【二十四】離れてしまったんだ
「明日の正午。王城に来い」
そう言い残してシオンは消えていった。
残されたジェーンは空虚な空間で、
スミスの亡骸を抱きかかえて戻ることにした。
その足首に掌に乗るくらいのぷるぷるした球体が付き纏ってきた。
力なく無言で見下ろすと
白色のぷるぷるが喋りかけてきた。
マッチョなスライムのニュルだ。
欠片だけ分離させて全滅を避けていた。
「ボクも連れてって!
キミ達に協力したい!」
ラスターが頷いてスライムを肩に載せた。
屋敷にひとっ飛びで戻り、
庭にスミスを手早く埋葬した。
他にあるのかもしれないが、
身よりもなにもわからず終いではどうしようもない。
後で棺ごと移動させてもいいだろう。
「あ、なあ兄ちゃんは?
誕生日会やるんだったら希望を聞いとこうぜ」
屋敷に戻ると真っ先にフレディがやって来た。
照れくさそうにそっぽを向きながらだが、
兄のためだからか駆け足で寄ってきた。
その時のジェーンの表情は筆舌に尽くしがたい。
異変に気づいた弟さんの顔面がみるみる蒼白になった。
兄に何があったか、
彼女の顔で気づいたのだろう。
少しずつ、幼い少年ヴィジランテの青ざめた顔色に
赤黒い怒気が立ち上っていく。
歯軋りをし、全身で怒りと憎しみを発していた。
「シオンが兄ちゃんを殺したのか!!」
「そうね」
「今すぐぶっ殺してやる!!」
「ダメよ」
今すぐに出ていこうとするフレディの肩を掴む。
こちらに今すぐにでも食ってかかりそうな鬼気だ。
子供がこんな顔をするということが、あまりに痛ましい。
「手を離せ! じゃないとあんたから倒す!!」
「無理よ」
フレディが隠し武器を出そうと手を背後に回すのを瞬時に掴む。
分厚いブーツのつま先から閃光弾を発射したが
その前に目を閉じ、遅れて来た超音波には
最初から耳から意識を遠ざけた。
完全にフレディの手口を読み切っていた。
以前に翻弄されて
背中に骨が深々と刺さった一件だけでだ。
彼女の学習能力はやはり群を抜いている。
どれだけ手を尽くして逃れようとするも、びくともしない。
いつもとは違う意味で
反論を許さない厳然たるジェーンの威容に
少年も少しだけ落ち着きを見せた。
「…………なにをする気だ」
「あなたにはあなたの家族を纏めてもらうわ。
お兄さんはあたしに協力してシオン討伐に向かうと言って」
「嘘をつけっていうのかよ!」
「そうよ。あなたの兄弟姉妹が下手なことをしないようにね。
お兄さんはリーダーだったんでしょ?
それなら貴方の言うことも信じるはずだわ。
ベスという子のことは話題に出さないようにしておいて」
それだけでおおよそのことがわかったフレディが驚愕した。
賢い少年だ。
「ベスが兄ちゃんを……!?」
ジョナサンとベスという名のスピードスターは
とても親しかったらしい。
とくに、ベスは彼に心を開いていたと聞く。
「精神的に支配されているようだから、
あの子を責めるのはよくないわ」
二人のことを知っているフレディは感情の矛先を見失って
複雑そうに眉をひそめた。
ここでシオンが悪いと言うのは簡単だが、
ジェーンはそれをしなかった。
「あたしと、このスライム、シスマも連れて行く。
戻ってこなかったら貴方達がこの屋敷とあたしのお金を好きにしていいわ。
わかるでしょう? 貴方達が来ても消されるだけだって」
「それはあんたもじゃないのか」
無表情で首を振る。
これほどに冷淡な聖女は初めてだ。
「あいつはあたしを直接、打ちのめすことに拘っているわ。
だからあたしだけならどうにかなる。
今は貴方の家族のところに行って安心させて。
後でベスの力について知ってること全部教えて」
「…………わかった」
渋々納得したフレディが引き下がった。
広い屋敷のエントランスでジェーンと僕、それにスライムが残った。
ずっと冷たい、血の通らない
仮面のような無表情を通しているジェーンは小さく僕に尋ねた。
「改めて聞いていい?
あたしがシオンを殺したら、あなたはどう思う?」
答え方はいくつもあった。
人は死んだら戻らない。
君が手を汚してもジョナサンもアレンも悲しむ。
スミスは君に謝罪したかったんだろう。
だが、とにかく正直な気持ちを伝えることにした。
「残念に思うよ」
「それだけ?」
「君の人生だからね。でも、これだけは覚えてほしい。
一度殺せば、次のハードルはずっと低くなる」
「それでもあたしは──」
「流野りさ、ストリーマーがそうだった。
彼女は龍神を封印する一族の生まれだったけれど、
配信のために解放した自称ヒーローによって家族も村も一晩で滅んだ」
こういうことを他人が勝手にべらべら喋るのは絶対に良くない。
しかし、ジェーンには絶対に必要なことだった。
そして、これだけやらかしているのだから
少しくらいは向こうも身を切るべきだという感情も強かった。
「りさは二十歳になるまで世界中を渡り歩き、
ヒーローとヴィラン、すべての超常を滅ぼすための術を修めた。
そして、一人まっさき逃げ出したヒーローを配信で糾弾し、
心と体を屈服させて、事実上の廃人に追いやった」
誰もが思う。
当然の報いを受けさせただけだ。
彼女に何一つとして間違いはない。
りさの歪みがそこで止まってくれるとしたら。
だが現実は何も止まらなかった。
「それからも、彼女は片っ端からヒーローに喧嘩を売り、
ヒーローの後ろめたいことを指摘し、挑発し、全世界の目の前で倒してみせた。
誰にでもそうするようになり、いつしか彼女はヒーローに邪悪であってほしいと望むようになった」
「……あたしもそうなるって言いたいの?」
「わからない。でも、君達は似ているような気がする」
正確には、ジェーン、りさ、セイメイ、シオン、クレオの五人がだ。
彼女がストリーマーと同じことをするようになるとは思わない。
だが可能性を否定することもできない。
“それができる”と認識し、やってしまったら、心のブレーキは次々に緩んでいく。
「シオンの言うことは正しいわ」
僕の話への結論は出さずに
ジェーンは話題を変えた。
その目は細まり、悲痛なものが浮かんでいる。
「あたし、ずっと家族に褒められたかったんだと思う。
だから貴方を頭の中に呼び出したの。
きっと、ヒーローをやるっていうのも同じ理由だったんだわ」
たしかに、ジェーンは最初に言っていた
“僕と同じヒーロー活動をして記憶と力を引き出す”という目的を、
まったく氣にしていないように見えた。
お米に関する知識への未練はないとは言っていたが、
それ以外の力や記憶を求めようともしていない。
俯き、長い髪を顔に垂らし、
首元の僕にだけ今にも泣きそうな顔を見せた。
どうしてそんな風に悲しくするのか、
少しでも元気づけたかった。
何かを口にするか、行動を起こす前に、
首を振って長い髪を揺らした。
「でも、もういい。あたし、あいつを絶対に許さない。
がっかりさせて、ごめんね」
「ジェーン、待ってくれ。君は勘違いしている」
僕が何を言おうともジェーンは顔を上げ、反応しない。
どれだけ大きな声を出しても。
あれだけ話し合い、笑顔を見せるようになった彼女は何も言わない。
僕と彼女の心が、離れてしまったんだ。




