思わせるように、じっと店を照らしていた。


* 太陽電池は1955年から国産化が始まっています。原理は19世紀にすでに確立していました。

* バタフライ・エフェクトはまあ、北京で蝶が羽ばたいたらそれが巡り巡ってニューヨークで偉いことに、みたいなふうによく説明されます。たった1°角度が違って射出された弾は1km先では17.5mも離れてしまいます。

* 今は推薦で枠が埋まったりして一般入試で入れる人の数が減っています。昔みたいな試験で人生一発逆転の道はまだあるものの、狭まりつつはあります。

* この時代、私立文系の最上位学科の難易度は旧帝大の下位か、それ以下でした。





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