【二十】あたしってそういう人間だったみたい
貧しい者たちの街にも日光は等しく注がれる。
ジェーンはこれまでやることがあったのために、
あまり覗くことはなかった。
しかし、意識してみれば貧民窟はたしかに変わっていた。
上から見るよりも、同じ視点に立った方がよりわかる。
「どう? 一旦、貴方たちのお家に戻る?」
「いえ……大丈夫です」
弟のフレディと違い、
兄のジョナサンは捕まってからは常に従順だ。
意気消沈しているとさえ言える。
無理もない話だ。
年齢にそぐわない練度の技巧、
体に刻まれた無数の傷跡。
どれもが子供が背負うものではない。
そうしてまでついて行ったシオンはあっさりと
子ども達を切り捨てた。
誰にも顧みられなかった貧しい子供が
偉大な素質の持ち主と認められ、
そして華々しい実績も残したのに捨てられたのだ。
僕には想像もできない痛みだろう。
近くの石ころを蹴ろうか迷い、
そのままにして少年はとぼとぼ歩く。
全身を粒子分解されたばかりの聖女は
メンタルに支障はなく、
ただ相手にペースを合わせた。
「ごめんなさい。ずっと貴方達にここを任せていて。
すごく評判いいらしいじゃない」
「いえ、ただ当たり前のことをしただけです」
「そんなことないわ。あたしだって貴方達にあの日、会わなかったら
今とはまるで違うことになったと思う」
「僕なんてなにもしていませんよ」
ジェーンなりに会話を試みるが暖簾に腕押しだ。
捨てられたショックでジョナサンからは覇気が失せている。
こういう風に精神的ショックで心を閉ざそうとしている人に働きかけるのは
本来は専門的な機関の力も必要なところだ。
今の世界にはそれはない。
僕なら実家に招待しておっどぉとおっがぁの
うんめえきりたんぽ鍋食わせだら
どっだげ落ち込んででもたちまち元気満々になるもんだった。
僕の実家も心療内科もカウンセラーもいない世界では、
ジェーンがなんとかするしかない。
「少しでもやってみようと思えたのは、シオンに選んでもらえたからです。
あの人に見つけられて、力をつけてもらわなかったら
僕は何もできないちっぽけな物取りのままでした」
嫌悪している相手の名前が出てジェーンの眉が跳ねる。
ここにいない宿敵をありったけ罵倒したい気持ちをぐっと堪えた。
立派な自制心だ。どんどん成長している。
歩を進める中で目を留めた屋台から
ほっこり香ばしい匂いがしてきて
鼻孔をふくらませる。
「あのアホンダ……シオンが言っていたわ。
ヤローも、あたしも、“できると思ったからやる”人間だって。
言う奴が言う奴だから否定したいけれど、納得もあるかもしれない。
心の中では、あたしはずっと自分の才能への確信があったのかも。
あたし自身はやりたいからとにかくやってみただけだと思ってるけどね。
とにかく、あいつの言う自己中人間よりはあなたはずっと立派よ」
粗末な屋台で焼きおにぎりを3つ買い、
少年に一つ分けた。
4つ買って2つ与えるのではないのがジェーンだ。
ごく自然に相手は1つでお腹いっぱいだと思っているのだ。
ちゃんと確認すればいいのに。
「もう一個欲しくなったら遠慮なく言うんだよ」
耐えられず僕がマントを通してアシストする。
おにぎりを二個行ける時に
一個しか食べられないのは、子供が許容できるギリギリの悲劇だ。
「味噌ね。無骨な味わいだけど
こういうとこで食べるとベストマッチになるわ。
粗野な場所で工夫のない味噌一本勝負の焼きおにぎり。いいわね」
独り言でおにぎりのレビューをし、
ジョナサンも両手で少しずつ香ばしい風味を味わい始めた。
元から目立っていた二人だったが、
屋台を利用して食事を始めると
遠巻きにしていた人々が少しずつ近寄ってきた。
「聞いとくれよ、ロータス。
昨夜に変なものが見えてね」
老婆に話しかけられると、
生気が薄かったジョナサンの活力が一変した。
文字通りに仮面を被ったかのようだ。
丸まっていた背中が人に勇気を与えられるものになる。
「そうなんですか?
じゃあ、場所を教えてください。
後で確認してみますから」
時間を置かずに
女の子が目付きの悪い猫を抱えて
やって来た。
「この子がネズミを咥えて離してくれないの」
「良かったですね。褒めてあげてください。
牙や爪で傷つかないように気をつけましょう」
ニコニコして集まってくる人々の応対をする。
一瞬前までしょぼくれていた少年とは思えない、
人に愛され、慕われる風格がたしかにあった。
「おぉ……」
沈み込んだ、塞ぎ込んだ少年の変貌ぶりにジェーンは舌を巻いた。
彼女も仕事をすると元気になる人間はごまんと見てきただろう。
趣味、好きなことをすると活力が漲るタイプは彼女自身だ。
だが人と話をすることで元気になるのは、初めて見たタイプだろう。
「ありがとう。
あんたがいてくれて毎日が心強いよ」
「いつかちゃんとした形で恩返しさせてくれよな!」
こうして近くで、
なおかつ輪の外から眺めると、
少年少女たちがしてきたことの価値がわかる。
ずっと死んだ目で、ボロ小屋で寝っ転がっては
時間が過ぎ去るのを待っていたのが、ここの人らだ。
それが今や自分達のヒーローに声をかけるために立ち上がり、
集まっては日々の暮らしやこれからの展望を語っている。
ヴィジランテと言えば、どうしても頭のおかしさばかりが取り沙汰されがちだ。
しかし、その真価は特別なスーパーパワーがなくとも、
人は希望の担い手になることができるということを示す点にあるのだ。
僕個人としては20歳にもなっていない子どもがヒーローをやるというのは
率直に言えば正気の沙汰ではないと考えている。
子供のやることは勉強と、のびのびとした運動やゲームだ。
あとは寝る前や休日のおやつにアップルパイ、寒天、チーズケーキを作ってもらえたら文句なしだ。
そして少年ヴィジランテ。
この時代にいて、同年代の子ども達とヒーローチームを結成するとは。
転生後に一番目にすることがないだろうと思っていた事態だ。
「あんたらしばらく見てないけど、大丈夫?
困ったことがあったらいつでも言うんだよ。
喧嘩以外なら力になれるかもしれないからね」
「市街地の人らが最近はここに炊き出しに来てくれるようになってね。
それとお話とかしに来てくれたり。
あんたらの優しはよく身に染みているから、休みな」
「あ、その……」
いつも守っていた市民に労われ、
ジョナサンは口ごもった。
その頬は紅潮しているが、恥ずかしさからではない。
「みんなが言ってるぜ。
子供がこんなに頑張っているのを見て目が覚めたってな」
大きな荷を両肩に載せ、
仕事の最中だろう禿頭の大柄な男が白い歯を見せた。
無気力、社会から離れてしまった人たち。
それが子ども達の頑張りに触れて変わっていく。
貧しい身なり、
汚れた顔や手の打ちひしがれていた人々に
たしかな熱が広がっている。
子供を戦わせるというのは今も原則として反対気味だが、
僕やりさにはない力を子ども達は持っている。
それが、固まった大人や社会の考え、視野に改革を与えることだ。
少年少女が戦うということはよくないが、
それが持つ社会への力、
僕への影響は決して否定できない。
宇宙最高のヒーローと呼ばれた僕も、
頑張る若い魂に救われたことは一度や二度ではない。
りさも、彼女が指導していた子ども達がいなければ
僕を殺しに来る頻度は二十倍になっていたはずだ。
ジェーンは少しずつ人の輪から離れ、
ロータス/ジョナサンとそれに集まる人々を微笑んで見守っていた。
彼らの姿を見て、彼女の瞳に確かな情熱が。
「これをシオンは捨てたわけよね」
目を細め、眩しそうに子ども達を見る。
そこにはかつての自分を見る郷愁があった。
彼のように気高い理想はないが、
やりたいことを無垢にやって、やりとげた姿が。
「そうよ。わかった」
ジェーンは深く頷いた。
「あたし、頑張ってる人を邪魔する奴のことが大嫌いだわ。
思い出したっていうか、あたしってそういう人間だったみたい」
「僕は知ってたよ」
言わなくてもいつか気づくだろうと思っていた。
今、気づいたというのは、
シオンと戦う上でたしかな力になる。
そう思っていると
ジョナサンの向こう側に
陽炎のような出で立ちの痩身の男が立っているのを見た。
腰に提げている二振りの刀。
シオンが率いていた人物だ。
それに気づいたジェーンが一瞬で相手の両方を掴み、
無理やり街の外に押し出した。
貧民窟らしい布切れめいた出で立ちは、
一面の野原の中央に立たされると
和服の着流しだとはっきり見て取れる。
「ラスター様」
目深にかぶっていた頭巾を脱ぎ、相手が素顔を晒す。
「息子を助けてください」
そこにいたのは、つい最近に
一緒にご飯を食べた男、
自殺未遂のスミスだった。




