【二十三】成ったのだ
ピストルどころかライフルで撃たれてもへっちゃら。
戦車砲で狙撃されても致命傷にはなりにくいのが僕のボディ。
ジェーンもバズーカくらいなら耐えられるはずだった。
だが今は筋肉隆々のスライムのゲンコツで頭が割れている。
そのまま突っ伏し、高速治癒で傷は塞がるが、
眼の前のことに対応しきれていない。
スライムがマッチョになる。
まったくの不合理だった。
粘着・柔軟、まとめると不定形であることが強みのスライムを、
パンチで大理石もなんのそのなハードパンチャーに仕立て上げるなんて。
「ぷるぷるっ。ボクはずっと人間やモンスターが怖くて、
仲間と物陰に隠れていたんだ。
そうしていたら、ある日に、真っ赤な亡霊が声をかけてくれた!
“そこの君、逆三角形マッスルボディに興味はありませんか?”って」
なるほど、前にも見た
りさの暗黒面か。
たしかに彼女のやりそうなことだ。
というか、見込みある子供を片っ端からスカウトして
色々な思いつきめいた指導をしていたから、彼女そのものだ。
あれ悪の側面の方だったの? なら善の彼女は何なんだ。
僕がそう考えている間も、
スライムはシャドーボクシングをしている。
僕以外にはその動作の高度さはわからないだろう。
「おい油断しすぎじゃないのか?」
「じゃあ、あなたはこれ予想できたの!?」
割れた頭に手を当てて
血だらけの顔でジェーンが怒鳴った。
アレンもそう言われると口をつぐんだ。
二人が軽口叩いている間も
スライムが巨大な腕を振り回す、
人間と違うのは回る度に腕の太さが倍増していくことだ。
「どんどんいくよー!」
「ちっ、下がってて!
あたしが全力のキックで──」
「ボクの中に人質がいるから気をつけて!」
「あっぶな……」
前蹴り一発で終わらせようとしたのを
慌てて脚を戻した。
「念のために訊くけど、それスミスって人の息子さん!?」
「君たちが助けようとする人だって聞いてるよー!」
「うっ。厄介ね……」
スライムがボクサーのように両手を顎の前に構えた。
攻めあぐねるこちらの躊躇いはおかまいなしに、
マッチョなスライムはステップを織り交ぜて流麗な動作でパンチをしてくる。
動作に僅かな停滞もない。人体そのものでも
この滑らかさを再現するには十年単位の訓練が必要だ。
スライムのボディで筋肉、腱、骨を擬似構築し、
人体そのものな動作をさせている。
正しく運動エネルギーの載ったパンチを放つだけでも、
要求される工程数は限界まで絞っても
1.状況認識
2.目標設定
3.戦術判断
4.初期姿勢
5.下半身駆動
6.体幹の回旋
7.肩から腕への加速
8.インパクト時の手首と拳の調整
9,インパクトによる全身の反動制御
10.また1から同じ動作をできるように復元
以上、10工程は必須だ。
けれども、スライムが動く上でのサブルーチン、
筋繊維、神経を再現しての動作となれば数千兆でも済まない工程数になる。
理論上は無限とも言える動作の記憶、
それをスライムに0から学ばせるとは、
流石は流野りさこと、ストリーマー。
その頭脳は指導でも十全に機能している。
「貴方、自分で悪いスライムじゃないって言ってたじゃない。
人質は悪いことよ!?」
「でも、君たち、ヒーローなんでしょ?
ヒーローは雑に弱いものイジメを否定するだけで、
その行為の是非をろくに考えないってストリーマーもホッパーも言ってた!!」
「弱いものイジメはその時点でダメでしょ。
屁理屈に惑わされないで!」
「覚悟しろ、ベンチトレーニングの不足者め!」
一発一発はジェーンの運動神経と身体能力で躱せる。
しかし、こちらからの反撃ができず、
避ける以外の手がないのは、神経をどんどんと消耗させていく。
スライムの腕が太さを増し、
肩部分を動かして拳を引いた。
大振りのストレートを溜めている、
そう判断したジェーンが出足を潰そうと前に出た。
「引っかかったー!」
「ぐえっ!!」
短距離瞬間移動気味に距離を詰めたのを
そのままの太さの方の腕によるストレートが鼻っ柱に刺さる。
フェイントで釣っての本命直撃。
見事な試合巧者だ。完全にボクサー専用のトレーニングを受けている。
ボディへの連携を匂わされ、
またも反射的にお腹を庇ったジェーン、ラスターの顎を
全力投入した、太い腕によるアッパーが通った。
僕がレフェリーならタオルを投げている。
それくらいに完全試合になる流れだった。
このスライム、ただの筋肉依存者ではない。
ダブルバイセップスの似合う筋肉を
ちゃんと打撃に絞る使い方にも習熟している。
思わず僕が感心していると、
天井の通風口らしきところから
大量の油が撒かれ、
全身でかぶったスライムの拳が
ラスターの顎を滑った。
遅れて、火が投げ込まれ、
スライムの全身を火が包み込んだ。
「今です! 攻めてください!」
上より落ちてくるロータス、ジョナサンの声。
このタイミングをずっと見計らっていたのか。
スライムに火をあてても怯むだけなもののはずが、
相手のボディ表面に白く細かい粕のようなものが出来上がっていく。
それに連動して卵っぽいような、クセの強いチーズ臭がする。
「これは……そうか、彼はホエイプロテインで構成されたスライムなのか!!」
プロテインは筋肉を育むための補助食品。
スライムに使っても無意味のはずだ。
しかし、それがマッチョなスライムならば、
己がプロテイン100%という自負は、スライムに不可能を可能にする
逆三角形体型への爆発力を生み出すに違いない。
何故ならばただのマッチョにできないプロテイン100%を達成したからだ。
ヘビィボクサーそれも無差別級王者そのもののようなパワーとテク、
それがあったスライムの動きがたちまちぎこちなくなっていく。
これまでが人体の動きなら、今はバルーン人形を動かしているかのようだ。
ホエイプロテインは乳蛋白質。
加熱するとゴムのように固まり、分離していくもの。
栄養は変化しないが、食感、材質は変わってしまう。
これはチャンスだ。
「で、でも中の人が──」
下手に手を出してスライムの内部にいる人のダメージになるか心配している。
それをアレンが安心させようと励ます。
「大丈夫。僕がスキャンしたら、
スライムの内部に空気の膜が見えた。
それがある限りは、スライムが炎に包まれても問題ない。
多少の攻撃でも外傷は負わないよ」
アレンの解析によって
安心とわかったジェーンは今度こそ迷わずに脚を大きく振りかぶる。
サッカーで言えば、選手がボールをゴール前から敵のゴール前に一気に飛ばすようにだ。
あこちらの狙いに気づき、ごわごわした両腕を振り回して
プロテインマッチョボクサースライムが命乞いをした。
「待って! ボクサーだから足技への対策はしてないの!
ちょっとスクワットさせて!」
「後でね!!」
「ぎゃー!」
両脚を蹴りで両断し、
それから脚を引いてスライムの両腕を踏み断ち、
スライムの内部に封じられていた男性を引きずり出した。
「ひいいいいいいいいいい!
めちゃくちゃにされちゃった!」
散らばった破片から悲鳴がこだまする。
空気の膜から無理やり出したことで、
全身が熱したプロテインまみれ、
温泉卵を塗りたくったかのような特殊な臭いがこびりついている。
「彼は僕が診るよ。
その機能もあるんだ」
「どうなることかと思ったけど
あっさりなんとかなったわね!
スミスに息子を渡したら罠も一件落着!」
ふんぞり返って大笑いしたジェーンの足元で
散らばったスライムがシクシクすすり泣きしながら
徐々に一箇所に集まっていく。
これを止めるのは簡単だが、止めても殺す気はない。
明らかにシオンと悪ストリーマーに利用されただけの
純真無垢なマッチョになりたいスライムだ。
「ニュル。僕だよ、ロータスだ」
「き、君は裏切ったって聞いてるよ!」
「それはいいんだ。
でも、君と仲良しのプリズムレイン……ベス・イーストが危ないんだ。
ホッパーに言われるままに全てを作り直すように強制されそうなんだ」
名前だけではわからないが、
流れ的にはシオンが手駒にしている
スピードスターのことだろう。
ジョナサンと親しいとは聞いていたが、
ニュルと呼ばれたスライムとも仲がいいらしい。
「そんなこと言われても、ボク、それが間違ってるかもわかんない!」
当たり前の話だった。
スライムにしてみれば国の政治体制や
生活の恩恵を受けるどころか
影響に触れることもないだろう。
「だからね。ベスを取り戻すことだけを手伝ってほしいんだ。
そうじゃなくても、協力するかどうかは今の彼女を見てからでいい」
「でも……でもボクはあの人らのお陰で変われたし」
散らばった破片が集まり、
小さなボールになるくらいには回復したスライム、
ニュルと呼ばれた者が、弱気になって呟いた。
「それは僕もだ。
けれど、仲間を利用して酷いことするなら、僕はやっぱり止めたい。
君だっていつもベスに上質なプロテインを作ってもらっていただろう……?」
「ムリ。あの人ら抜きじゃ、ボクどうしたらいいか……」
「君はマッチョなスライムじゃない。
何にでもなれるスライムだ。彼女がいつも言っていたじゃないか。
それは誰にとっても本当なんだって、僕はこの人を見ると思えた」
ジョナサンがこちらを振り返って言う。
ジェーン、ラスターがこの少年に良い影響を及ぼせた。
新しい可能性を示せたのなら、それはとても喜ばしいことだ。
ヒーローをしていて本当に良かったと思える時に尽きる。
「なんかあたしのことを言ってるみたい」
「そうだよ。どう思う?」
ジェーンが照れくさそうに鼻の下を擦って、
僕の問いかけに答えた。
「なんか……変な言い方だけど、
ヒーローっていうのをやっててよかったなって。
初めて、貴方以外のことで思えたかも」
そう言ってヒーローのラスターは太陽のように明るく笑った。
彼女のその顔が、僕にとっても救いに思える。
スミスの息子を診ているアレンが肩を竦めた。
「いいなあ。僕なんて結局、後ろで調べてるだけだったよ」
「ふふん、これは先輩の特権ね!」
天狗になってふんぞり返ってジェーンは胸を張る。
まだやらないといけないことはたくさんあるが、
シオンを相手にしてもきっとなんとでも──
「さあ、消え去れ」
──どこかからシオンのささやき声が聞こえた。
それと同時に、ジェーンの周りに居た人々、
ロータス、アレン、スミスの息子さん、スライムのニュル、
それのどれもが粒子に溶けて虚空に消えた。
正確には、最初は頭部が消えた、
だから力を失った両腕がだらりと垂れ落ち、
それから手と脚の先端から徐々に溶けて虚空に散っていく。。
一切の前兆もなく、
ただ敵対しているシオンの気持ち一つで、
先程まで一緒に頑張って笑い合っていた人々が消えた。
「……え?」
遅れて、巨大なカジノも砂城のように崩れ、
あとには腹部を自ら斬り裂いて果てたスミスと、
呆然とするジェーンだけが空間に残った。
「そこの死んでるスミスだろ?
本当はハラキリなんぞする意味もないのだが、
どうしてもと言って聞かなくてな」
何も理解していないジェーンの前で、
ベスと呼ばれた少女を従えたシオンが現れた。
その手には、クレオが使っていたマナ遮断、
術無効のグローブ状の術具が装着されていた。
「みんなと協力してのヒーロー活動は楽しんだな。
これでわかっただろう。先に俺を倒せ。
俺を忘れるな、俺を見逃すな、俺を思い続けろ。
俺がこいつを支配している限り、お前はどこにいても絶えず俺を恐れることになる。
決して、息抜きに仲間とレジャーをする暇などもない。
したのなら俺がまた消す」
それを証明するための、この罠。
敵に助けを求められ、疑いを超えて信じ、救助をし、
立ちはだかった護衛さえ和解に持ち込めたところで、
全てを取り上げて消し去る。
なぜなら、
ジェーンはシオンと戦っていないから。
まだ本気で彼に敵意を向けていないから。
「お前が俺を重く深く憎まないからこうなったんだぞ」
噴飯物の身勝手な発言だ。
そのことを理解して、ジェーンはゆらりと立ち上がる。
烈火の如く感情を燃やしているか、
憎しみに狂うか、そのどれもをしていない。
「シオン……」
「そうだ。俺だ」
「シオン」
「俺の名をもっと呼んでくれ……俺を見てくれ……」
ジェーンが癇癪を起こして地団駄を踏む。
それは決して和解が不可能な状況ではない。
エネルギーの塊である彼女にとって
その場のストレスを発散させるのはメンタルを切り替えるルーチンに近い。
そうでなくとも、彼女は色々な人と出会い、意志を共にしてきた過去があり、
過程において、意見の相違で喧嘩をすることはたくさんあった。
だが、これは違う。
完全に、相手を取り返しのつかないものだと認定し、
一方的にでも信用も評価も打ち切る。
言葉を交わすことも、怒ることもない。
だって、もう“相手”は終わっているのだから。
二度と、味方になることはないのだから。
だから、ジェーン・エルロンドは一切の感情なく、
絶対的な冷たさで相手を見据えて告げた。
「貴方には死んでもらうわ」
「そうだ。それでこそ俺が最高の存在になるのための試練に相応しい」
許婚に死を宣告され、
それを無上の慶びとし、
シオン、ホッパーは歓迎した。
彼女、彼は自覚していないかもしれないが、
僕だけはこの時、この瞬間に起きている出来事を理解していた。
ジェーン・エルロンド、ラスターのアークヴィランが成ったのだ。




